ヒスイの神と巨石信仰

Posted at 20/06/03

朝、セブンまで歩いてマガジンを買い、帰ってきて一度汗を流し、今日は松本に出かけるので遠くに行くのはやめにしてそこら辺を回って帰ってこようと思い、車で茅野の方に出かけた。どこに行くというあてもなかったので道なりにまっすぐ車を走らせていたら御座石神社前という交差点に出たのでそこを曲がり、近くのセブンに止めて水など買ったのだが、そういえば御座石神社というのはどこにあるのかとGoogle マップで調べると4分ほどのところにあるというので少し歩いてみた。

割と鬱蒼とした森はあるのだが幹線道路二つに囲まれた角にあって、本当はもっと山の方まで神域が広がっていたのだろうなあと思ったのだが、ここは昔で言えば矢ヶ崎村(現茅野市本町)の端ということになるのだろう。

祭神を見ると高志沼河姫とあり、御座石とは諏訪大社に祀られている建御名方命の母親である高志沼河姫、つまり大国主命の妻の一人が建御名方神に招かれて諏訪にやってきたときに座った石だということだった。関連して石がたくさん祀られていて、その中には沼河姫が乗ってきた鹿の足跡が残った石とかもあり、アシタカかと思った。というか、宮崎駿監督が「もののけ姫」を制作したときのイメージの一つに沼河姫があったのかもしれないと思う。

沼河姫は高志の神だということで、私のイメージでは越国、その中でも越前福井県あたりと思っていたのだけど、ググってみるとこれは糸魚川のあたり、越後の神と考えるべきであるようだった。糸魚川から姫川を遡って信濃に至るルートは古代の交易路とされていて、建御名方神もこのルートで諏訪にやってきたとされているようで、そうなると大国主神が糸魚川に沼河姫を訪問して結婚した後、生まれた建御名方がそのまま諏訪にやってきたとしたら国譲り神話のように出雲で建御雷神と争ったというのは後で付会された神話なのかもしれないと思ったり。この辺もいろいろ研究してみると面白そうだと思った。

2016年に日本の国石に翡翠(ヒスイ)が制定されたそうだが、(他に水晶もあるらしい。御木本パールがあるのだから真珠も入れれば良いのにと元三重県在住者としては思うが)ヒスイの産地といえば圧倒的に糸魚川であって、この交易が盛んだったということだろう。長野県には他に下諏訪の和田峠に黒曜石が産出し、これらも縄文時代から交易で日本中に運ばれているので古代の交易というのは石の道みたいなものだったのだなと思う。ヒスイは玉(ギョク)とも呼ばれ、「嗚呼玉杯に花受けて」の玉だが、日本では奈良時代以降は「見向きもされなくなった」そうで、国内産地があることも不明になっていたという。再発見は1938年(昭和13年)だそうで、ちょっとそれも驚きだ。

万葉集に「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳)という歌があり、沼河姫はこの地の翡翠を支配する祭祀女王であり、何代も同じ名を名乗ったのではないかという研究もあるようだ。そしてこの歌をもとに地元にヒスイの産地があることを推測したのが糸魚川出身の詩人・相馬御風で、中学以来の同窓に小川未明がいるそうだが、こういうことも調べ始めると面白い感じがする。御風の推測をもとにヒスイの発見につながったそうで、この辺りは戦前のおおどかな感じがある。

そんなことを思いながら帰ってきたのだが、沼河姫はヒスイの神なので、諏訪にやってきても宝石ではないにしても石が神聖なものとしてこの神に関連づけられているというのが面白い。私が今いる家の近所にも「イボ石」という巨石があり、諏訪には巨石信仰みたいなものがあったとは思うのだが、それがはっきりと現れているのがこの御座石神社なのだなと思った。

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by Luke Peterson

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