叙事詩としての「キングダム」

Posted at 19/10/17

ヤングジャンプ連載中の原泰久「キングダム」は、既刊が55巻、話数としては2019年10月17日現在で618話まで公開されている。連載開始は2006年なのでもう13年になるが、私が読み始めたのが2016年第41巻あたりからで、それからでもすでに14巻が出ている。
様々な戦いが繰り広げられてきた中で、いよいよ中華統一に乗り出すことを趙の李牧に対して宣言するのが45巻、そこから戦争準備を始めて(なので今活躍しているキャラは45巻あたりに新登場した兵士たちも多い)46巻でついに趙の重要都市・鄴に向けて進軍を開始する。その戦いはもう連載2年以上続いていることになる。

そして大将同士の最大の戦いである朱海平原の戦いが始まるのが48巻519話なので、ほぼ100話2年以上、この十数日間の戦いの描写が続いていることになる。

そして戦い最後の日の15日目が始まったのが55巻601話。その中でお互いの駆け引きや武功が積み重なれ、敵も味方も多くの死傷者を出し、長期間描かれてきた戦友が死に、敵の勇将もばたばた倒れ、味方も大きなピンチを迎え切り抜け、そして様々な台詞が交錯していく。ここにきてこの作品は本当の意味で長大な叙事詩的な性格を帯びてきたように思われる。

今週の主人公は少女軍師・河了貂とそれを攻める趙将・金毛、そして河了貂を守ろうとする秦軍の弓矢兄弟、蒼仁と蒼淡。人を射てなかった蒼淡が兄と貂を守るために強弓を射つところは胸が熱くなる。そして金毛の死の時に貂と会話を交わす。戦争とは何なのか、特に他国にとっては侵略戦争に他ならない中華統一戦争とは何なのか、という問いがこの作品に叙事詩性を持たせているのだろうと思う。

まだここは戦いの一部分に過ぎないのだけど、今週はとても感銘を受けた。

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by Luke Peterson

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