「教養としての世界史の学び方:歴史学が史料中心主義である理由

Posted at 19/04/25

なんだか目が回るほど忙しくて、自分の中の整理が追いつかなかったり覚えていたはずの言葉を忘れたりして何をどうしたらいいかわからない感じなのだけど、とりあえず少しずつやらなければならないことを片付けていこうと思うし、ブログはこういう状況でもとりあえずは書き続けたいと思う。

今日は雨もよいで、気温も少し低めで、なんとなく暖房を入れたり切ったりしている感じだ。

「教養としての世界史の学び方」、毎日書いているのだけど、今日は1-1-1-4(第一部第1章第1節第4項という意味。以下同様)の「ランケの歴史主義」の順番になる。

ランケに関しては、大学の歴史学の祖であり歴史主義の主導者であるということ以外に自分の中に情報がない。そういう意味ではここの感想を書くほど自分の見識があるわけではない。今ウィキペディアを簡単に見ただけなのだけど、ランケ自身を自分なりに歴史の流れの中に位置付けないと感想は難しいと思う。

ただ重要なのはランケが「実証主義に基づく史料批判による<科学的>な歴史学」を確立したということ、そして彼の思想は「歴史主義」と呼ばれ、「過去の事象をその過去の文脈において理解しようとする」態度、「歴史を書く者の価値観によってではなく客観的な事実にのみ基づいて過去を再現しようとする」ことを目指し、そのために経験的証拠として使用されるのがその歴史事象に伴って書かれた「文書」であるという考え方であると。

歴史学はそういう意味でまずは徹底的に文書史料中心主義であるわけで、そこを批判することはもちろんランケ以来の歴史学の流れの中で自分の主張をどう位置づけるかという大きな問題になるわけで、問題意識をそこまで掘り下げずにただの思いつきで史料中心主義批判を書くと、現在の作家さんや評論家さんたちのように歴史家から総反撃を受けることになる。

そして歴史主義のもう一つの柱は「書く時代にはそれぞれに完結した世界としての全体性があって、それぞれの時代は質的に異なる文脈を構成している」という考え方で、「中世は未熟な近代ではなく近代とは別の形で完結した一つの世界として捉えなければならない」という考え方だと。これは「パラダイム」の考え方だし、文化人類学やあるいは教育学(子供は未熟な大人なのではなく、子供として完結した世界を持っている)にも通じる。そしてこの考え方に立つと、どこからどこまでが一つの時代なのか、という「時代区分の問題」が歴史学にとっては一つの本質的な問いになるということも意味する。

実際のところ、ランケについては勉強不足なので、こういうところでそこに気づけたことは良かったと思うし、一度きちんと見直してみたいと思う。

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