力を手に入れることとやりたいことを持つこと

Posted at 19/06/04

いろいろ考えているわけだけど、ツイッター論壇などでも一つの問題でもかなり意見が分かれる問題が多くなってきたなと思う今日この頃。私は自分で考えてこちらが正しいと思った時にはなるべく旗幟を鮮明にしようと思っているので、その分ブロックされることが多いなとは思う。その辺のところは残念だけど、ある程度は仕方ないなとは思う。

一つの問題について議論しても、なかなか結論めいたものはでるわけではないし、一方の意見が勝ったように見えてもそれで世の中が必ずしもその方向へ動くわけではない。ネットの意見もかなり強くなるとある種のveto(拒否権)として政治に伝わることはないわけではないけど、まだまだ圧倒的にテレビのワイドショーの意見が政治に反映されやすい気がする。

しかしまあそういう世の中を地道に変えて行こうとする人はいるわけで、それは営利企業的な手段によったり行政によったり民間の手で動かしていこうとしたりさまざまなわけだけど、どんな手段にしろ何かをやるためには「力」が必要なわけで、その力を手に入れるためにどうするかということが肝心なことになってくる。力なき理念はむなしく、理念なき力は危険だ、とはよくいうことだが、NPOがやると前者に、行政がやると後者になりやすい。

だから力を手に入れること、まず人はどうしたって生きて行かなければならないので生きていく力を手に入れることが第一で、そのためには生活の資を稼ぐ力と生活を維持していく力・技術が必要だということになる。だからまずは力を手に入れ行使することに多くの人はエネルギーを費やさなければならないのだけど、力を手に入れるめどが立ったらその力を使って何をするかということが問題になる。

よく「自分が何がしたいかわからない」というのは、まあ力がない時にそんなこと言っても絵に描いた餅だということもあるけど、力が手に入った時のために何をするのかあらかじめ考えておくことは無駄ではないだろうなと思う。また力足らずであってもやりたいことができたらそれをやるために頑張ってより力を伸ばすということもあるから、まあそのバランスは人それぞれなんだろうと思う。

というようなことを寝床の中でまどろみながら考えていた。

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