世界を知ること

Posted at 20/09/01

休み休みだが柄谷行人「世界史の構造」を読んでいる。

しばらく読んでいて、自分に起こった変化があるのでちょっとそこについて書いてみようと思う。私の父は浪人時代に「資本論」を読んでいたような人で、今でもあまり整理されてない父の本棚には膨大な書籍があるのだが、朝起きてそれをなんとなく眺めていて、読む意味がある本とそれほどでもない本が見分けられるようになってきた。

20年くらい前の渡部昇一の本とか、やはり今になるとそんなに読んでも仕方がないというか、彼の本ならば「知的生活の方法」とか「ドイツ参謀本部」なら読んでもいいと思うが、谷沢永一との対談本とかになると大体何を言っているのか背表紙でわかるような本が多く、今読んでも仕方ないなと思う。一方でいわゆる基本文献もあって、この辺りは自分が読んでないものも多く、こういうのは読む意味があるなと思う。父は文学を基本的に読まない人だったので文学関係でそういう本はないが、文学でも基本文献となるのはやはり「古典」と言われる本だろう。

柄谷を読んでいると、本当に久しぶりに「文系の学問の本」を読んでいる感じがする。私は本当はもともとこういう古典とか基本文献と言われるものの読書量が足りず、どちらかといえば学生時代も講談社現代新書的なものばかりたくさん読んでいたのだが、それは「世界を知りたい」というのが動機で、「古典」とか「基本文献」みたいなものはなんというか内容の古い「魂の抜け殻」みたいなものだという先入観がなかなか抜けなかったせいだと思う。

私はもともと妙な現場信仰というか、事件は研究室でなく現場で起こっているんだ!といえばいいのか、子どもの頃からめちゃくちゃ本を読んでいたくせに大事なことは本にではなく外にある、「書を捨てよ街に出よう」、ファーブル昆虫記!みたいな思想を持っていた、というか今でもある程度そういう考えは無意識のうちにある。

これは両親が理系ということもあるだろうし、自分の育った環境がそういう感じだったということもあるし、図書館にこもって本ばかり読んでた少年時代だったが、そういう自分に罪悪感もあって、時々は悪ガキどもと一緒に野山を駆け巡り、足を踏み外して骨折したりしていた。確かに自然から受け取るものは本から受け取るものとはまた違い、そういう経験もすごく意味があったと思うし、今でも散歩したり特に用事がないのに車で出かけて地理学的な(ある意味ブラタモリ的な)感興に耽ったりするのは好きだ。

だから本を読むのも、古典よりも現代を生きている人たちが書いている新書的なものの方がヴィヴィッドに世界を知れるという自分なりの信頼感があって、古典はあまり読まなかった。古典を読む読書力が足りなかったとも言えるし、古典を読む意味があまりよくわかってなかった、ということでもある。
柄谷を読んでいると本当に思うが、皆まず古典・基本文献に依拠している。私の学生時代はちょうどニューアカデミズム、ポストモダンが最も流行していた時期で、メルロ=ポンティだのソシュールだのととりあえずかじってはみたが、読み切れたのはせいぜい浅田彰の「逃走論」くらいだったなと思い出す。まあ、読んでみてから興味を持ったらそっちの勉強をしてみようかな、程度の気持ちで読み切れるものではなかったなと今では思うが。

まあ、興味の対象は無限にあったし、美術館に行ったり演劇をやったり、麻雀に熱中したり女性と付き合ったり本を読み散らかしたり、音楽を聴きに行ったり旅行に行ったりと、集中して何かをやる、というような感じではなかった。後半はほぼ演劇一本になっていったけれども。ただ、おそらくは演劇も自分にとっては手段であって、ずっとこれをやっていこうという気持ちには結局なれなかった。

ではこういうもの全てが手段であって、結局何がしたいのか、自分にとっての目的はなんだったのかと考えてみると、結局は世界を知りたい、ということだったのだと思う。世界とは何か、というのはまあ難しいのだが、三全世界全てかもしれないし、宇宙の果てまで天文学的・物理学的に知りたいという感じもあるし、人間の生きてきた歴史を知りたいという感じもあるし、まあ結局は世界を、言葉を変えていえば森羅万象を知りたい、ということだったのだと思う。

それならば古典や基本文献を読めば良さそうなもの、というか古典こそがそういう世界の扉を開くためには有用な手掛かりになる、と今現在この時には思えるけれども、ある意味そういうチート、というほどじゃないな、みたいなことにどうも関心が疎く、変に愚直だったから、いろいろなものを経験し見聞きしわからないといけない、ということを先行させたのだなと思う。

今、古典や基本文献を読んだ方がいいと思うのは、むしろもう歳をとって、あまり遠回りをする余裕がないから、古典とか読んでチートに世界を理解した方がいい、というふうにようやく思えてきた、ということかもしれない。

まあ多分、古典や基本文献というのは、世界を知るためにどのくらい有効かはさておき、「その学問の世界」を知るためには「大道」だと考えていいのだと思う。学者になる人たちは皆、そういうことに最初から気づいていてしっかり積み上げてきてるんだよなあと思うとまあ私は要領が悪いということになるが、まあ最初からそういう道を選ばなかったので仕方がないとも思うし、まあ性格的なことが災いしたとも言えるし、多分そういう方向性を選んでいたらきっと早い時期にそういう試みに飽きてしまった可能性もあるなとも思う。

