水野学「センスは知識からはじまる」

Posted at 19/03/03

今日は用事があるので郷里にとどまっているのだが、土曜日は仕事は早く終わるので早く寝られて、起きたら4時半だったのだがもうひと寝、と思って布団の中にとどまったが結局6時ごろ起き出した。

センスは知識からはじまる
水野 学
朝日新聞出版
2014-04-18



昨日から読んでいた水野学「センスは知識からはじまる」がどうもピンとこないことが多く、どう読めばいいのかと考えながら目次を見たり最初のあたりを読み返したりしていたのだけど、これは要するに「当たり前のこと」を書いているのではないかと思い当たって読み方がわかった気がした。

その人にとって当たり前のこと、というのは書き方が人によって本当に違うわけで、特にセンスの問題になるとその人が実際に従事している仕事とかと関わってくるし、それをどういう人たちに伝えようとしているかとなると同じ業界の人に向かって書く感じになるんだろうと思うし、そういう意味では企業人の書くものと学者の書くものと教育家の書くものと小説家の書くものとライターの書くもの、また市井の人が書くものとでは同じことを書こうとしてもそれぞれかなり違ってくるだろうと思う。

水野さんはこの本の中で「「センスのよさ」とは、数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である」と書いているが、これは「数値化」とか「最適化」とか「事象」という言葉を日常的に使っている人たちにとっては伝わりやすい表現だろうと思うけれども、私にとっては「もっと他の言い方があるだろう」と感じさせるものなのだよね。ただそれは「生きている世界が違う」というだけの話で、言いたいことはわかるしなるほどと思う。

特に私は、センスというのを「善し悪しを判断する力」とどちらかというと考えていた節はあったので、「最適化する能力」と、実行し改善していく能力、としているのは言われてみればその通りだなと思った。センスのいい服装というのはセンスのいい衣服がわかるだけでなく、その人にとってそれがマッチしてその人の個性みたいなものを嫌味なく見せている服装、みたいな意味があるわけだから、実行能力が問われるのだよなと改めて確認した。

で、改めて自分で言うとするとどう言う表現になるかというと、「センスとはもの・ことのよしあしがわかり、それを最も「いいかんじ」にすることができる力のこと」という感じになる。つまり自分の中に収まりやすいように最適化したわけであるが。

つまりは「判断→実行→効果の最大化」が割とスムースに(まあもちろん悪戦苦闘する場合もあるわけだが)、人から見てあまり頑張ってない感じでやれるということがセンスの良さということになるわけで、まあみんなもちろんそれができたらいいなと思ってそれを目指してるわけだから、まあ当たり前のことといえば当たり前のことなのだよなと思う。

当たり前だからつまらないこと、という意味ではなくて、当たり前だから一番大事だ、という意味でね。

ただ確かに、こういうことって伝わりにくいことかもしれないとは思う。「センスの良さというのは努力をワープするひらめき能力」みたいに思われてるから。もしそういうことができるとすれば多くのストックがあるからなわけで、それを水野さんは「センスは知識からはじまる」と表現しているんだろうと思う。ただもちろん知ってれば済むという話なのではなくて、というか私はそういうことを書いてあるんじゃないかと立ち読みした時点では思ってしまったのでなんとなく敬遠していたということはあった。

センスというのは誰にとってどう必要な力なのか、自分はどういうスタンスでこの本を読めばいいのか、ということが定まらないと読みにくい。そういう本だなと思う。ということでもう一度ちゃんと読んでみたいと思う。

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