「僕のヒーローアカデミア」:デクと死柄木/平安初期の朝廷の構成

Posted at 20/12/22

まとまったものを書くほどの書きたいものの蓄積がないのでいくつか思ったことを書く。

「僕のヒーローアカデミア」、多くの人は主人公・緑谷出久とそのライバル・爆豪勝己の物語として読んでるんだなと最近知ったのだが、私はオールマイトからワンフォーオールを受け継いだデク(出久)と、オールフォーワンに育てられた死柄木弔の物語として読んでるんだということを、今週のジャンプの第295話を読んで改めて確認した。295話のラストは死柄木の声にならない叫び、悲痛な叫びをデクだけが聞く、ということなのだけど、トガとお茶子がネガとポジになっているように、死柄木とデクもやはりネガとポジになっているわけで、そこがやはり気になるポイントだと思った。
虎尾達哉「藤原冬嗣」(吉川弘文館人物叢書、2020)を読んでいると、平安初期の宮廷の執行機関である廟堂の構成の話がよく出てくるわけだが、嵯峨天皇が譲位した後の淳和天皇の最初の廟堂の構成は、右大臣の冬嗣を筆頭に大納言一人、中納言三人、参議が七人になっている。

藤原冬嗣 (人物叢書)
達哉, 虎尾
吉川弘文館
2020-07-30



藤原氏から五人入っているが、皇族としては直世王という人が入っていて、天武天皇五世の孫で、一品長親王の曾孫ということだった。皇族出身者は賜姓されて代々公卿として生き残る系譜もあるが、途中で続かなくなる例も多く、直世王の祖父の長田王は聖武朝で従四位上刑部卿を務めているが、父の清原王は称徳朝で官位を剥奪されていて、光仁朝で従五位下に復帰し、小納言等を務めている。

直世王はそういう事情もあったのか嫡子でないなどの理由なのか、蔭位の制の恩恵を受けておらず、桓武朝で従七位上に相当する縫殿大允から出世して平城朝で従五位下、嵯峨朝で蔵人頭になり、五年後には参議として廟堂に入っている。

淳和朝初期の廟堂の構成はそのほかが良岑安世(桓武天皇の子で冬嗣の同母弟)、春原五百枝(志貴皇子の玄孫)、丹治比氏(宣化天皇子孫)、橘氏(敏達天皇子孫)、小野氏が一人、伴氏が一人と古代豪族の子孫が二人であとは皇親と考えて良いか。丹治比・橘は奈良朝以来の古代豪族と考えるべきか。

いずれにしても藤原氏と賜姓源氏がほとんどという後の朝廷の様子からするとだいぶ景色が違うなと思うし、一度没落しても復活したりする一族もあって、それぞれにドラマがあるのだなと思った。

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