歳の差婚と歳の差恋愛

Posted at 20/07/12

この頃考えていることについて、二つ目。歳の差婚。

マンガには時々歳の差のある男女の恋愛、ないし結婚のようなことがテーマとして取り上げられることがあるけれども、私自身は基本的に誰が誰と恋愛しても自由だし、結婚しても構わないという考えなので、こういうテーマでも大抵は特に考えることもなく楽しんでいるのだが、最近は年の差のあるカップルに対して風当たりが強い傾向が、特にネットを拠点に発言するフェミニスト等から、強まっているように感じている。また彼ら彼女らの活動のせいか、一般にもそういう意識が強まっていて、昔の「近所に30過ぎた男が独り者で暮らしているなんて気持ち悪い」と言った雰囲気が復活しつつあるのかなという感じさえすることもある。

年の差のある恋愛を扱ったものはたくさんあると思うが、三つほど考えてみようと思う。一つ目は眉月じゅん「恋は雨上がりのように」。
この話は、怪我により陸上部で活躍する夢が絶たれた女子高校生が、たまたま入ったファミレスの中年店長の新設をきっかけに彼が好きになり、そのファミレスでバイトするようになって、彼にいろいろな形でアプローチしていくが、結局は店長に諭されて日常に復帰し、また陸上で活躍する、みたいな話だ。

このストーリーはもともと月刊スピリッツで連載されていたのが評判が良かったのだろう、週刊スピリッツに移籍して10巻まで出ている。少女が店長やファミレスの人たち、また店長の子供などと関わっていく中で大人の世界を知ったりスポーツ系の自分とは違う文学青年だった店長の過去を知って近づこうとして失敗してみたり、様々な経験をして、告白するが受け入れられることなく、おそらくは納得してその世界から去っていく、全体構成からすればそういう話のように思われる。

この話はそういう意味では子供を危険にさらさない、いわばポリコレ的にセーフな線を狙った作品だ、という印象を今は持っている。それがいいとか悪いとかではなく、そういう線で収めた作品だと。

少女の方は純粋に好きだという気持ちでアプローチしてくるけれども、店長の方はそこにみずみずしい若さの輝きを感じ眩しくは思いつつも、結局は自分の場所に受け入れることを拒否する。そういう意味で「大人」という立場で持って「子供」を拒絶する話である、というふうにも考えられる。

私はこの店長の考えがどう変化して普通の意味でのハッピーエンドになるのかというのが楽しみだったのでちょっとがっかりしたのだが、まあ今まとめてみると最初からそういう作品だったのかもしれないとも思う。まあそれならそれでいいんだけど。

この作品のラストではTwitterなど見ていると私などのようにがっかりする人もいれば、「中年と高校生のカップルの成立はきもい」とか「法的に許されない」とか「そんなことを期待する奴はロリコン」的な批判と嘲笑を加えてくる人たちもあり、現代では少なくとも後者の方が勢いを得ているのだなということはよくわかった。

まあ私としてはそういう流れに抗して「誰と誰が恋愛しても自由」という話になると思っていたのでがっかりした、ということではあるが、まあ話をどうまとめようと作者の勝手なのでそれはそれで仕方がない。

まあ現代の流れはそういうことなのかな、つまらない時代になったなと思っていたのだけど、最近読んでいるマンガでまた違う結論になりそうな話が二つあった。


 

一つは田島列島「水は海に向かって流れる」。(以下内容をまとめているので未読の方はご注意を)主人公の高校生の直達は、叔父の住むシェアハウスに住むことになり、迎えにきた同じシェアハウスの住人の社会人の榊さんと知り合うが、いろいろなやりとりがあるうち、過去に直達の父親と榊さんの母親が不倫して失踪し、直達の父親は戻ってきたが榊さんの母親はいまだに行方がわからず、それをきっかけに榊さんは自分は恋愛しないと決めている、ということを知る。

榊さんへの思いや自分の両親への思いなどを背負いながら、直達の父親の配慮により突き止められた榊さんの母親の居場所に、二人は会いにいくのだが、結局二人は親たちを許すことができないままだが、二人の気持ちは通じ合い、帰ってくる。(まあここは簡単にまとめすぎだな)そのあともいろいろあって最終回はまあハッピーエンド。7月9日発売の別マガで完結しました。

この話でも、榊さんは直達が自分のことを心配し、思っていてくれることを嬉しく思うけれども、年齢差のあることをかなり気にするのだが、最終的には直達の真っ直ぐな発言にぐうの音も出ず、陥落するという感じだ。

これは女性の方が年上ということもあるけれども、直達がかなり超絶頑張って榊さんの心をほぐしていくところが読みどころになると思う。最後のセリフを読んだ時には本当にほっとしたのだけど、これでようやく「恋は雨上がりのように」の呪いが解けたように感じた。いや、作品に呪いがかけられたわけではなく自分が自分にかけてただけですけどね、為念。
そして最後は大詰めを迎えつつある板場広志「社畜と少女の1800日」。中年サラリーマンでアニメ・ゲーム関係の制作会社に勤める社畜の東根は、ある日突然高校時代の同級生・君島の娘の優里に「なんでもするから住まわせてほしい」と頼み込まれる。最初は戸惑ったものの大人として面倒を見ることを決めた東根はトラブルもありつつも一緒に生活していくが、警察に通報されて一時は離れ離れになったが後輩で上司の女性・桐谷の尽力で再び一緒に住めることになる。優里の母親の死にも立ち会うことになり、一緒に生活する中で優里のなかで芽生えた恋心の訴えを最初は拒絶するが結局は受け入れることになる。しかし、今までの自分の姿勢との折り合いの付かなさに迷っていたところ、桐谷に本当は彼女に執着しているのに「あの子を抱く勇気がないだけ」ではないかと指摘される。

というところまでの展開。基本的にはこのままハッピーエンドになるとは思うのだが、やはり東根の沸きらない態度は不安要素で、桐谷の直球の指摘、それも内角高めの豪速球のような指摘を東根がどう受け止めるか、というところがワクワクする。あと、気になるのは「1800日」という日付限定の部分で、そこをどう解釈するかなのだよな。

まあここのところは、「恋は雨上がりのように」とは違い、ちゃんとそれを受け止めて欲しいと思うし、それに対する答えは聞きたいように思う。

考えてみれば、もっと以前にもっと問題作があった。小路啓之「ごっこ」だ。これはもともと自暴自棄になったロリコンの青年が幼女を誘拐し強姦しようとするところから話が始まるが、結局は彼女を親として育てることになり、彼女を虐待していた母親を殺してしまうが、最終的にはその罪を償うために刑務所に入るものの、成長した少女が刑務所に迎えにくる、という話だ。


 

これはかなりフィクション性が高いし一番大きな問題が年齢差ではないので、流石に一般的な例として語ることはできないが、同年代の恋愛ものの「来世であいましょう」と並んで早世された小路さんの代表作だと私は思っている。

まあいろいろと生き苦しい時代ではあるけれども、せめて好きな人同士が一緒に人生を送れる世界であって欲しいなと、いうのがまとめといえばまとめかなと思う。

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