ツイッターのバズるネタとか授業のコツとか

Posted at 19/10/06

今日は昨日ツイッターで投稿したツイートが妙にバズり、一日中通知が止まらなかったので出かけて帰ってきてからブログを書くつもりだったのにそのままずっとツイッターを見ていてしまい、更新が遅くなってしまった。

最近だんだんツイッターでバズるネタが分かるようになってきたのだけど、自分にとっては当たり前のことなんだけど少し前のこと(1990年代くらい)のことで若い人はもうあまり知らないようなことを書くと割と意外だと思われるのか、結構バズる。

それから、意見が分かれるようなことで自分が信じてるというかいいと思ってる方の意見をズバッと書くと賛否両論が返ってくる。まあ否の方がどうしても多くなるのでこれはある程度のメンタルの強さは必要だけど。

ただ、そんなことばかりやってても面白くないので普通のツイートや空の雲の写真とかも流しているが、バズってる時はそっちの方も見てもらえるので面白い。

なかなかブログのアクセスにつながらないのは残念だが、まあブログの方はそういうことについては今のところ書かないことにしているのでそれは仕方がないのだけど。

ちょっと思ったのが、自分が教員をやっていた時のこと。

どうしても記憶の中ではうまく行かなかったことが残ってしまって凹むことが多いのだけど、若い先生とツイッターでやり取りして、自分がどんな授業を目指していてどんな先生になりたいと思っていたか、ということを思い出して、ちょっと懐かしくて胸にあたたかい気持ちが湧いた。

授業をうまくやるコツみたいなことを少し書いたのだけど、

「授業のコツって、時間に対して多すぎない分量、授業の中で山をどこに持ってくるか、語りと板書のリズム、笑わせるところと聞かせるところのバランス、まあつまりは大きな意味での間の取り方だと思います。100用意して80は捨てる。その20は最初からの20とは違う。」

なんて書いてみて、ああ、教育実習の時に恩師の先生に言われたことを今でも覚えてるなあと思ったり、

「私が高校で教えていたのは1989-99の10年間なのでだいぶ前のことですが、板書はすごく練習しましたよ。世界史だったから横書きですが、黒板の中で文字をどう配置したら読みやすくなるのか、章・節・項の文字の大きさを変えたり、必ず左を綺麗に揃えたり、いつも考えながら工夫してました。

 私が高校生の時の世界史の先生(教育実習でもお世話になった恩師)の板書がとても綺麗で、いつもそれを目標に板書を書いてましたね。生徒が後でノートを見たらそれだけで十分テスト勉強ができるように。私は板書は割と授業の肝だと思ってるのでつい語ってしまいますが、字は上手くないので極力丁寧に書いていただけですが、それで十分だと思います。」

とか書いて、ああ、そういえば「私は板書の上手い先生になりたい」と思っていたんだな、ということを思い出した。

あとからノートを見ただけでテスト勉強になるように板書をするには、当然ながらノートをあらかじめかなり練り上げておかなければならないし、板書の書き方もかなり工夫しながらやらなければならないし、また字は上手に書けないまでも丁寧に書かなければならない。結構気を使うのだけど基本的に板書というのは「消えもの」なので、後に残らない。ノートに残るだけなんだけど、ノートの方は直接生徒に伝えるものではないから、リハーサルとか台本にすぎないところもあって、板書自体が残らないのはちょっと残念だと思う面もある。

あとの授業の工夫は大判(A2くらい)の世界史の写真資料を校費で買ってそれを紙芝居みたいに使っていた。

高校だとこういうことができるのだが、短大でやった時は板書も黒板ではなくホワイトボードだったのでやり切れないから、プリント穴埋め授業だったな。板書はできないので要点をまとめたパワーポイントを使ってたけど、パワポは板書ほどうまくできなかった。やはり黒板にチョークで書いた方が魂がこもる感じがする。

短大も2008年には自分が持っていた授業がなくなったのでその年限りになったのだが、この辺はいろいろな経験が出来て良かったなと思っている。

ちょっと昔のことを思い出して授業のやり方を書いてみた。現役の人が読んでるかどうかは分からないけど、お役にたてば幸いです。

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by Luke Peterson

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