アゼルバイジャンはなぜアルメニアに勝ったのか
Posted at 20/11/12 PermaLink» Tweet
ナゴルノ・カラバフ紛争は1980年代末からずっと継続していて、険しい山地での争いでもあり解決が見えない紛争でもあったが、アゼルバイジャンが「歴史的勝利」を収めた( https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111001136&g=int )ことは、主に日本語メディアによって観測していた私にとってはかなり意外なことだった。それで関連していろいろなことを調べたのだが、そのことについて書いてみたい。
メインとして読んだのは清水学「アゼルバイジャン外交と非同盟主義 ーイランとイスラエルの狭間ー」(中東レビューvol.6 2018-19)で、この論文をDLして読んだ。( https://www.jstage.jst.go.jp/article/merev/6/0/6_Vol.6_J-Art02/_html/-char/ja )
これまでのところでもあまりよく知らなかったアゼルバイジャンについて、いろいろな疑問が解決できたとともに、アゼルバイジャンについてのイメージがだんだん明確になってきた。
ここのところ、アゼルバイジャン が注目されるようになったのはもちろんアルメニアとのナゴルノ・カラバフをめぐる戦争によってであるわけだが、キリスト教アルメニア正教のアルメニア、イスラム教シーア派・12イマーム派のアゼルバイジャンという以上のことは知らなかったし、旧ソ連の引いた線引きが紛争の元になっていること、アゼルバイジャン自身がナヒチェバン自治区と領域が二つに分かれていて、アゼルバイジャン国内のナゴルノ・カラバフがアルメニア人の多数居住地域であること、くらいしか知らなかった。
ここでこの論文を読み、また関連して調べたことなどを元に、私なりにアゼルバイジャンについて理解したことを書いてみたい。
アゼルバイジャンはザカフカス地方、つまりコーカサス(カフカス)山脈の南側で、北がロシア連邦、西がジョージアとアルメニア、南がイラン、東はカスピ海に面しているという場所で、交通の面でも資源の輸送の面でも軍事的にも要衝であり、つまり地政学的に重要な場所だ。そして首都バクーは原油の生産地でもあり、沿岸のカスピ海では天然ガスも産出する。民族はトルコ系のアゼリ人で、宗教はイランと同じイスラム教シーア派の12イマーム派だ。歴史的に言えばカージャール朝ペルシアに支配されていたのが 1828年のトルコマンチャーイー条約でロシア領となり、このときにアゼルバイジャン南部はイランの支配下に残り、アゼリ人はイラン北西部の主要な少数民族になっている。
ロシア革命後はソビエト連邦の構成国となったが、ソ連成立前の1918年に一時独立しており、現在もアゼルバイジャンでは独立年を1991年ではなく1918年としているのだそうだ。ソ連崩壊直前にはアルメニアとの間でナゴルノ・カラバフ紛争が起こって、ナゴルノ・カラバフはそれ以来アルメニアに実質的に支配下に置かれてきた。
周辺諸国との関係でいうと紛争以来関係が良かったのはトルコだけなのだが、近年はアルメニア以外の諸国との関係改善が続いている。特に南のイランはイラン領内のアゼルバイジャンと連合する動きがソ連崩壊後に起こったためにギクシャクした関係になっていたが、近年は関係改善が進んだ。
一方、イランを敵視するアメリカと、アメリカを背後にしたイスラエルとは良好な関係を続けてきていて、BTCパイプライン(バクー・ジョージアのトビリシ・トルコのジェイソン)を経由して他の中東諸国から原油を輸入できないイスラエルに原油を輸出し、一方でイスラエル産の兵器を多数導入してきた。
今回のナゴルノ・カラバフにおけるアゼルバイジャンの圧勝と言っていい勝利は、このようなアゼルバイジャンの地道なバランス外交と軍事強化の賜物と言っていいのだと思う。
この論文の注目点は表題の通り「非同盟主義」なわけだが、1961年に25か国で設立された「非同盟運動Non-Aligned Movement NAM」は米ソなどの大国との同盟関係を持たない国々で構成され(従ってNATO加盟国であるトルコは参加していない)、冷戦時には第三勢力の一つの核としての役割が期待されたわけだが、その意味で冷戦終結によってその重要性が失われるかと思われたが、1991年に102であった加盟国は1918年には120となり、国連加盟国の3分の2を占めるまでになっている。このあたり日本ではほとんど報道されないが、非同盟運動がアメリカ一強体制が成立したのちも存在価値を失っていないことが看取される。
