「東京卍リベンジャーズ」:ドラケンと三ツ谷/ルクセンブルク家について調べる/ちょっとした環境の変化で人間のあり方が変わる

Posted at 19/08/21




水曜日なので、散歩に行くついでに少年マガジンを買ってきて読んだ。今日印象に残ったのは「東京卍リベンジャーズ」だな。ドラケンと三ツ谷の出会い。ドラケンのタトゥーの起源がわかってそうか、と思った。三ツ谷のセンスもなるほどと思うし。「たった一回の三ツ谷の家出」にたくさんのエピソードを詰め込んで、東卍(トーマン)のメンバーの横顔が浮き彫りにされていくのはいいなと思った。もともとタイムリープで現代に戻った時が三ツ谷の葬式から始まっていたので、三ツ谷がフィーチャーされていくのは自然な流れだなと思う。しかしオシャレな不良たちだな。私が読んでて嫌な感じがこれだけ少ない不良マンガって初めてじゃないかなという気がする。

昨日二月革命の時のリュクサンブール委員会についてちょっと調べて、ついでにリュクサンブール宮殿について、なぜパリにルクセンブルクの名前の宮殿があるのかが気になって調べたのだけど、ルクセンブルク家の傍流のリュクサンブール=リニー家がフランス王に臣従し、その一族のピネー=リュクサンブール公フランソワが建てた邸宅(小リュクサンブール)とその敷地がアンリ4世の王妃マリー・ド・メディシスのものとなり、ニコラ・プッサンらが内装を手がけて豪奢なものを建てた、という流れがわかった。
ここでルクセンブルク家の家系が気になりだして、その先祖の10世紀の貴族・初代ルクセンブルク伯ジークフリートからWikipediaだけだが英語やフランス語・ドイツ語のものも追いかけて(つまりわかるところしかわからない)、皇帝の位まで上り詰めたハインリヒ7世から、最後のエリザーベト・フォン・ゲルリッツ(女公)がブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)にルクセンブルクを奪われるまでの歴史を追いかけてしまった。

その一族のリュクサンブール=リニー家はフランス王の臣下となり、本家が滅んだ後も存続し、リュクサンブール宮殿にその名を残した、ということのようだ。リニー家の方も追いかけ始めたが疲れたので中断している。

ヨーロッパの貴族というとハプスブルク家とかはよく取り上げられるが、こういう貴族の家系も追いかけてみると面白く、日本でも戦国大名の家系などがよく取り上げられているように、ヨーロッパ史でも取り上げてみると面白いんじゃないかと思った。もっとも私が知らないだけでそういう叢書とかもあるのかもしれないとは思うのだけど。

まあこの程度のことを調べるのも私の学生時代なら大学図書館で英語やフランス語の百科事典をひっくり返して調べなければならず(ていうか割とそういうことやってた時期があったな。私は西洋史だけど仏文科の先輩の人にそういうことに詳しい人がいて、随分教えてもらった)大変だったのだけど、今では割と簡単にそういうことがわかるわけで、歴史研究をするにも基本的な情報はかなり入りやすくなっているから、どんどん先まで研究ができるという利点はあるなと思った。

まあ現代日本は研究者にとって逆風の時代ではあるけれども、趣味でそういうのを調べるくらいならどんどんできるという利点もあるなとは思う。

CDプレイヤーを買ったことをきっかけにいろいろな自分の中に眠っていた好奇心ややりたいこと、というかもっと根本的なやる気みたいなものが出てきて、そういうものに自分で無意識にブレーキをかけていたんだなということがよくわかる。気がつかないところの環境を少し変えるだけで人間のあり方なんて結構変わってしまうものだなと思うし、そういうところは大事だな、気をつけていけたらな、と思っている。

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