自分はどう生きていくか:第1の段階から第4の段階まで
Posted at 19/09/09 PermaLink» Tweet
自分がこれからどう生きていくかについて考えていて、一つのイメージは自分が関わるものすべてのCEOとして差配していくイメージがある。まあそれはイメージであって実際には自分が動かなければ何もできないのだけど、それぞれの各部門の担当者が自分の中にいて、それらを討議しながら話を進めていくイメージでそういうものがある。それは一つの会社ないしは活動体として自分をとらえるイメージなのだけど、人間というものはそういう考え方だと前向きの目標実現を目指すためだけの存在であるかというとなかなかそうでもないところもあるわけだ。
そのそうとばかりは行かない第一のところが、人間は身体を持っているということで、身体的事情を越えたことはできない、もちろんそれを超えるために様々な文明の利器があるわけだけど、しかし非と一人のできる範囲はそれらがあっても限界まで拡張することは可能であるにしてもできないことはやはりある。また、私はもともとけっこう体調の波があるので状態を維持していくのも大変だし、あるところでメンタルが結構危ない時期もあったし今でもかなり忙しすぎてどうにかなりそうな感じの時もあるからメンタルをどう維持するかということもだいぶ課題ではある。そしてそういう意味ではメンタルと身体は関わりあっていて、その辺の維持には自分なりにかなり気を使ってはいる。
もう一つの問題は人間は心を持っているということで、これは上に書いたいわばメンタルヘルスの問題とはまた違う問題として意識した方がいい、というかこれがうまく行けばメンタルヘルス的な部分もかなりコントロールしやすくなるとは思うが、ということとして心の問題がある。つまり、どんな生き方をするか、ということそれ自体の問題だ。
私は割と子供みたいなところがあって、生き方というとどんな職業を持ってどんな仕事をしてどういう達成を目指して、みたいなことしか眼中にないところがあった。しかし今ここにきて考えてみると、どんな職業でどんな仕事をしても生き方そのものは様々だという当たり前のことに気がついたりする。
昨日『BARレモン・ハート』34巻を読んでいたのだが、その中に化石の発掘のために会社を辞めてマダガスカルに行ってしまうOLとか、さまざまな職業を経てゴルフのレッスンプロになった女性とかが出てきて、現代ではそんなに職業を転々としていたら行き詰ってしまうだろうと思ったけれども、少し前の昭和の時代なら全然そういう人は珍しくもなかったわけで、ある種の理想論だと今では言われるだろうけど、人はもっと自由に生きたっていい、ということを改めて思ったのだった。
大事なのは好きなことをやり続けることそのものなのかもしれないと思う。好きなことそれ自体は何だっていいしどんどん変化してもいい、という意味で。いろいろなものに手を出してもなかなか身につかないということも多いのだけど、好きなことをやり続けていないと好きなことを見つける感度みたいなものが落ちてくるということは思う。
鴻上尚史さんの人生相談で「こんなことをしていていいのだろうかと思った時が才能がなくなった時」という言葉があったが、これは割とそうだと思う。それに熱中できなくなったからそういうことを考えるわけだから。
仕事をしっかりやる一方で自分なりの研究を続ける人に関する記事が出ていたけど、研究という仕事は実際には生活に追われないでやった方が成果が上がるに決まっているのできちんとしたポストにつくにこしたことはない、というのを前提としたうえで、そうできなくても続けることはできる、ということはよいことだと思う。やりたいこと、好きなことをやっていくというのは大事なことだと思う。メンタルにいいということだけでなく、いやなことをやるよりは成果が上がりやすいという意味でも。
もう一つ思ったのは居場所の問題だ。どんなことをやっていても、これはたとえ好きなことをやっていてもそうでないことをやっていても、それに没入してしまうということがある。没入してしまった時に、というか忙しい時にはその仕事に没入せざるを得ないときが多いわけだけど、それが終わった時に返ってくる場所があるかどうかということ。これは「アクタージュ」の最近のテーマであるわけだけど、それは友人だったり仲間だったり、自分が本当は、ないし日常はどんな人間だったかを思い出せる、そういうよすがになる場所、あるいは人があるかどうか、という問題だ。思うに、これは日本人の特に仕事に没頭している人の中には貧弱になってしまうことがありがちなことだと思う。これは人によっては趣味の世界だったり、あるいはマンガやアニメなどのおたくの世界だったりすることもあるかもしれない。ストレスなく没入できる対象とか、リラックスできる関係であるとか、心を自由にできる場所であるとか、そういうものが人間にとっては必要なのだと思う。没入した後に返ってくる場所が必要な仕事は、アートであるとか演劇であるとか、あるいは数学者の数学であるとか、必ずあるだろう。様々な不確かな領域に踏み込む仕事には、必ずそういう場所が必要だと思う。
