オカーシャ「科学哲学」が面白い/ポストモダンから30年

Posted at 19/11/08

科学哲学 (〈1冊でわかる〉シリーズ)
サミール オカーシャ
岩波書店
2008-03-25



昨日はアマゾンで届いたオカーシャ「科学哲学」(岩波書店、2008)を読んでいたのだが、とても面白い。まだ第2章「科学的推論」の途中で全体としては36/194ページなのだが、ここまでのところでガリレオの先駆者としてのすごさ、ニュートンの体系の意味、アインシュタインの業績は相対論に止まらないことなど、科学史的な理解も深まったし、ポパーの反証可能性を絶対視する議論への批判とか、帰納法をどのように位置付けるべきかの議論など、読んでいて快哉を上げたくなる内容が多く、充実した読書になったように思う。こういう本を読みたいのだよなというような本。そうなるのは、もちろん内容もよく原著の文章も巧みだということもあろうし、訳者が達意の日本語を書いてくれているということもあるのだろうと思う。京大の科学哲学では最初にこれを読ませるという話があったが、少し頭が良ければ高校生でも十分読める内容だと思うし、科学や哲学に希望を取り戻せるような気がする本だと思った。

私の科学史科学哲学の知識というのは80年代前半に村上陽一郎先生の授業を聞いたり本を読んだりしたのが基盤なので、ネオプラトニズムとかどちらかというと魔術的な興味みたいなものに惹かれている側面があったのだけど、この本はストレートに現代科学の祖になることで構成されているようで、それはそれでわかりやすい。というかこの30年でもこの分野の研究はずいぶん進んでいるのだなと思う。

また、80年台のニューアカデミズムというかポストモダン的な考え方の影響みたいなものもだいぶ少なくなってきているのだなという感じもするし、それは他の学界においてもそうなんだろうと歴史学者の方々のツイッターを読んだりしても思った。

今になってみると、現代を理解するための補助線として近代だけでなく中世や異世界のことについて考えてみるのは十分意味があったと思うが、現代のその先としてのモデルに中世などがなるというのはやはり現在ではあまり妥当性を感じなくなっていて、なるべく近代の枠組みの中で改善を考えた方がベターなんだろうと思うのだが、ただ科学でのみ人間性の根源が理解できるわけではないという点では最近の動向の限界みたいなものもやはりあるわけで、ただそちらの方に付き合う余裕が社会というか世界になくなっているという面はあるのだろうと思う。またそのうち大きな思想的変化が起こる可能性もなくはない気はする。

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