感性の力 ー 理性だけでは生きるのに足りない
Posted at 17/08/30 PermaLink» Tweet
ツイッターで科挙の最終試験の首席(殿試で状元をとった人ということだろう)の答案が写真で載っていて、その筆跡の正確さに驚き感動したのだが、実はこれはその答案を専門の役人が書き写したものなのだという。つまり、筆跡などで成績が左右されないように、全ての答案を同じように書いたものなのだということを知った。これだけの字を書ける人なら才能だけでなく、文化的なセンスも相当なものではないかと思ったのだが、それはわからないということがわかってちょっとそうだったのかと思ったのだが。
しかし考えてみると、役人の採用試験である科挙という制度で公平を期すために書写するだけの仕事を持っていた人たちがいたということで、しかもその人たちがこれだけの筆跡を残せるということだから(日下部鳴鶴のような書だというのが第一印象だったが、今見てみると鳴鶴は全然自己主張があって答案の字の方がもっと活字に近い)、中華帝国の文化的蓄積はやはり侮るべからずと思った。
先日亡くなった犬養道子さんが、「ある歴史の娘」の中だったと思うが、奉天軍閥の張作霖(日本軍により満州某重大事件で爆殺された)から祖父の犬養毅か本人かに来た手紙を読んで、その筆跡と青い便箋の美しさに伝えられている粗暴なイメージとは違う文化人のイメージを抱いた記述があった。また「原敬日記」には原が天津領事として駐在していた際、北洋艦隊を率いる李鴻章との交渉があったが、天津にくる日本人が皆文人政治家としての李鴻章の大きさに幻惑され、なんとか書いたものを手に入れたいというものばかりあったと書いている。まだ日清戦争前の日本人は中国に強烈な文化的コンプレックスを持っていて、中国の文物を崇めていたことがよくわかるが、その文化的コンテンツの持つ力の大きさのようなものは今思い出しても改めて感じることができた。
文化の力、というのはコンテンツの蓄積の力だ、と考えられやすいが、それだけではないことは銘記しておかなければならない。というか当然のことなのだが、文化が文化として政治や生活から遊離して存在するのは、ある程度消費文明が爛熟してからであって、そうではない時期には文化もまた生きるか死ぬかの政治や生活の一環としてある。
最も分かりやすいのは「茶の湯」や「武士道」であるが、茶人利休がその存在で豊臣秀吉までおびやかすほどの存在となり、ついには死を賜ったことはその実例だし、また「葉隠」などを読んでもその思想は決して単純な理解しやすいものではなく、独特な感性が働いていることがわかる。
唯物史観的に言えば下部構造が上部構造を決定するわけで、つまりは生産力が生産関係を決定していくことになるわけだけど、そういう考え方が現代に敷衍されたのが全ては科学的に、理屈で考えるべきであり、それが最も合理的だし合目的的であり、うまくいくはずだ、という思想になっているように思う。
しかし科学というものは、「ラプラスの魔」という言葉に現れているように、「すべてのデータが揃っている」ことが実現できれば全てのプロセスの理由を明らかにしつつ最適解を導けるという考え方であって、全てのデータを揃えるということは原理的にありえない。それにある意味挑戦しているのが人工知能=AIで無限のシュミレーションによって最適解を見つけるのでそれがなぜ最適なのかは説明できないということになってきていて、逆説的に科学という方法論の限界を示しているのが興味深い。
KJ法を提唱した川喜田二郎も、KJ法という膨大なデータを統合し、プロジェクトを動かす技法を開発しながらも、KJ法に膨大な時間がかかることを認め、瞬時の判断については「感性」が有効であるとしている。それは何も方法論を投げ捨てているのではなく、KJ法の実践により判断力がついてきたらその膨大な経験によって養われた直感的な判断力によって判断が可能であるということを言っているわけだ。
山口周「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」を読んでいると、サイエンス重視の意思決定では今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできないため、「美意識を鍛える」ことに重点を置いている、という話が出てくる。
その理由は、一つ目は論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつあること。一つには論理的に誰でも正解を出せるなら差別化が消失しアドバンテージを取ることが不可能になる、ということと、もう一つは問題のあり方を単純化・図式化して解決するアプローチが複雑化した世界では有効性を失っている、つまり切り捨てた部分が重要過ぎて、切り捨てたら判断を誤り、切り捨てなかったら判断がいつまでもできない、ということになるということだ。この指摘はわかりやすい。
二つ目は世界の消費が自己実現的消費に向かいつつあり、価格や性能よりも人間の承認欲求や自己実現欲求を読み取る感性や美意識が必要になりつつあるということ。これは割と直接的な理由だが、大きな意味で文化そのものが消費対象になってきていると言っても良いかもしれない。
三つ目はシステムの変化にルールの制定が追いついていない状況が常に発生しているということ。その中で行動するということは、結局は自ら信ずるものを持って、自らが実現したい価値を目指してビジネスを実践するしかないということになるわけで、ルールのない場所での競争に弱い日本の受験エリートには耳が痛い話だと思う。
もともとビジネスというのは不確実なもので、攻めと守りの姿勢の双方が重要であるわけだけど、例えば高度成長期には農業と同じように他の人と同じことをやっていた方が利益を上げられた時代もあって、だからこそ多くの成功者を輩出したわけだけど、現代のビジネス側との差別化が重要になってきているわけで、それは論理的に導き出せるものではなく、まさに感性の問題ということになる。
昨日たまたま手に取った堀江貴文「マンガでわかる バカは最強の法則」も結局は同じことを言っていて、理屈で考えて行動を起こせない人よりも、自分の感性を信じてバカになって行動を起こせる人が最強なんだ、ということを言っているわけだ。
堀江さんという人は雰囲気スパルタのところがあって、そのスパルタ的なところに着くファンもいると思うのだけど、お金の本質は何かとか、ビジネスで何よりも大事なのは信用だとか、ギブアンドテイクではなく、ギブのみを考えて動くことがビジネスを動かすとか、言っていることは実はとても感性を重視したことを言っていて、理屈重視の人からはその部分が胡散臭く思われがちなのだと理解できた。
その、理性や理屈よりも感性、つまり自分が本当にやりたいことに正直に行動を起こせ、そんなの当たり前だというのが理性や理屈に拘泥する人には厳しく思えてスパルタ的に見えるのだろう。
消費社会が爛熟してくるとお金にこだわらなくても生活できる人が出てきて、その人たちがお金よりも感性、みたいなことを言うようになってきていたのがここ数十年の日本だったわけだけど、今の日本ではそう言う余裕はなくなってきているし、また感性のような形のないものを軽視し、また切り捨てようと言う動きが強まっていることで、またジリ貧の度合いが強まると言う悪循環に陥っている。
本来、感性というのは生きるために必要なもので、だから堀江さん的な感性、例えば剣豪などの研ぎ澄まされた感性こそが感性という名にふさわしいものだったのが、有閑階級の道楽的な部分に矮小化されてしまってその本来の意味が見失われているが、世界的に見れば感性の力の有効性はむしろ見直されつつある、というのが山口さんの本の趣旨につながるのではないかと思う。
感性の力を見直すことで、理性だけでは足りない生きる力を、再強化することを考えていかなければならないのだと思う。
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