こうの史代原作・片渕須直監督作品「この世界の片隅に」を観た。
Posted at 16/11/29 PermaLink» Tweet
こうの史代原作・片渕須直監督作品「この世界の片隅に」を観た。この作品は自分の中でもとりわけ意味を持つ作品なので、感想と言うか思ったことを、ツイッターなどに書いたこともまとめながら書いておこうと思う。
私が原作を読んだのは2009年だった。ブログを見ると12月21日のことだから、父が亡くなった直後のことだとわかった。出版されていたのは2008年で、存在は知りながら読むのをちょっと先延ばしにしていた、ということのようだ。今と少し感想が違うので、再録してみたい。
(元のURLは http://www.honsagashi.net/bones/2009/12/post_1679.html )
「昨夜は寝るのが遅くなって、結局3時半になってしまった。今朝の起床は7時半。普通に起きて普通にしようと思っていたのだが、昨日から読みかけのこうの史代『この世界の片隅に』上中下(双葉社、2008-9)を読んでいたらつい読みふけってしまい、9時過ぎまで手が離せなくなった。
一言で言ってこの本は、今年もっともよかった作品の一つに入る。今思い浮かべるもので言えば、『ピアノの森』と『日出処の天子』に並ぶ、といっても過言ではない。こうの史代は、『夕凪の町・桜の国』で並々ならぬ才能を感じたけれども、この作品ではそれをさらに上回っている気がする。一度だけ、『週刊アクション』を買って雑誌連載されているのを読んだけれども、この作品が雑誌に乗っているだけでなんだか奇跡なような気がしてしょうがない。個人雑誌『わしズム』を発刊していた小林よしのりが彼女の作品に感動し、彼の主張をどんなに曲げても、反戦ものでも左翼ものでもいいから描いてほしい、と頼んだというその力のすごさはこの作品でさらに遺憾なく発揮されていると思う。
絵を描くのが好きな10代の女の子が、顔も知らない人のお嫁にいく。そこで繰り広げられる毎日の哀歓。毎回必ず落ちがつけられる律儀さもこうのらしくていい。読み直していて気づいたが、最初の回で主人公すずは将来夫になる周作に出会っている。
上巻、中巻と淡々と進む物語。偶然出会って親しくなった赤線の娼婦りんが、周作の過去の女であったことに気づいてしまうことで、ぼうっとして明るい一方のすずの心におこる腹が立って仕方ない気持ち。りんは全てを知っても、その明るい諦念ですずの心に火を灯す。敵わないなとすずに代わって私が思ってしまう。
下巻は、書くのが辛くなるような展開。しかし、それが戦争というものだとしみじみ思う。読みながら、変な声を上げてしまった。泣くと言うより、哭くというのにふさわしいような。広島と呉を舞台に繰り広げられる物語が、まっすぐと8月6日に向かって進んでいく。そしてそれを通り過ぎ、15日を通り過ぎる。何があったか、今はまだここに書きたくない。翌年の一月、広島で出会った一人の孤児を呉に連れて帰り、どうやら彼女の面倒を見ることになることで全巻が幕となる。死と再生というには、あまりに辛い物語。でもこれほど明るく戦争を書いた作品もないかもしれない。こうの史代の並々ならぬ力は、こういう題材においてこそ発揮されるのだと改めて感じた。この作品に出会ったことの幸福を心から感じられる作品。」
読み返してみて驚くのは、この映画で初めてこの作品、ないしこうの史代さんの作品に触れた人の感想と、とてもよく似ているなあということ。私は下巻の展開が辛すぎて、そのあと読み直すことが出来なくなっていたから、ちょっとトラウマのようになっていたけど、それでも「夕凪の街 桜の国」よりもこの作品の方が凄い、と思ったことはこの感想を読んで思い出した。
今回映画を見て強く感じたのは、このストーリーはまるで民族の神話のようだ、と思ったこと。エピソードの一つ一つが、全部リアルでありながら、全部が神話のエピソードのようだ。宮崎駿さんの作品も神話的なところはあるのだが、彼の場合は彼自身のエゴがその神話性を中和、ないし中毒?させてる。こうのさんの問い、すずの叫びはギリシャ悲劇に出てくる女の、神への呪いのようだ。