ただ人はそうやって「専門性」を獲得するわけで、学問において専門性というのは基本文献から始まってその研究史の流れを把握し、現在の最新研究まで押さえた上で、今取り組むべき課題は何かということを見定めて研究史に1ページを加える、そういうことができることだと思う。その専門性を獲得することによって大学に籍を得たり食べていくことができるようになるわけで、まあそういうことに自分は疎かった、ということでもある。

ああ、「専門性を獲得することで食っていくことができる」ということをちゃんと認識したのは実は初めてかもしれないな。本当にそういうことに興味がなかったんだなあと今更ながら思う。

まあ知りたいのは、獲得したいのは「世界を知る」ことであって「専門性」ではなかったのでまあ、仕方がないといえば仕方がない。ご飯を食べていくということは専門性とか「知る」というテーマとは別にアルバイトと言ったら何だが「食うための仕事」をすれば食べられる、くらいにしか認識してなかったから、ていうかそういう感じでまあなんとかなってきたというのも変な話というか効率の悪い話ではあるな。

話がだいぶ大きく、というか風呂敷がかなりデカくなってしまったが、もともと書きたかったことは何かというと、兎にも角にもとりあえずは学問的な本を読もうと思い、それなりには少しずつでもそういうものを読まなければという意識はずっと持っていたのだけど、それがしばらくずっと失われていたわけで、そうなったきっかけについて考えていたのだけど、それはやはり1995年の出来事だったな、ということなのだ。

私は就職してからも芝居はまだ続けていたので忙しくてあまり本は読めなかったが、学校の現実というものに触れて自分のそれまでの経験があまり役に立たないという現実がある一方、ゴーマニズム宣言やら何やら多様な考え方が提示されるようになってきて、そこに社会党政権ができてある程度の機体があったのに阪神大震災や一連のオウム真理教事件にほとんどまともに対応できてないのをみて、これまでの進歩主義的な考え方は根本的に間違っているのではないかと思うようになった。

今考えてみると、学問に対しても進歩的な色分けがされていた「既成の学問」への関心が薄れ、むしろ保守派系統の学問や表現の方に惹かれていったのだなと思う。思想的な転換に伴って、学問に対する認識もかなり大きく変わったなあと思う。

それからは白洲正子や小林秀雄などの文芸評論的なものを読んだり、右翼関係の書籍を読みあさったり、保守派系統の歴史家の日本近代史を読んだり、保守思想というものそのものの本を読んでみたりとそれなりにそっち方面のものも勉強したが、系統性という点において読み進めにくいというか、現代の保守と言われる人たちの本を読んでも3冊くらい読むともういつも言ってることは変わらない、みたいな感じになっていたし、左翼は左翼で運動性が強いがちょうど右派も拉致被害者問題が出てきて運動の高まりもあって、ただ相手もあるのでなかなか見込みの立たないことでもあり、根がニュートラルなこちらとは違い根っから保守(少なくともそう見せている)人が多いこともあって、どうも物足りなくなってきていた。

2008年に「The Artists' way」の邦訳を読んで自分の本当にやりたいことについて考え始め、改めて美術などを見始めるとともにアニメやマンガを読み始めて、これはハマった。ただ、自分が表現者になるわけでもなく、作品そのものが時代を切り開くというよりは時代の子的な作品が多く、またマンガ批評をするにしてもこれは先行して数十年間やり続けている人もいるから、それなりの専門性を確立してやらないと叶わないという面もあり、そこに賭けるというほどでもないなという感じで読者にとどまっている。

振り返ってみると、今年は2020年なので、もうそれから25年経っている。私が党派的な歴史観に深い嫌悪感を持ったのは80年台後半の南京虐殺・従軍慰安婦・靖国問題の三点セットだったが、流石にこれだけ年月が経ち、また左派もほとんど自滅状態、残骸化したこともあって党派的なものへのアレルギーもだいぶ消えてきたこともあるし、1995年以来のアンチテーゼとしての営為もそれなりにもうやることがなくなった感もあった。また、このコロナ禍で東京との間の往復ができなくなり、一貫して長野県にいる中で自分のやってきたことを見つめ直す時間も長くなったこともあって、たまたま台湾のIT大臣が読んでいたという話から「世界史の構造」を読む気になって読み始めたのだが、これが自分の「文系の学問」への関心を再び呼び起こすきっかけになった。

今読んでいるのは第2部第2章「世界貨幣」で、全体の132/495、全体の4分の1強なのだが、今まで読んだ感じでは柄谷が社会主義圏の崩壊という現実の変化を見ながら、自分の中で世界の学問を再びマルクスに依拠しながら再構築・体系化しようとしている試みに思われ、それ自体がとても面白そうに見えた。というか、それ自体がかなり蛮勇ではあると思うし、ただ私自身が浅学被災を顧みずそういうことをやってみたい人なので、その辺羨ましいと思ったし、改めて自分が学問が足りないことを自覚した。だから、もう一度いろいろ読んでみようという気持ちになったのだ。

柄谷のマルクスへのこだわりは、逆にいえば壮大な構築物を作るために自分の基礎を固めるという行為でもあるのだなと思うし、私自身の中にそういう体系を構築し直すというのは楽しそうなことだなと思う。こういう試みは柄谷だけで終わりにしてはもったいないし、自分なりに森羅万象を知っていく手段として、様々なものを読んでいきたいと思ったのだった。

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