大塚ひかりさんの「女系図でみる驚きの日本史」を読んでいる。

Posted at 17/09/19

大塚ひかり「女系図でみる驚きの日本史」(新潮新書)読んでる。まだ92/218ページなのだが、いろいろと面白い指摘があって、肩の凝らない読書という感じで楽しく読んでいる。
 



日本の系図は基本的に男子直系相続という感じで書かれていて、婚姻関係や女性についてはあまり書いてないことが多い。これは大人になって割と意外に思ったことで、子供の頃読んだ子供向けの「日本の歴史」にはちゃんと女性や婚姻関係も含めた系図が書かれていたので、むしろその方が例外的だったのかと後で知った。

この本ではそういう婚姻関係、特に女系の家系をたどることで今まで見えて来ていない歴史の断面が見えてくるという指摘があり、なるほどと思わされるところがいくつかあった。

第1講〜第10講と市民講座的な感じの章立てになっていて、第1講は「平家は本当に滅亡したのか」という章題。平家は滅亡したと言っても平清盛の血筋は娘の冷泉隆房室・花山院兼雅室を経由して現在の皇室にもつながっているし、「とはずがたり」の作者後深草院二条も清盛の子孫になる。鎌倉時代に平家を偲ぶ作品がたくさん作られたのは、作った本人が平家の関係者であるだけでなく読み手もその子孫たちだった、という指摘はちょっと目から鱗だった。

実際のところ、源氏の方が一族の討ち合いが多く、頼朝の子孫は滅びているが、わずかに頼朝の妹(姉?)の坊門姫が一条能保の妻となり、摂関家に源氏の嫡流の血筋を残している。これは中学生の頃から知っていたのだが、40年前はまだ圧倒的に源氏人気の時代で源氏の子孫には興味があっても平家の子孫について触れた本があまりなかったせいだろう。

補講その一では聖徳太子即位説に触れている。これは史学的にはほぼ顧みられていないようだが、状況証拠(隋書倭国伝、聖徳上宮法王帝説など)で実際の王位についていたのは聖徳太子だとみなす根拠はないでもない。しかし実際に即位したという記録が皆無なのでそのところは弱いが、素人としてはそういうことがあってもおかしくないなとは思った。

それから第4講の紫式部の子孫が繁栄しているという指摘。これもあまり考えたことがなかったが、彼女の娘の大弐三位は賢子という実名が伝わっている。これは後冷泉天皇の乳母で三位という高位(男ならいわゆる公卿だ)にあったことからだと思うのだが、栄花物語では父の名でなく「紫式部の女」として紹介されているという。これはつまり紫式部の「功績」=源氏物語の作者であることが有利に働いたからだ、という指摘も面白いが、この時代の乳母が大きな権力を握り、特に天皇の母の家系が権力を握る摂関期を過ぎて天皇の父の家系が権力を握る院政期に入ってからの乳母及びその一門の権勢は絶大だった、という指摘は面白かった。

院政期から鎌倉時代になると摂関家を始め家の家格が固定化していくと外戚であることが意味を持たなくなるから天皇の母は上級貴族でなく中級貴族が出すようになる、ということは言われていたが、乳母が権力を握ったこととの関係はどういう感じなのだろうか、ということを思った。

何れにしても女系の流れ、ということに興味があったからこの本を手に取ったのだけど、思ったよりこの話は日本史の奥深くに関係していくことなのではないかというのが途中まで読んだ時点の感想だ。

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