塩野七生さんとか聖徳太子とか知識のアップデートとか
Posted at 19/11/11 PermaLink» Tweet
ツイッターでの会話で昔書いた塩野七生さんに関するエントリ(塩野七生が叩かれる理由)を思い出し、今読みなおしてみたのだけど、今では自分も少し違う見方になっているなということを感じた。
塩野さんが以前の学者からはかわいがられ、今の学者からは攻撃される理由として、私は三浦雅士さんの文章に触れつつ、「制度としての学問にこだわるか、人間存在そのものを問うために学問を使うと言う立場に立つかの違い」が対立の理由だ、というふうに解釈していたけれども、自分としてこの対立ならば後者の側に立つかなあというのは変わらないにしても、塩野さんには塩野さんなりの問題があるというふうに思うようになっている。
先日亡くなった池内紀さんが『ヒトラーの時代』という中公新書を出し、ドイツ現代史研究者の田野大輔氏らにその内容を批判されていたけれども、田野さんの批判は要は「近年の研究をほとんど踏まえていない」ということが最大の論点になっていて、それは塩野さんの著書に対しても当てはまるなと思うようになったからだ。
「ローマ人の物語」を私は全巻文庫で読んだのだが、やはり白眉は「ユリウス=カエサル」上下のあたりで、塩野さんがカエサルのビルトゥ(徳・力量・器)を高く評価していてそれは私にも異論はないしカエサルのような人が今にいれば、ということは思ったりするのだけど、古代ローマ史については私も知らないことが多く、半ば勉強のつもりで読んでいるところは多かった。
私は基本的に塩野さんの著書のファンで、ルネサンス関係の本は大体読んでいる。彼女の描く『物語としてのルネサンス世界』はマキャベリ的な権謀術数に満ち、とても面白く刺激的に読んでいた。
ただ、その続編というか続きの「ローマ亡き後の地中海世界」でどうも「サラセン人海賊」が一方的に悪者に書かれているらしき印象を得て読む気を失い、というかそういう理由で読んでないので本当の中身は知らないのだが、イスラム史もそれなりに読んで来た身からするとちょっとその角度の見方はどうかと思ってしまっていた。
その後の塩野さんの著作はほとんど読んでいなくて、ただ、イタリアやルネサンス時代のことに関する見方から現代の日本のあり方の批判に至るあたりはその積み上げられたものの多さや独特の見識を感じて『文藝春秋』のコラム的な文章などは時々読んでいた。
そういう面で歴史学者の方々からの塩野さんに対する批判は「物語ないし小説なのに歴史書の体裁を取っているので歴史学的な誤りがあるのに一般の人々は歴史書として受け取り誤解を招いている」ということが主であったけれども、現代の歴史学者にとっては「自分たちの研究成果がほとんど取り入れられていない」という批判もあっただろうと思う。
西洋古典学研究はここ数十年でかなり根本的な批判的研究が進展していて、塩野さんの依拠している塩野さんが学んだ時代の研究とは違う面からの研究がかなり進展していて、私もよく知っているとは言えないのだが、古い研究や従来の見方そのものに対する批判が行われているようだ。
そうした研究の新しい地平を踏まえると、古い研究水準を踏まえて書かれた『物語』はやはり問題が多いということになるだろう。
勿論、「明智光秀はなぜ織田信長を討ったのか」という理由など、歴史学的には今でもわからないとしか言いようがないものについて小説というものは自由に想像で描くことができるから、それを歴史学的な議論に乗せるには前提が揃っておらず批判に耐えない、という研究者側の感覚ももちろん理解できる。そしてそれを「歴史」と受け取った諸学者、特に『ローマ人の物語』で歴史に興味を持った地位も金も権力もあるお年寄りに無邪気に尋ねられて無礙に否定もできずに苦々しく思っている研究費の確保に苦しむ現役の学者の憤懣は、同情に値するだろう。ただそれは、たとえどんなに権力を持っていようが「素人というものはそういうもの」であり、誤りを指摘していくしかできないことは言うまでもない。
池内紀氏のような碩学であっても、新しい学問動向への目配りとアップデートがおろそかになるとそれだけの「誤り」を見過ごし、強い批判を受けることはやはり他山の石とすべきで、本当に学問のアップデートというものが重要だということは強く感じる。
ただ、新しい学問のやっていることが常に妥当かというとそれはまた別の問題で、特に日本史はいまだにイデオロギー的な解釈が古代史や近現代史にはあると感じている。
特に『聖徳太子』を「厩戸王」とする記述が多いのは私自身では強い問題を感じていて、歴史上長い間「聖徳太子」として扱われてきた人物を名称を変えること自体の必然性が理解できないのと、もしその称号の妥当性を云々するのであれば、「王」でなく「皇子」として書くべきではないかということだ。この名称の選択に関しての研究はきちんと読んでいないのでそれこそ私自身のアップデートが不十分だということはあるのだが、少なくとも日本書紀に「厩戸王」の記述はなく、「厩戸皇子」ほかの名称しか出てこないのにこの「王」という文字が選択されていることには疑問を感じているのである。
「日本書紀巻第廿二推古天皇」
「日本書紀巻第廿二推古天皇」
というのは、古事記や日本書紀において「王」の文字が選択されているのは忍熊王や香坂王、あるいは眉輪王などの例があり、これらの王は正統な天皇に叛逆したり弑殺したりしているからだ。もちろんそうでない人物もいるが、それらは聖徳太子ほど重要な人物とはされていない。
このあたりの名称選択について論じたものをきちんと読んでいないのでいまのところ「個人的に疑問を持っていること」以上のことは言えないのだけど、「皇国史観の残滓」を否定しようとし過ぎるあまりの暴走のように感じる面もある。
このあたりはまた別の問題になるのでこういう疑問を感じているということを提示するにとどめるが、やはり知識のアップデートの重要性と、しかしそのアップデートが返ってバグを増やしてないかということに対する検証は、常に行っていくべきだと思う。
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