『ダンスダンスダンスール』128話:動機と意思「なぜ自分がここにいるのか」

Posted at 19/07/22

『ダンス・ダンス・ダンスール』は、中学を卒業した潤平が最初に好きになったみやこと行く先が分かれ、次に付き合った同級生の黒島には別れを告げられ憎まれてしまい、それを後悔しながらもダンサーとしての道を進んでいく一方で、コンテンポラリーダンスの振り付けで「自分はなぜここにいるか、考えなさい」という問いを振付師の岩井に突き付けられる。
そして「なぜそこにいるのか」という問いとして見せられたカザフスタンの15歳のコンテの演者の目は、バレエしかない、ダンスそのものが生きることであるという流鶯の目であり、「芸術に、作品にするために、全身全霊でお前のすべてを見せられるか」という岩井の問いを思い出した潤平は、「全部を見せるも何も、俺ってなーんにもなくね?カラッポじゃね?」ということに思い当たる。

これは表現者としては常に突きつけられる問いで、私などもいまだにそこは常に自問自答があるというか、それを確かめながらでないと書くべきものを書けないような重い問いかけなのだが、この問いに15歳の潤平が答えなければならないというのはかなり過酷なことだなと思った。

しかし、バレエというジャンルは幼いころから始めないと間に合わず、また若いうちが華であるという点において、ピアノなどの音楽や絵画などの芸術よりも、また俳優など年を取ってからも演じられる舞台芸術よりも、さらにはるかに苛酷な早熟性を求められるわけで、この問いに潤平がどうこたえるのかは私自身もとても興味がある。

またこの問いも、若い頃に出した答えでそれで終わりというわけではなく、歳をとればとったでまた考えなおさなければならない問いでもあり、また常に立ち戻るべき問いでもある。というかすべての表現はその問いへの答えでもあると言えるわけで、踊るのが楽しいだけ、技術をものにするのが楽しいだけでやってきた潤平が若いなりの表現すべき自分の心のようなものを見出していくのは苦闘だろうなと思う。

大喝采の試演を振付師の岩井だけは「小器用の見栄っ張りめ」と切り捨てる。その日から稽古はなく、連日「本物の芸術」に触れさせるだけの日。我慢できなくなった潤平は岩井に「どこがいけないのか教えてくださいよ」というが、岩井は「考えろ」という。そして考えて至った崖っぷち。というか、ある意味表現者は常にそのがけっぷちにいる、居続けることが仕事なんだよなとも思う。

ということを思ったので感想を書いた。スピリッツ34号、『ダンス・ダンス・ダンスール』128話。

まあ、さらに言えば、この問いは自分の内的な動機と、それを表現に昇華するときに何を受け手に届けようとするのか、という意思の問題なのだよな。内的な動機がなければ続かないし、何を受け手に届けようとするのかという意思がなければ表現にならない。今の潤平は「自分らしさ」にこだわるが、その自分らしさの先に何があるのか、まで至らなければならない、ということなんだろうなと思う。

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by Luke Peterson

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