最後に考えなければいけないのは、今言ったようなこと、つまり確かな居場所から旅立って不確かな領域に入っていく仕事こそが、人間を進歩させ、人間の活動領域を広げてきた、ということ。人に生まれたからには、どうしてもそういう仕事をしてみたいという思いはある。今まで表現されてこなかったことを表現し、あるいは思いもつかなかった新しい表現を見つける。私は今まで表現とは後者の方だと思っていたが、考えてみたらそうじゃない、確かにあるけれども表現されてこなかった、そういうことがいくらでもあるわけで、それをいかに表現していくかのほうがずっと大切だと思えてきた。
数学や科学で言えば今まで未解決の様々な問題を方法を探りながら解を見つけていくことだろう。それは問題のとらえ方自体のセンス、方法の立て方のセンス、鍛えられる部分もあればその人そのものの個性に由来するとしか言えない特異な方法論みたいなものに依拠するものもあり、つまりは自分を表現していくことが新たな発見につながる、というようなことなのだろうと思う。
芸術表現に関して言えば、何十億人もいる人間がそれぞれ抱えている問題は違うから、その人たちそれぞれが救われる、思いが昇華される表現はそれぞれに違うわけで、しかし人はみな己の生きることで精一杯だから、自分の本当の問題、深いところにあるたましいの救いの問題や、自罰感情に囚われている人の檻を開ける鍵になるような表現、すべてが満たされているはずなのに何かむなしいと感じている人たちにある一定の魂の目指すべき方向を示す表現とか、必要なものは数限りなくあるだろう。
ある表現が流行っているように見えるのはそれを必要とする人たちが多いというだけのことで、誰もがそれを必要としているとは限らない。
だから、表現者はある意味自分では自分の魂のありかを見つける努力をする余裕のない人に、こういうのもある、ああいうのもある、というのを提供する人たちであるともいえる。見る人・聞く人・読む人に代わって、自分の魂を削るのが表現者の仕事だということになる。
そのあたりのことを書いているのが最近の「ダンス・ダンス・ダンスール」で、とにかく怖いくらいだ。潤平が岩井とバシュラールの踊りのDVDを見て、自分のことを知るために思いついたことをとにかくメモし続けていたら、「書いた先から意味が蒸発して無くなっちゃうんです」という。これは怖い。部屋の中にはカスみたいなメモがいっぱいになり、でもその部屋こそ自分で、また消えていった意味も自分で、と分らなくなっていく。そして指導者の中村は潤平のダンスを見ることで、自分が封印してきた様々な屈託、さまざまな自分自身の蹉跌を思い出してしまう。嫌悪感を持った中村は岩井に彼の明るさを壊したくないというが、岩井は「芸術とは、心病むものには救いになり、心健やかなものには問題提起になる」という。
「私は所詮振付家だからね。彼自身もまだ知らない彼自身を引き出したい。そして魂を削り芸術を体現する真の踊る歓びを知って欲しい。そこでやっと振り付けも作品となり得る」
この辺はアーチストたるもののある種の悪魔性を表現していると言ってもいいわけで、ただ楽しさから踊り続けていた潤平が表現の真の恐ろしさに目覚めつつ必死でそれと闘っているさまがよく表現されている。
思いついたことをすべてメモにするというのは私もよくやっているのだが、そのメモは手掛かりにはなるが確かに本当に描きたいことは既にそこにはない、ということは往々にしてある。逆に言えば、言葉にはならないからこそさまざまな表現手段があるわけで、意味が消えてしまうということが意味のないことではない、それが本当に大事なことならどこかで表現される、あるいは創作者が手放していないはずだから。
岩井は潤平をそういう底なしの表現者の道に導きいれた、そして逆に言えばそうでないとこの世界で本当には生き残っていけない、ということを伝えたかったのだろう。
自分の身近な世界から、人類未踏の世界まで、それはすべて自分という道の中でつながっている。あるいはすぐそばにある。自分という道の中では、距離は無意味に等しいのだから。
自分の生き方、というのをこんなふうに段階を追って整理できたのは初めてかもしれない。まあ書いてみないとわからないことはあるなと思う。いろいろな段階の問題を一つの土俵で考えようとしたから混乱していたこともあったんだな、と思った。
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