自分が何者かになるということ。特にネットで。

Posted at 18/07/17

自分が何者かになるために、どういう努力をするのか、というのはその時代によって変わっていくのだろうけど、基本的にはスキルを身につけること、その分野での実力をつけていくことであることにはだいたいどの時代も変わらないだろう。

ネットで頑張って何者かになろうとしている人をよく見るけど、基本的にネットだけで何者かになることは難しい。ネットは手段であってそれが目的ではないから、ネットを見ることを目的としてネットを見ている人たちに向けて何かをしていくことはできるけど、ネットそのものの中にあるものを右から左に持ってきても何かをやったことにはなかなかならない、というくらいにはネットという世間は狭い。

ちょっと本を読んで感銘を受けたことをネットに書くだけでも注目が集まるということがあるのは、「本を読んで感想を書く」ということはすでにネットの中で完結していることではないからだ。

子どもの頃、辞書を読むことに熱中したことがあったが、ネットを見ることに熱中するというのはそういうことに近く、実はそんなにたくさんのものを見ていない。

もしネットの中で何かを発見できるとすれば、少なくともたとえば専門分野に突っ込んで勉強してみるとか、他言語のサイトにアクセスしてそこから情報を取ってくるとかしなければ、ネットの狭い世間の中での、その人ならではの価値のない情報に留まってしまう。

皆が関心を持つようなニュースについてのコメントも普通の反応ではなかなかアクセスが伸びないからわざと過激なことをいってみたりしても、バックグラウンドがないとぼろを出すだけだし、そこで開き直ると同病の人たちの輪に入ることはできてもそれは「何者かに」なったことではないだろう。

ネットは手段としてはまだまだ可能性があると思うけど、ネットの技術や表現をさらに高めるというトライをするのでない限り、そこに安住していてもなかなか先がない。

余裕をもって森羅万象を眺めてみると、そこに何か自分だけの、自分が何者かになるためのヒントが隠れているかもしれない。

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