西川賢「ビル・クリントン」を読んだ。面白くてためになり、アメリカの来た道が理解できたとともに日本の現状を理解する上でもとても示唆的だった。

Posted at 16/08/12

西川賢「ビル・クリントン」(中公新書)を読んだ。


 

1992年の大統領選挙で当選し、1993年年初から2001年の年初まで大統領を務めたビル・クリントンの時代は、冷戦の終了から21世紀の始まりまでの時期、1990年代の空気というものを体現していて、私が個人的な理由で何度かアメリカに行っていてもこの時代だったので、私の中のアメリカの雰囲気と言うと彼の時代になる。

最後はモニカ・ルインスキ—事件などスキャンダルの続出であまり道徳的でない大統領という印象が強く残ったけれども、彼の時代はアメリカの経済が好調で、政権初期に行った財政再建策が奏功してアメリカを繁栄させたことは、ちょうど日本が凋落し失われた20年と言われた時代の前半になっただけにそのコントラストの強さを思う。

この本を読んで特に印象に残ったことは、当たり前のことなのだけど、政府は何でも出来るわけではないということ。アメリカ大統領はまあ間違いなく世界最大の権力者であると言えるけれども、特に政権初期は大統領の職務に精通しているわけではなく、思いがけない不手際などもよくある。

日本の政治ではパターナリズムが強いので、「政治がやる気になって動いてくれれば何とかなる」という期待があるし、逆にいえば「今うまくいっていないのは政治のせいだ」とみなが思いやすい。公と私の領域の境が、日本の場合はとても私に近いところにあり、かなりの部分まで政治が何とかすべきだと思っている人が多いように感じた。

しかしアメリカという国は基本的に個人主義が強い、個人主義が強いということは自分の身は自分で守るし自分のやることに政府に口出しをされたくないという気風が強い。だから特に、自分の身を守ること、たとえば銃を所持する権利・その自由などは、絶対に奪われたくないと感じている人が多いし、医療保険についても自分の身は自分で守るべきで、他者の身を守るために自分の税金が使われることは理不尽だと感じる、ということになる。このあたりは何が正しいとか間違っているとかではなく、日本はそう言う気風の国であり、アメリカはそう言う国の気風なのだと思っておいた方がいいと思う。
しかし大事なことは、政治は何でも出来るわけではないということで、これはアメリカだろうと日本だろうと同じことなのだ。左翼の人は無意識に政治は何でも出来ると考えている人が多いように思うが、政治が出来るのは政治の領域のことだけなのだ。一度政治が動き出したらものすごい力が働くから、それを感じたことがある人は政治は万能だと錯覚してしまうこともあるだろうなと思うけれども。政治が何でも出来ると考えるのは敢えて言えば「政治に甘えている」ということであり、「国家が何をしてくれるかではなく自分が国家に何を出来るかを問いたまえ」というJFケネディの演説の意味もそこにある。政治は基本的に調整機能であり、利害調整や国家国民の保護、国民経済の繁栄などのために政策を打つもので、何でもやってくれるものではない。当たり前のことだが、この本を読んでそのことを改めて強く感じた。

この本はまずクリントンの生い立ちから書いていて、このあたりのクリントンの成長期の苦労の多さは彼の女性関係の幅広さなどに関係していると思わざるを得ない感じがするし、彼は自分のことを「アダルトチルドレンだった」と告白していたことを思い出す。しかし、逆に言えばその逆境を乗り越えて大統領にまでのし上がったそのタフさは驚くべきものだと言うべきだろう。その逆境、トラブルからの回復力を英語で「resilience」と言うそうだが、確かに彼はアメリカ大統領で最もそれが強かった人かもしれない。

大統領任期中のさまざまな政策課題にどういうものがあったか、それにどう対処したか、あるいはどのように閣僚を配置し、どのようにホワイトハウスのスタッフを配置したか、議会にはどういう勢力があり、どのように対応したか、あるいは選挙の時にどのように行動し、攻撃にどう対応したか、その辺りのことが一つひとつ書かれていて、政治というのはこういう膨大な事柄への一つひとつの対処であり、それを効率化・効果的なものにするための法や制度の整備、外交関係における国際的な仕組みの構築など、その一つひとつを発想し立案し説得し妥協し、結論を下して実行して行くプロセスの集積なのだということを改めて思った。

このあたりのところは大変興味深いし、だいたい私が歴史を専攻したのも、こういう政治プロセスが興味深かったからだなと改めて思った。

しかし、政治をやるのも人間だから、よくわからない件にはあまり的確な判断が出来ないし政策も不適当なものを実行したりして失敗したりする。それはクリントン政権だけのことではないけど、その辺りがちゃんと書かれていて、クリントンがどういうところで失敗したのかもよくわかった。

