「かぐや様」の面白さ/現代日本のマンガ文化/[推しの子]は一推し/ツイッターとブログの根本的な違い

Posted at 20/09/26

いろいろと書きたいことがあるのだが、まあいろいろと書き散らしてみよう。

赤坂アカ・横槍メンゴ「[推しの子]」が面白いのでこれについて書きたいと思って皆どういうことを言ってるのかとググってみたらまとめサイトなどで交わされている意見も面白く、やはり面白い、勢いのある漫画というのはファンもノリノリで感想を交わし合うよなあと読んでいて楽しくなった。
原作者の赤坂アカ氏は同じ週刊ヤングジャンプに自分の作画までする作品として「かぐや様は告らせたい」を連載しているので、流石に超人的だと思うのだが、その両方が面白いというのはすごいと思う。週刊少年んジャンプでも昨年だったか「Dr.Stone」作画のBoichi氏がオリジナルスピンオフを連載していてすごいと思ったが、その後ちょっと疲れが出た感じだったので、赤坂氏の超人ぶりが際立つが、マンガの工程で物理的に大変なのは作画だ、ということかもしれないとは思った。おそらく原作=ネームを二つ作るより、連載作品とは別の作品に作画もするという方が大変なんだろう。

70年代とかだとジャンプ・マガジン・サンデー・チャンピオン・キングの五大誌に複数連載を持つということも珍しくなかったが、当時の漫画に比べると現代は書き込みの量が違うし、なかなかそうは行かないんだろう。しかし逆に言えば当時は「月に一度休載する」という今では割とスタンダードになった連載方法もなく、とにかく原稿を落とせないという感じだったからそこらへんはマンガ家を相当疲弊させただろうなとは思う。

竹取物語 (岩波文庫)
岩波書店
1970-01-01



「かぐや様」のまとめサイトを見ていて面白いなと思ったのは、実はこの作品は「竹取物語」を下敷きにしている、ということが考察されていて、なるほどそうだったのかと思ったのだった。主人公の「四宮かぐや」はもちろん「かぐや姫」自身なのだが、もう一人の主人公・白銀御行はかぐや姫への五人の求婚者の一人、大伴御行であり、他の生徒会のメンバーもそれぞれ求婚者たちの名前が使われているという。

竹取物語ではもちろんかぐや姫は五人の求婚者を振り、最後には帝の求婚まで断って月に帰ってしまうわけだけど、「かぐや様」では求婚者の一人である「御行」とのカップルが成立し、逆に「かぐや姫」の属する「月の世界=名家の魑魅魍魎の世界」と縁を切っていくという話になっていると解釈できるのが面白いなと思った。

この辺の構造を読み解いていくのは面白いと思うが、それは多くの人がやっているので時々思いついたことを書くくらいにするけれども、とりあえず早坂愛が「アイルランド人とのクォーターであり、四宮本家のスパイでもある」という設定が「月の世界からの使い」的な立ち位置になるなと思ったことだけ書いておこうと思う。

昔はマンガ家にこうした感想や分析を届けるのは「励ましのお便り」を出すしかなかったのだと思うが、今はネットに感想を書いておくとマンガ家本人がエゴサーチをして見つけて(「進撃の巨人」の作者諫山創さんによると「ネットパトロール」)読んでくれたりするので、その辺は面白いと思う。作家さんによっては読者の意見に影響されすぎる人もいるので読者の側も一定匙加減が必要だなと思うこともあるのだけど、読者がいろいろ感想や分析、今後の展開の予測などを出し合ってキャッキャしているところを作者本人が読んで何らかの形で影響が与えられているというのはまさに現代日本のマンガ文化だなと思う。
「[推しの子]」はそういう下敷きにした定型みたいなものがない(あるのかもしれないが気づかれていない)ので、書こうとすると割と各話についての生々しい感想になるのだけど、最近の展開で言うと「10秒で泣ける天才子役=重曹を舐める天才子役」の有馬かな(ルビーの言によるとロリ先輩)のヒロイン度が爆上がりで展開の台風の目になっているのだが、一話一話の展開が結構構造逆転的になっていることが多く、貼られている伏線がどう生かされていくのか、いろいろと興味深い。まあとにかくこの作品は今年1番の名作だと私は思っていて、ただそういう意味で大事にしたいという感じもあるのでいろいろなことを書きにくいということもある。私は基本ルビー推しなのだが、かなちゃんも好きなので今後の展開に期待したい。

こうやってブログを書いてみると、ツイッターとはやはり文法が違うなと改めて思う。ツイッターは時々ビーンボールを投げたり略語とかスラングとかも使いまくりで「140字として面白い文章、興味を惹かれる文章、伝わりやすい文章」を書くことになる、つまりは「エッジの立った短文」を書くことになるわけで、これはこれで私はとても好きで、ある意味「座談」のようなものなわけだけど、ブログの方は文章としての一貫性が必要だし、基本的な知識のない人にはある程度基本情報を提供する姿勢も必要なわけで、「ブログとしての面白い文章」をかくことはツイッターのツイートとは基本的に違う、というか似て非なるものである部分がある。

これはまた紙の雑誌に掲載する文章とか、あるいは論文、あるいは書籍にするための文章とはまた違うわけで、やはり読んでもらうためには媒体に合わせた文体や書く姿勢みたいなものが重要になってくると思う。私はツイッターは2008年(だったかな)からやっているからもう12年だし、ブログの方はウェブ日記まで入れれば1999年からやっているからもう20年以上なのだが、その中で「ネットで届きやすい文章」というのはこういうものかな、というのはだんだん考えができてきたのだが、まあいつもそういう書き方をしているわけでもない。

ただ、後に残る文章も書いていきたいとは思っているので、またそういうものはそういうものとして書いてみたいと思う。今の時代の今の文化というものがどんなふうに面白かったのか、残しておくのも多分無駄になることではない気がする。

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