その、暴力への呪いを、終戦の日のあの慟哭で、のん=能年玲奈さんがあんなに実現できるとは。
どうしても、原作の方に関心が行ってしまうので、映画のことを先にかいておくと、のんさんは、第一声でこれはすずだ、と思わせる凄さがあった。声優というものを超えた声の身体性のようなものがあり、のんびりした人でありながら芯に怖いくらいの強さ、というか激しさを持っている、すずにこれ以上の声はないだろうなと思った。
風景の素晴らしさはいうまでもないのだけど、特に感じたのは動画のよさ。冒頭近くでおばあちゃんが弧度のもすずの頭をなでるとき、手を離すと反動でぼわんと頭が戻る、あの動きがもう子どもの匂いさえ感じさせるもので、ここまで丁寧に描かれている映画が面白くないはずがないと確信させられるものだった。
そして、私の中でトラウマになっていたのは、私にとってこの作品が「姪と右手を失い、戦災孤児を得る死と再生の物語」だったからなのだが、この作品はそう言う部分だけでなく、もっとそれを包む日常のふんわり感というか、そういうものがあることを思い出瀬田のがよかったと思う。ちょっと調べてみるとこの戦災孤児には絵コンテで「ヨーコ」と名がつけられているということで、この子が成長して行く様がエンドロールで描かれて、そこに救いの要素が大きくなったなと思った。
私は最後の場面で周作が「呉」の地名の由来をすずとヨーコに説明するところが好きで、ああこれは「国褒め」だ、と思ったし、その前の場面ですずが周作に「呉はうちの選んだ居場所ですけえ」という場面で、何か十分物語は終わったと思った。それに、その前の広島での場面で「周作さんありがとう。この世界の片隅でうちを見つけてくれてありがとう周作さん」と言っているし、リンとの経緯も含めて、全てを呑み込んで生きて行く気持ちになったことが、救いそのものだと思っていた。
だから、「ヨーコの成長」まで描くのはちょっと蛇足のような気がしなくもなかったのだけど、片渕監督のインタビューを読んで、そこまでしないと行けない、多分そう言う、「今(2016年)と言う時代の空気」があるんだろうなあと思った。私も、「君の名は。」では、ラストで絶対二人は再会してほしいと思ったし、それが叶って凄く安心したから、多分現代のように無意識の不安が強い時代には、蛇足とも思えるような安心感が必要なんだろうなあと思った。
さて、やはりここで書かなければいけないのは、白木リンの存在が映画では相当小さいものになってしまったこと。これはいろいろ考えたのだけど、考えたところをいろいろ書いてみたい。
最初に思ったのは、すずの「純粋性」をラスト近くの衝撃まで取って置くためなのだろうということ。リンと周作の過去についてあれこれ気をもむことで、「純粋性」はどうしても薄れる。それを出さずに最後の衝撃に初めてすずの強度の動揺を持って行ったのは、それがのんさんの声にも合っていたし、戦争という暴力への神話的な怒りを強調するためにはよかったと思う。
ただ、やはり原作であれだけ大きな存在で、すずに「敵わない」と思わせたリンがあの扱いであるのは、やっぱりちょっとリンが浮かばれない感じがする。そして、「周作の過去」であるリンと、セットの意味で「すずの幼馴染み」である水原の位置付けも、ちょっと突出してしまう感があったのはやや残念だった。水原は海軍の乗組員であることから戦争というテーマにもつながるということもあったのだろうけど、周作とすずの人間の陰影というものがこの件がカットされたことで少し霞んでしまったことは残念だった。ただ、「のん」の神話性を高めるためには、大成功だったとは思う。
だから、最終的には尺の問題でどこかを切らなければ行けなかったからその大胆さにおいてリンの扱いは成功だったのだろうと思うのだけど、周作の人間性がなんだかひょろいだけの、我のない感じになってしまって魅力が減ってしまったのは残念だった。
リンのくだりでは、子どもが出来ないと悩むすずに遊女のリンが「子どもがおったら支えになるし、困りゃあ売れるしね!」と朗らかに言って「なんか悩むんがあほらしうなってきた」と毒気を抜かれる場面があって、まあ子どもも見るアニメ映画にはしにくいだろうけど(外国映画ならしそうだが)、物語全体にもっと華が出ただろうなと思う。
そのおかげですずがちょっと「聖女」になり過ぎたと言う意見も聞いた。こうの史代さんの作品の登場人物は、ただ「いい人」なだけでないところがとても魅力的なのだけど、その「でない」部分が捨象されて語られることが多くて、何というか歯痒いのも事実なので、そう言う意味でもちょっと残念だったかもしれない。
上巻は聖女で良かったんだと思う。ラストも周作とのキスシーンで終わっていたし。もし出来れば、映画も上中下と三編に分けて作れたら良かっただろうなと思う。「1900年」とか「風と共に去りぬ」みたいなサイズになりそうだけど。
この作品を見てからKindleでダウンロードして原作を読み直し、「ユリイカ」の特集と「アートブック」を買って読んだり、ネットでさまざまな情報に当たったりしたのだけど、ユリイカのインタビューで「他人同士、特に男と女は絶対に理解しあえないという前提で書いてます」と答えている。本当にそれはいつも読んでいて感じるのだけど、でもそこが優しいのだと、私などは思う。人は深淵を抱えつつ、決して理解しあえず、でもいたわりあい、強く生きることは出来る。
ようやく最初に読んだときの本を見つけ出し、手に取ってみて、最初に読んだ時の感じがまざまざと蘇ってきた。やはり現物の持つ記憶は違う。この本は、思わぬところに深淵が口を開けている、とても怖い本なのだ。その理由は、やはりこうのさん自身の人間の信じられなさというかそういうものにあるのだろう。
そしてその人間の信じられなさが、その怖さがこの作品の持つ神話性につながっている。神話の教えるところの一つは、神よりも魔物よりも恐ろしいものは人間だということだと思う部分があるのだが、こうのさんの描く人間の怖さが神話の闇につながっている。暗い洞窟の先にそれがある。
というように、「一番恐ろしいものは人間」などと書くと、例えば戦争も人間が起こすものだから人間は怖い、みたいな話につながりそうなのだけど、私のいいたいことはそういうことではなくて、もっと本来的な人間の底の知れなさ、みたいなことだ。
また一方で、「戦争は人間が起こしているもの」という発想があるからなくならないということもあるのではないかと思った。人間が起こしているなら人間を変えればいい、と思想教育、平和教育を重視しようという方向性になっていたと思うけれども、結局それでは戦争はなくならなかった。そして、そういう意味での「人間は変えることが出来る」という、思想教育の弊害はかなり大きくなってきてる気がする。
戦争が起こるのは人間そのものに問題があるからと考えるより、むしろ事物の勢いみたいなものがあって、戦争が起こる前にどう制御するか、みたいな智慧を磨く方が大事と思う。平和主義思想には必ずその反動としての好戦思想が現れ、絶対平和主義には反動としてナチズムみたいなものが現れる気がする。ポリティカルコレクトネスの嵐の後のアメリカでトランプが勝利したように。
戦争と平和の問題は、要するに事物の勢いを制御する智慧の問題のようには思う。発展途上国における原初的な好戦思想みたいなものはどう制御すればいいのかはよくわからないのだが、文明どうしの対話みたいなものは、出来なくはない気はする。方法を知ってるわけではないけれども。
そんなふうに現代社会と神話をつなぐその場所に、こうのさんの作品はある気がするし、わかりあえない部分でこそわかりあえる、みたいな逆説が、こうのさんの作品にはあるような気がした。
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