アダム・スミス「道徳感情論」「国富論」を読み始めた

Posted at 20/09/03

アダム・スミスの「道徳感情論」と「国富論」を少しずつ読み始めた。それぞれまだほんの最初の部分だが、最初から主題を明確に示して検討していて、この辺は読みやすいなと思う。

「道徳感情論」は、市民社会というものはどうしたら成り立ち得るか、なぜ成り立ち得ているのか、という問題を扱っているようだ。それを説明するのに最初に「同情sympathy」というものを持ってきていて、この辺はある意味孟子の「惻隠の情」みたいな話だなと思った。孟子はここから性善説へ行き、つまりは法のような強制力のあるものではなく自然の道徳によって国はちゃんと治るという考え方へ行くわけだが、文明圏が違っても発想はそんなに変わらないのだなと思った。

「国富論」は、富とはいかなるものであり、どのように形成されるのか、ということを「労働」ということに焦点を当てて検討している訳だけど、富とは「生きていくのに欠くことができなものnecessariesとあった方が便利なものconveniences」の総体であり、それは労働によってつくられ供給される、というテーゼが最初にあって、まあなるほどと思うが、この主張の妥当性自体も検討されていいことだよなと思った。まあそのように物的な面に限ることで富を定量的に測れるものにするということはあるだろう。

そして狩猟採集社会と違い、なぜ近代社会では富がより多くの人により大きな量で供給され得るのかという問題について、分業の存在から語られ始め、有名なピン工場の細かな工程分けとその効率性についての話になる。分業論も確か元になる思想家がいたような気がするが、その辺はうまくまとめたという感じなのだろう。まあこの辺りの話の展開は流石に知っているし自分でも考えたことはあるのでああ有名な話ね、と思いながら読んだ。

これらの古典的な著作というものは読むのは久しぶりだけど、なんというか清新な感じがして読んでいて気持ちいい。ただ、翻訳そのものがわかりにくかったり訳語の妥当性に疑問を感じたりもするので、ウェブ上の試訳や英語の原典にも当たりながら読んでいる。こういうのも昔はやろうと思ってから入手するまでにすごく手間と時間がかかったのだが、ネットで即座にできるようになって、本当に勉強のしやすい環境は整えられてきているよなあと思う。

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