「源頼朝」とか

Posted at 19/02/06

昨日は忙しくてツイートもあまりしなかったしブログも朝少し日記帳的なことを書いただけではあったのだが、まあとにかく毎日自分のペースを作るためにものを書くということを大事にするという意味では書き続けているということ自体に意味があるということでまあ一つ。

本は色々なものを読んでいて、その時の状況で読めるもの、読みたい気持ちになるものを読んでいるのだが、「仏教抹殺」は読み終わり、「天才を殺す凡人」もとりあえず本文は読み終わったのでとりあえずの読了としておいて。

源頼朝-武家政治の創始者 (中公新書)
元木 泰雄
中央公論新社
2019-01-18



昨日読んでいたのは元木泰雄「源頼朝」(中公新書)。まだ15ページくらいで、さすがに新書とはいえ歴史書はビジネス書のようには読めない。昨日読んでいた部分でテーマになっていたことは、頼朝が嫡流であるとされている河内源氏の系統の東国での地位に関連したところだが、河内源氏の祖・源頼信の子、前九年の役や鎌倉の屋敷を桓武平氏から継承した源頼義から八幡太郎義家、その孫為義、その子義朝とくる流れの中で、河内源氏と縁が深い武士たちが必ずしも頼朝の挙兵に従っていない、という話が興味深かった。頼義・義家の時代の源氏の役割は頼朝のように荘園を与えて軍役義務を課す中世的な御恩と奉公の関係ではなく、源氏自身が軍事的功績を挙げて官位の昇進を目指し、地方武士たちと中央の権門を取次ぎ、寄進の仲立ちをすることにあった、というのは興味深い。いわば地方と中央のパイプ役、みたいな感じだろうか。

また義家以降の源氏の内紛によって没落した幼い当主の為義が摂関家に頼ることで摂関家の武力となったこと、また義朝が無役で東国に下ったのに対し弟・義賢が中央で栄達したことから為義と対立が生まれ、義朝は廃嫡され鳥羽院に接近することになる、というのが保元の乱での一族の対立の前哨になる、という話も興味深かった。

歴史の話は気持ちに余裕がある時、あるいは現実から少し離れたところに意識があるときには割と面白いことが多い。現実に忙しいときにはなかなか読む余裕がない。フィクションはものによってはあっという間にその世界に入ることができるけれども、歴史書は前提となるその時代状況を思い出さなければすぐ「これなんだっけ?」になってしまうからだ。

ただ一度、歴史を教えることを仕事として歴史というものに関わった以上、歴史に関する知識はアップデートし、更新していきたいという気持ちはあるし、歴史というものは常に幅広いのだけど、源頼朝みたいな一見「よく知ってる」感がある歴史上の人物の知らなかった側面というのはやはり知っていきたい感が強い。

利仁将軍とか藤原秀郷とか伝説が多い人物もそれはそれで面白いが、頼朝みたいに史料に全部書かれている気がする人が知らない相貌を持っているということを知っていくことは、とてもワクワクすることで、自分が歴史を読む人でよかったと思う瞬間ではある。

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