クリントン政権は基本的に経済チームを中心に動いていた政権で、逆にいえば冷戦後の状況ということもあり、安全保障にはやや関心が欠けていたということがあったというのも、だいたいの認識はあったが今回確かめられた感じ。その辺りで日本は経済的なライバルという面だけがみられ、対中安全保障に無関心であると言う印象が日本で広がり、結果反日政権であると言うイメージが強く残ったのだけど、その辺りの事情もこの本を読んで納得できたことの一つだ。

アメリカ側は日本の底なしの不況が、アジア経済危機の原因であるという理解をしていたというのがへえっと思ったし、それを受けての日本側の対応が日本がリードする形でアジア通貨基金を作るという構想だったため、逆にアメリカは日本がアジアで経済覇権を握ろうとしている、アメリカに対する挑戦だと見なして潰された、という過程があり、これらの過程の中で日本はアメリカ、特に民主党政権に対し強い反発を持つことになった、ということはすごく印象が裏付けられた感じだった。

だから逆にいえば安全保障を重視するWブッシュ政権がイラク戦争に突き進んだときもこちらの方が話が分かると強く支持することになる、という結果を招いた遠因にもなっているように思う。日本にとっては経済はもちろんだが、中国に対する不安というのが常に強いということをクリントン政権が理解していなかったのだろうと思う。このあたり、ヒラリーが国務長官になったオバマ政権期になって、基本的にアメリカは日本サイドに立つようになり、かなりの懸念は払拭されたように思う。

しかし日本の1990年代が特に経済において低迷したのは、政権が不安定だったということも大きいと思う。93年の自民党下野からはじまった連立政権の時代の中で阪神大震災と言う天災やオウム真理教事件と言う社会不安がおこったことも大きかっただろう。クリントン時代の8年間、日本の首相は宮沢・細川・羽田・村山・橋本・小渕・森と7人も交代している。これではアメリカに対して強く出られようがないという部分もある。1990年代の非自民連立政権時代、2009-12年の民主党政権時代の不安定さと経済低迷が、日本政治に残した傷跡はかなり大きい。

それはこの本の感想とは直接は違うが、「タフな大統領」であったクリントンの下で経済繁栄を謳歌したアメリカと日本との違いが痛感されるということだ。それが結局は小泉純一郎・安倍晋三と言うタフな政権への信頼が現在の日本で強くなった、最大の原因だと思う。

この本の著者の問題意識は、クリントン政権を「共和党の主張を織り込んだ民主党でも中道派」の政権と見、クリントン以後は「共和党保守派」のWブッシュ政権、そのあとは「民主党左派」のオバマ政権と左右に大きく振れる時代になってしまっている、中道を行く政権が出てきにくくなったのはなぜか、ということにあり、日本でも1980年代の中曽根政権が「自民党は左までウイングを広げた」と言っていた時期から現在のかなり右寄りになって来た変化も世界的なそう言う流れの一つとしてみている。中道ならばいいのか、というのはここで私は結論を下せないけれども、政権を安定させることは重要だ、ということには同意できる。

そのほか、この本を読んでよかったなと思ったのは、アメリカ現代を作って来たさまざまな知らなかった人物について、調べるきっかけが出来たことだ。とはいえネットの情報(英語を含めて)で調べた内容が大部分だけど、ニュート・ギングリッチやノーマン・ミネタについて知ることが出来たことは収穫だった。特にノーマン・ミネタがWブッシュ政権でも閣内に残り、911同時多発テロの時に水際立った対応をしたことについてはとても感銘を受けた。

あとは、冷戦終結後のNATOと日米同盟の位置づけについてもなるほどと思う記述があった。冷戦中のこれらの同盟関係はもちろん仮想敵国がソ連であり中国であったわけだが、冷戦崩壊後はそれが「地域の安全確保のための公共財」として再定義された存在であったということ。だからNATO拡大も別にロシアを追いつめる糸がなかった、という主張になるし、逆に中国が西太平洋は自分が安全保障を請け負うということを言い出すきっかけも作っていると思った。

アメリカの真意はともかく、地域諸国に取ってはNATOはロシアの脅威から自分たちを守るためのものだし、日本に取っては中国・ロシア・北朝鮮から身を守るためのものであるということが第一義であることは間違いないわけで、そこらへんのずれが「冷戦は終わった」というある種のフィクションと裏表になっていて、自体の複雑化を招いている気がする。

また、日本でさまざまな政策が打ち出されて来る時、日本政治の文脈の中から出て来たものでない、面食らうようなことが話題になることがあるが、それらの起源はアメリカで実施された政策にあるんだということがちょっと理解できた。つまり、日本政治を考える上でも、その発想の源として、アメリカ政治の動きを追って行くことは重要なのだと思ったのだった。

まだいろいろと検討してみたいことが出て来る気がするが、そんなふうに現代社会・現代世界の構造について、改めて考えさせてくれるきっかけになったという点でも、この本は読んでよかったと思った。

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