無駄ではなかった/平成の30年

Posted at 19/04/30

体調はあまり思わしくなかったのだけど、久しぶりに教員時代の教え子たちと会って昼食を共にしたのだが、話しているうちに少し元気になってきた感じがする。教員時代は大変なことも多かったが、今となってはこうして卒業生たちが明るく頑張っているのを目の当たりにすると自分のやっていたことも無駄ではなかったんだなあと思って嬉しく思える。なかなか自分のやってきたことに成果が出ない面が多かったから、そういうことで役に立てたんだなと思うと嬉しく思える。

人には割と簡単に「今やってることは無駄にはならないよ」と言えるし、もちろんそれは絶対そうだと思って言っているのだけど、自分のことになるとなかなかこれは意味があるんだろうかとか今までやってきたことにどれだけ意味があったのかとか考えてしまう、というよりわからなくなることは多いので、今まで関わった人たちにそうじゃないことを言葉でなく頑張っている姿や形で示してもらえると本当にそうだなと思う。

まあそれだけのことを、今まで世話になってきた人たちに自分が示せているかというと忸怩たるところはあるわけだけど、示す示さないより教えを受けたことをそんな形で生かせたことが示せれば、というか恩のある人たちに直接示すことはできないわけだけど、とりあえずはそれが報告ということになるのかもしれない。

今日は平成最後の一日で、ツイッターのタイムラインを見ていても回顧モードな人が多く、でも平成って自分にとっては長すぎて、どういう時代だったかと総括すると結構雑になる気がするから、なかなかそういうふうには言えないなという感じはする。

平成一ケタの時代というのはほぼ90年代なわけで、阪神大震災からオウム事件、不況の本格化といった暗い時代である一方、自分もパソコン通信をやるようになった時期で、パソコンがないと始まらない時代になったという印象はあった。でもまだ携帯も使ってなかったな。

平成13年の同時多発テロがやはり時代の分水嶺だったのかなという気はする。オウム事件から世の中が変わっていた気はするけど同時多発テロは世界を変えた気がした。その前後に自分もインターネットを始めたこと、ホームページを作ったこと、そして翌年には拉致事件が公になって日本中の空気が全く変わった。世界的には同時多発テロ、日本国内的には小泉訪朝が時代を分ける分水嶺だったと思う。個人的には退職して新しい仕事をいろいろはじめ、ネットの日記やブログでいろいろ書いていたのが平成10年代という感じ。

平成21年に父が亡くなり、平成23年には東日本大震災。そして福島原発事故。このあたり、個人的にもかなり大きな出来事で、いろいろなことを自分で切り盛りしつづけたのが平成20年代だったかなと思う。ネットの活動はブログが断続的になり、おおむねツイッターが中心になった時期という感じか。

となると、大ざっぱに言って私のネット史では平成一桁はパソ通時代、10年代は日記ブログ時代、20年代はツイッター時代ということになるな。

皇太子殿下は私より1学年上なので、令和の時代はほぼ同年の天皇陛下を戴く時代ということになり、これもまた初めての感覚なのでよくわからないのだが、新たな時代が光明多き時代であってほしいと思うし、私自身も何か「世界」のためになる仕事を残せる時代になるように気を引き締めて行きたいと思う。

まあ書きにくいと言いつつ総括してしまった。自分を誘導尋問にかけた感じ。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday