坂井孝一『源実朝』読了。実朝の新たなイメージと彼の見た夢
Posted at 19/02/19 PermaLink» Tweet
坂井孝一『源実朝』読了。面白かった。というか、鎌倉時代前期史、実朝やそれに関連することで自分としてのこの時代の見方の上で新たな知見がかなり得られ、見方が変化したところがある。なんというか不思議の念に打たれているところがあり、それが歴史学の面白さなのかそれ以外のものなのか、まだ判断しかねている感じがする。
鎌倉幕府、ないしは鎌倉殿政権という出来たばかりの新しい組織にとって源実朝という将軍の占める位置というのが議論の対象にされていて、今までのような北条氏の傀儡的な存在という解釈ではなく、少なくともある程度成長してからは主体的に政治を行う存在だった、という見方は新鮮でもあったし、妥当であるように思った。
実朝は悲運の将軍として歴史ロマンの対象にされてきたのは確かで、平家の公達の悲劇の延長線上のようなイメージで語られてきて、清盛亡き後の政権のかじ取りが出来なかった平家と同様、頼朝亡き後のお飾りとしての将軍、またその現状を嘆き和歌や貴族趣味に没頭し、後鳥羽上皇にいいように操られて最後は甥に殺されて没落した悲劇の主人公、というのはやはり伝統的に日本人の心性にとって受け入れられやすい物語であったと思う。
ただ物語がよくできていればいるほどそこには歴史としてその解釈が妥当なのかどうかという問題があるわけで、「そういう見方をしたらそう見えてしまう」というところを外して見直してみることは重要であると思う。その辺は近現代史については解釈のし直し自体が歴史修正主義として非難されたり、直接政治闘争につながってしまうので難しいところはあるが、戦前まである種の倫理教材として用いられてきた前近代の歴史は、実証主義的な相対化が社会的にもある程度は可能になっていて、このあたりは実像をつかんでいくことでより歴史に対する深い理解が出来ていく面はあるように思う。
数え28歳で子供を持たなかった実朝が後継問題において自ら後鳥羽上皇の子息の親王を将軍の後継者として鎌倉に招き、後継者として自分は後見に座るという構想を持っていたということはあまりよく知らなかった。そうなると彼自身は清和源氏の血を引く将軍というものにこだわってはいなかったということになり、逆に言えば「源氏の将軍が三代で途絶えた」ということの意味自体が変わってくる。この構想に関しては政子や義時ら北条氏、また大江広元ら幕閣中枢も乗り気であったというだけでなく、後鳥羽上皇自身も乗り気だったというのはかなり重要なことだと思う。
実朝をめぐる最大の論点の一つは鶴岡八幡宮での右大臣拝賀式における暗殺事件だと思うのだが、これについて私が初めて読んだときは北条義時がどの程度の関与かは別にして黒幕に、あるいは少なくとも公暁にプレッシャーや実朝への憎悪を与えていた、という解釈であったように思う。
しかし義時に実朝を亡き者にするメリットがないということになるとかなり話は難しい。作家の永井路子氏が三浦義村黒幕説を唱え、それが一時学界主流になったというのは少し驚いた。しかし三浦義村にしても公暁が実朝を打ち取った後、幕府を乗っ取る用意が出来ていたとはこの本を読んだ限りでは思えないし、それはかなり難しいように思う。私が驚いたのは歴史作家である永井路子氏の説が通説になっていたという事実そのもので、松本清張や多くの歴史作家が唱えた説が完全に黙殺されてきたのに比べてなぜ、と思ったことにある。呉座雄一氏の『陰謀の日本中世史』を読むと大学の中の歴史学者の著作でなくても内容次第で評価されることはあるようなので、その辺のところは永井氏の著作を読んでみないと判断は難しいかなとは思った。
ということになると、実朝が後継者を親王にするということにおいて最も損害を受けるのは公暁自身ら源氏系統の人たちだけになるから、自らが正統として鎌倉殿になるべきという意識をより強く持っている人間が単独でクーデターを起こすということは十分あり得、また時期が迫っていることから焦って実行した、という本書の解釈は妥当なのではないかなとは思った。
それにしても血統意識の強い中世初期において、源氏の断絶もいとわない実朝の判断はやや特異であるように思えるし、公暁や頼朝の弟たちの子孫が自ら源氏の正統として鎌倉殿の地位を望むということ自体は全然不自然ではないと思う。そういう意味では、幕府や鎌倉殿がいわば公儀の地位を獲得したことによって逆に言えば中世的な血縁原理が働きにくくなっている面がやはりあったと考えるしかないのだろう。
そのあたりのところは、カトリックのメアリ女王の死とともに一度は死の危険にさらされたエリザベスが血統原理のみで即位し宗教政策を一変させる16世紀ヨーロッパとはかなり違う。血統原理は強くても後継が様々なバランスで決まっていく日本中世は違う原理もかなり大きいと考えるべきなのだろうか。
これは私の想像にすぎないが、実朝は後鳥羽上皇の皇子を将軍に据え、自ら後見の地位について鎌倉政権自体を安定させることを望んでいたのは、院と天皇の関係になぞらえたのではないか。それによってより広く自由に政治を行うことを考え、右大臣のようなより高い地位についたのは家門の荘厳や政権の正当化だけでなく、自らの権力の拡大も意図していたのではないか。
その先にはたとえば親王の将軍を自分の養子にして、源氏に臣籍降下させれば「源氏将軍政権」は続くことになる。歴史では親王将軍は皇族のままだったがそれは北条氏の立場ではそういうことが不可能だったからであり、実朝ならそれは可能だっただろう。
そのような意味で実朝が文弱に世を儚んだ趣味人のお飾りだったわけではなく、意志とカリスマを持った実質的な権力者であったという方が、実態としては正しいと思えるし、後鳥羽上皇としてもある種摂関家に匹敵するような存在として実朝を遇していくことに意義を感じていたからこそ、その死後の朝幕関係の急速な悪化があったということに説得力がよりあるように思えた。
もう一つ印象に残ったのは『吾妻鏡』の史料的な価値の位置づけの部分で、得宗専制時代の貞時・高時の時代に編纂されたために得宗家の権力掌握を正当化する形で改変が行われ、それが返って後世の人たちの不審を招き、義時黒幕説に結びついてしまった、という説明は説得力があると思った。ウィキペディアで見ると『吾妻鏡』の成立時期についてはかなり諸説あったのが、現在ではかなり後の時代ということになっていて、そうなると史料価値として同時代の公家の日記などには及ばないということになる。
逆に言えば、史料的に比較的多くが残っている京都側に比べ、実質的な権力は握っていても鎌倉側にいかに史料が残っていないか、ということも言えるのだなと思う。鎌倉は古都という印象が強いが、やはり京都の歴史の厚みにはかなわないともいえるし、応仁の乱などさまざまな戦乱に巻き込まれつつも明治維新まで王城であり続けた京都と、鎌倉時代の後は関東の象徴的中心であるとはいえ一地方都市になり、頼朝由来の名刹でさえ廃寺になっている鎌倉との差、また当時から多くの公家が記録を残していた京都に比べそういう人たちの数がおそらくは圧倒的に少なかった鎌倉との差が現れているのだなと思う。
色々勉強になった。
同じ著者の『承久の乱』もあまり時間がたたないうちに(つまり忘れないうちに)読んでみたいと思う。
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