アゼルバイジャンは2011年に加盟し、2019年には議長国となって、10月には首都バクーで第18回首脳会議が開催された。(論文の出た時点では予定だったが開催されている)アゼルバイジャンは明確な同盟関係こそ持たないものの先述の通りアメリカやイスラエルに近い立場をとっており、意外と受け取られる向きもあった。ただ、冷戦後の非同盟運動の存在意義についてあまり研究はないそうで、それはこの運動が米欧諸国に歓迎されない事実を反映しているといい、つまりは西側の国際秩序に対する異論を表明できる場であることに意義があるともいえ、核兵器禁止条約の推進勢力の一つともなったという。そういう意味ではオルタナティブの勢力としての役割は健在であるということなのだろう。アゼルバイジャンのバランス外交にとっての意味も、また加盟国であり先述のような緊張関係のあるイランとの話し合いの舞台としての意味もあるのだろうと思う。
近年のアゼルバイジャンの抱える課題が7つ挙げられていたが、まず第一にナゴルノ・カラバフ問題。アゼルバイジャンは先に述べたように資源産出国なので様々な形での経済発展が見込まれる(資源輸出に伴い通貨が高騰し輸出が振るわなくなり製造業の失業が増えるというオランダ病の兆候もあるようだ)が、領土が他国に戦力されているという問題は最も重要な問題と考えられる。
第2に、ロシア・トルコ・イランという地域大国に囲まれ、アルメニア問題のある中で外交の自立性をどう確保するか、第3に石油・ガスの産出という資源を外国的にどう活かすか、第4にカリフ主義のヒズブ・タフリールのようなイスラム過激派には厳しい対処をしているが、そのようなムスリム国としての外交問題、第5にアゼルバイジャン人の住むイランとの関係だが、併合運動などもあったため、イランは親アルメニア政策をとってきたので、それをどう変更させるか、第6にイスラエルとの関係。イスラエルはアゼルバイジャンの原油の40%を輸入する大口の顧客だという。イスラエルとしてはイランを牽制するという意味もあり、またアゼルバイジャンとしては対アルメニアのために、イスラエル製のドローンなどの兵器が輸入されてきた。これは今回の戦争でもかなり決め手となるような役割を果たしたようだ。第7には対NATOと対ロシアとのバランスをどうとるかの問題ということになる。非同盟運動に加盟したのは、ロシアに対して「NATOには加盟しない」という形を示す意味もあるのだろう。
アゼルバイジャンの置かれた状況の複雑さと外交情の地道な努力は本当に感心させられるのだが、読んでいて一つ印象に残ったのは、イランが活発な外交を展開しているということだった。この辺りも日本ではあまり報道されないし、おそらくは欧米でもあまり報道されることはないと思うのだが、インドのムンバイとロシアのモスクワをイランとアゼルバイジャンを経由して主に陸路で輸送路を建設する計画があったり、アゼルバイジャンとの関連でいうとアゼルバイジャンのイスラエルへの接近を危惧したイランがアゼルバイジャン接近に努力するようになっていて、2010年にアフマディネジャド大統領がバクーを訪問し、従来のアルメニアの立場の支持を変更して、ナゴルノ=カラバフ問題についてアゼルバイジャン支持になったことはかなり大きいだろうと思う。
またカスピ海問題においてもイランが譲歩して2018年に沿岸諸国(イラン、アゼルバイジャン、ロシア、カザフスタン、トルクメニスタン)による合意が成立したという。これは「カスピ海は海か湖か」という法的地位をめぐる争いで、カスピ海が海であれば領海や経済水域を設定できるが、湖であれば資源の共同開発といったもんだになるようだ。イランは沿岸の地下資源の分布において不利なため湖であると主張してきたが、この合意では法的地位は棚上げしたまま、湖底の資源は沿岸国が利用でき、水面自体は共同利用、ということになったようだ。イランが譲歩したのはカスピ海がアメリカやその同盟国に軍事的に利用されることを懸念してのものだったというのを読んで、なるほどと思った。また経済協力機構(ECO)などもあげることができる。
またアメリカでは伝統的にアルメニアロビーが強く、アゼルバイジャンは食い込むことが難しかったが、トランプ政権成立後は南部ガス回廊プロジェクト(SGC)がイラン制裁の対象から外され、アゼルバイジャンとカスピ海のガス田からトルコを経由してヨーロッパに天然ガスを送るものだが、このプロジェクトにはイランも関わっているため制裁対象であったわけだが、結局ロシアへのエネルギー依存度を下げたいヨーロッパの要望を受け入れる形で制裁を解除することになったようだ。この辺りはイラン・アゼルバイジャン両国に関わる問題になるのだが。
話を元に戻すと、この論文ではアゼルバイジャンの外交努力がテーマなのでアルメニアがこの間どのように振る舞ったのかはよくわからないから断言はできないが、上に記してきたようなアゼルバイジャンの努力が今回の勝利に結びついたということは言えるのではないかと思う。
今回は日本語の論文だったので利用しやすかったが、探せばこのような論文によって報道で伝えられる西アジア地域の偏った姿とは別に諸国の生々しい動きを読み解くことは十分可能だと感じた。こういう内容も時々取り上げていきたいと思う。
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