小大名の生き残り術

Posted at 20/12/02

藤木久志『刀狩り 武器を封印した民衆』(岩波新書、2005)を読んでいるが面白い。
刀狩りというものの本質が何だったのかという話も面白いのだが、いろいろなケースについて述べる中に近世大名として生き残った人たちの中には尾張・美濃・近江などの地侍から信長・秀吉に仕えて出世し、関ヶ原では東軍についてその後も江戸時代を乗り切って廃藩置県まで続いた、というような大名が割合多くて面白い。

第3章の冒頭に出て来る溝口秀勝という大名は刀狩り令の出た当時加賀大聖寺領を支配していたが、もともと丹羽長秀の与力だったのが堀秀政の入封とともに正式の大名となっている。彼は刀狩り令が出た翌月の初めにはすでに刀狩りを終えており、没収した刀や脇差を秀吉のもとに送っている。仕事が早いのが印象的だ。

彼は秀吉から偏諱を受けるとともに豊臣の氏姓を与えられ、越後新発田に6万石で封じられているが関ヶ原では東軍に属し、上杉遺民の一揆の鎮圧に努め、新発田藩の祖となっている。溝口家はそのまま維新まで続いた。

溝口家が周りの大名たちが次々に改易される中生き残れたのは、明智・柴田の遺臣を登用して家臣団を形成し、その後も近隣の改易諸藩からの浪人を受け入れたことにあるらしい。溝口家を取り潰すとその浪人たちが一斉に解き放たれ、社会不安を引き起こす可能性があると見られたからだと言う。

江戸時代に三百諸侯と言われた大名たちの中には様々な出自があるけれども、小身から織豊期に藩祖が功績を上げて大名となった例はどれもいろいろと面白く、調べてみると様々なケースがあるように思われた。

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by Luke Peterson

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