愛と感謝

Posted at 20/08/18

最近いろいろ考えていて、理路整然と説明できるようなことではないんだけど、哲学とか信念みたいなものが大切だなと思ったり、意識して思想的なものや哲学的なものに触れたりはしているのだが、今朝ふと思ったのが「愛と感謝」とかいう言葉、最近あまり見てないなということで、それは私がTwitterばかり見ているせいかもしれなくて、Facebookとかでは日常的に使われているのかもしれないが、でも自分が読む文章でもあまりそういうのはないなと思ったりして。

80年代とかは、「愛」とか大安売りだったし、ラップが出てきた頃は皆「マジ感謝」してたし、まあ愛と感謝といえば宗教みたいな感じはするけど、社会にないとやばいものではあると思うんだが、ネオリベ全盛でそのイキリとそれへの呪詛みたいなものばかり読んでいると、やはりなんか渇いてくる感じみたいのがあり、仏教的なしみじみ随筆じゃないが、「鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ」の坂村真民とか、相田みつをとか星野富弘とか金子みすずとか宮澤賢治とか、「文学」や「文学史」では語られないけど確実に各時代、各地域に存在感を持った人たちが、やはり「愛」とか「感謝」とかを語っているんだよなあと思ったり。

カント以来、キリスト教と縁を切っていなければ「哲学」ではない、みたいな言説を読んでちょっと感心したのだけど、だからマザーテレサの言うことは信仰や信念ではあっても哲学ではないのだなと思ったりして、でもキルケゴールは?と考えるとその考えもどうなのかなと思ったが、神も相対から絶対へという思考があって初めてのことなので、まあ哲学ということになるんだろうなと思ったり。同じように、仏教や土俗信仰や神様への信仰なんかが素朴な形で入ってくると「文学」ではない、と日本では思われてるんだろうなと思いあたり、しかしそうなるとそういう文学に何ほどの価値があるのか、ということは難しいなとは思うのだが、とにかくそういう意味でもどういう意味でも、「愛」とか「感謝」というのはちょっと考えたくらいで思う安直なものではなくて、もっとのっぴきならないものなんじゃないかと思い直していた。

台湾のデジタル大臣オードリー・タン(唐風)氏のインタビューを読んでて柄谷行人の「世界史の構造」が出てきて、ちょっとツイートしたら台湾や韓国での柄谷の影響力は特にこの本によって強いものがあるというのを知り、かなり意外の念に打たれたのだが、正直割と今更柄谷でもないし特に専門外の歴史や交換論に踏み込んだものに価値があるのかと冷笑的に見ていた自分をちょっと反省して、読んでみてもいいかなと思い直した。ちょうど欲しいマンガもあるので、近くの書店に見に行ってみようと思う。なければAmazonになるけれども。

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by Luke Peterson

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