『二月の勝者』『阿吽』『源実朝』『イオンを創った女』/親子をめぐる問題はなぜ起こるのか

Posted at 19/02/13

昨日。郷里に移動する際にマンガを2冊買う。高瀬志帆『二月の勝者』4巻とおかざき真里『阿吽』9巻。特急の中ではこの二冊と、『源実朝』『イオンを創った女』を読んでいた。
『二月の勝者』は中学受験塾を扱ったマンガで、受験だけでなく子どもが抱えるいろいろな問題や、親との関係、受験の意義、中学受験をめぐる実情、そのほかいろいろなことが取り上げられていて、面白い。それぞれの講師や子どもがみんなキャラが立っていて、まあ流石に実際の学習塾ではこんなこともないだろうが、自分の東京や埼玉での塾講師時代のことなど思い出しながら読んでいる。学校が題材だとなんだか色々面倒くさいことが多くて実際とは全然違う、みたいな感じになりがちだが、中学受験塾というのは使命は基本的にシンプルなので題材としては学校よりははるかに扱いやすいと思う。

阿・吽 (9) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)
おかざき 真里
小学館
2019-02-12



『阿吽』は弘法大師空海と伝教大師最澄の二人が主人公で、この巻は薬子の乱前後、平城天皇末期から嵯峨天皇即位あたりのことが描かれていて、ともに唐に渡った橘逸勢を通じて皇后橘嘉智子、そして嵯峨天皇につながることで世間的な階梯も駆け上っていく空海と、南都仏教との対立から教勢が伸び悩み身体的にも苦悩を抱える最澄との対比がキラキラした絵柄で描かれていて、面白い。

入唐を途中でやめて桓武天皇の平癒のために帰国せざるを得ず、経典=学びに飢えている最澄が空海の持ち帰った経典をのみ貪欲に求めるのに対し、真言の教えを伝授され時期は早いものの満を持して帰国し、最澄との宗教対話を楽しみにしている空海との心のギャップが痛々しく、事実とフィクションの間に生まれるロマンというのはまさにこういうものだなと思う。
『源実朝』は和田合戦の前、和田義盛に上総の受領職を与えるか否かで迷った実朝が政子に相談し、頼朝が決めたことを私のような女が判断することはできないとにべに否定するところが厳しいお母さんだなと思わせるところが興味深かった。まあこれは『吾妻鏡』に書かれている有名な史実のようだが。

イオンを創った女 ― 評伝 小嶋千鶴子
東海友和
プレジデント社
2018-10-30



『イオンを創った女』では小嶋千鶴子の言葉として、「成功する人はビジョンを持っている。そしてそれに向けて自分の中にある能力を上手に引き出している」という言葉があり、ビジョンを持つというのが今までいまいちよくわからなかったのだけど、これは例えば数学の問題を解いていて、あるところで「解けたときにはこうなってるはず」という先が見える時があり、そうなるとそこまでの過程はこの公式をこう使えばいいわけだから、みたいに筋道が見えてくることがあるわけで、「これが成功したらこうなっているはず」というイメージがビジョンだ、と言っていいのかなとか思った。

また、「我々は先人の知恵に学ぶことができる。これは人間に与えられた素晴らしい特権だ」という言葉があり、その解説として著者の東海友和氏が「師弟の縁は教わる側が選べばよく、師の側から迎えるものではない。また師弟関係に双方向性などあり得ない」と書いているのが新鮮で、これは「易経」にある「我より童蒙に求めるにあらず、童蒙我を求む」とあるのと同じだ。この場合「我」とは「師」であり「知識」であるだろう。知識を求めるのは幼く啓けていない者(童蒙)の特権なのだということだろう。

で、「師弟関係に双方向性などあり得ない」というのはかなり本質的な言葉ではないかと思った。これは逆に言えば「親子関係にも双方向性などあり得ない」ということではないかと思う。親や師は与える立場であり、子や弟子は求め与えられる立場であり、要は親鳥が雛に餌を与えることはあっても逆はあり得ないのと同じことだ、ということを言っているのだと思う。

そう考えてみると、今世の中で起こっている親子問題や学校問題のほとんどはそこに問題があるということかもしれないと思う。つまり、親の側、師の側が子供や弟子から与えられることを望んでいることに原因があるのではないかということだ。躾と称して暴力を振るう親は子供が自分の思い通りに動くという「見返りを期待」しているわけで、そういう意味では親が幼いということになるだろう。子どもをペットみたいに扱ったり受験を強制したりする親の中にはやはり強い見返りの期待がある場合が多いような気がする。

親や師に恩というものがあるとすれば、それは見返りを期待せず全てを与えてくれるという他の人間関係にはないところにあるわけで、親の与えたいものと子どもの求めるものが一致しない場合は厳しいものがあるけれどもそれが無償で与えられるものであればいつかは理解できるものなのではないかとも思う。それでよかったかは別にして少なくとも理解は、ということだが。

というようなことを考えた。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday