「若者はもっと投票に行くべき」というのは本当か
Posted at 16/07/02 PermaLink» Tweet
「若者はもっと投票に行くべき」なのか。
参議院議員選挙が近づいています。
東京では急遽都知事選も行われることになりましたし、また今年から18歳以上の人も選挙権を持つようになりましたので、いろいろと選挙に関する話題が多くなっています。
選挙自体はそんなに盛り上がっている感じはしません(昨日の報道ステーションでも「関心のある人たちだけでやってくれればいい」という若者が映されていました)が、この次期の選挙の意味としては、今年末で丸四年を迎えることになる第二次安倍政権(自民党・公明党の連立政権)の中間信任投票ということになるかと思います。
安倍政権はさまざまな政策課題についてそれぞれ特徴的な方針を打ち出していますから、その政策を支持するか否かというのは割合明確に賛否を考えられるかと思います。私自身としては、憲法改正そのものについては賛成、自民党改正案には反対、安保法制についてはもう少し透明度を上げてもらえればの条件付き賛成、通商政策においてのTPPについては反対、という姿勢です。中国の海洋進出に対処する方針をもう少し明確に打ち出してもらいたいとは思いますが、相手のあることですから名言は難しいのかもしれません。
アベノミクスについては判断が難しいですが、任せるしかないかなと思っています。とりあえず不信任ではありません。ただ、非正規と正規の雇用の格差の背景にある新卒一斉採用制度など、労働慣行の是正についてはもう少し積極的に取り組んでもらいたいと思いますし、奨学金制度など国がもっと踏み込んで返す人の負担にならないような制度を整備してもらいたいと思います。また、表現規制の問題に対しては規制反対の人に投票したいと思っています。
個々の争点はそれぞれあると思いますが、基本的には政権に対する信任が問われていて、政権党と反対党を構成する議員ひとりひとりの誰を選択するかというのが問題になって来るわけです。
日本は議会における党議拘束が強いですから、党の方針に逆らった投票を議場ですることは出来ませんので、その議員個人がどう言う政見を述べるかだけでなく、その所属する党がどう言う方針であるかも考慮する必要があります。
本当は、党議拘束はなるべく外し、与党も野党も党内で意見調整をするのは程々にして、オープンな場の議会で真剣な議論を経て合意形成をして行く方がいいと思うのですが、そうした議会改革も出来ればやってもらいたいとは思っています。
さて、今日の本題ですが、選挙が近づいて来ると必ず指摘されるのが「若者」の低投票率。投票に行かなければ若年層の抱えている問題が政治課題として取り上げられにくいし、何より日本の将来を生きるのは高齢者ではなく若者なのだから、若者が投票に行かなければ若者が望む未来は実現しない、未来を生きるわけではない高齢者たちの要望によって未来を決められたくなかったら、若者はもっと投票に行かなければならない、ということですね。
さて、これは本当なのか。
投票に参加するということはどう言うことなのか。
投票に参加するということは、「投票所に行って個人名ないし政党名を記入する」ということです。正直言ってこれに抵抗がある人は多いのではないでしょうか。
その人をよく知らない、ということもありますし、写真を見たり政見を読んでみたりしてもなんだか胡散臭い。アイドルグループの推しメンなら「どの子がよりいいか」で考えるから楽しみもありますが、「どの人が一番ましか」と考えざるを得ない選挙の投票は、基本的にあまり楽しくありません。テレビなどを見ても「野党がだらしないから与党」「与党にまかせておけないから野党」とそれぞれネガティブな選択理由が多いし、どちらの候補も「この人にまかせておいて大丈夫か」という感じがするケースが多くて投票できない、ということもあるのではないかという気がします。なにより、候補者個人のプロフィールなどに全然関心を持てない、ということが多いのではないでしょうか。
よく考えて投票してもニュースで取り上げられるのは候補者個人よりも党全体としてどこが伸びたか、どこが議席を減らしたか、が中心ですし、当選した人の公約が実現されるのかどうかもよくわかりません。そんなことのために貴重な日曜日の時間を潰して投票に行くのはつまらない、と思う人が多くても不思議はないように思います。
私自身、20歳で選挙権を得てからほとんどの選挙で棄権していない(1、2回、どうしても都合が付かなくて投票しなかったことはあります)のですが、選挙のたびに「今回もなかなか不毛な選択だな」と思うことが多いです。全体の都知事選は舛添さんではなく家入さんに投票しましたが、彼の手腕に期待したというよりは彼の言っているようなことが行政に反映されたらいいかもしれないと思った程度です。正直、彼が何を訴えていたかもう覚えていないのですが。
私も年をとって来て、候補者がいちばん多い年代(50代)になりました。私よりも若い政治家もたくさんいます。さすがに総理大臣は私より若い人はなっていませんが、小泉進次郎さんなどは私より20歳近く年下ですし、そろそろ私より若い首相が出ても可笑しくない感じになって来ています。
年をとって来たことによって、候補者の素顔も割と理解しやすくなってきます。同世代のことは感覚的に理解しやすいからです。この人は人間として信用のおけそうな人かとか、理想家タイプだなとか、あまり悪いことはしないタイプだなとか、そういう人間的な側面から見て投票する候補者を選ぶということもしやすくなってきています。
ですから、20代、ましてや18歳の新有権者にとって、50代60代の大人のことなどよくわからないのは当たり前です。この人に投票してよかった、と満足の行く選択をするのはかなり難しいことだと思います。ただ、私などにしても若い頃から何度も投票して、何度も「ああ、間違った選択だった」と悔やんできた過程があったからこそ、最近になってまあこんな感じが妥当だろう、という線で投票する相手を決めることも出来るようになって来たということもあるのではないかと思います。
政治家というのは、要するに「政治権力に携わる人」です。行政の中心になる人もいるし、行政をコントロールする予算に関わる人もいる。国民生活を大きく規定したり規制したりする法律を制定することが出来るのは、国会議員という名の政治家だけです。そういう政治家に、どう言う人になってほしいか。
まあ正直、「権力者」を自分の手によって選出する、などというのはけったくその悪いことですよね。自分が権力を得られるならともかく、誰かの権力を承認するために投票するわけですから。そういう「権力に距離を置きたい」、「政治」とか「権力」のこととかを考えないで暮らしたい、という気持ちのある人も多いと思います。
しかし、その気持ちとは裏腹に、自分が投票してもしなくても、誰かが権力の座につくわけです。
誰がやっても、現代における政治権力の行使はそう簡単ではありません。誰がやっても、実績をあげることも難しいし、それを国民に説明することも難しい。政治報道は何かの法案が通っても、誰が中心的にそれを推進したのかとか、あまり丁寧に報道してくれません。それこそが選挙の際の判断の基準になるはずなのですが。アメリカだと提案者の名がその法案の名前として残ったりしますからわかりやすいのですが。
だから、結局その党や政治家自身が出してる情報でしかそれはわからない。でもそれはどこまで本当なのか、何となく信用できない感じがありますよね、自己申告では。
そういうところからも、「自分が投票した結果がどのように政治に反映されたか」を判断するのはなかなか難しいことであるわけです。かなり熱心に政治過程を分析しなければいけない。そこまで付き合いきれないという気持ちもわかります。
戦前は、議員には立候補だけでなく、推薦で当選する、というやり方がありました。「憲政の神様」尾崎行雄などは後半は自分が立候補せずに推薦でずっと当選し続けています。定評のある人はそのようにして、「周りが推す」形で政治に出ることも可能だったわけです。
しかし現在の公職選挙法ではそういうやり方は出来ませんので、立候補した人たちの中から選ぶしかありません。どんな形であれ、当選した人たちは議員や首長として一定の政治権力を行使する力を得ます。それを考慮して投票するしかない。
結局、今までどんなことをして来た人なのか、どう言う実績があるのか、どう言う人物像なのか、自分の直感で期待を感じるか、少なくともあまり悪いことはしなさそうか、政治家として見栄えがいいのかというような、曖昧な基準で判断する、されて行くことになるわけです。
「自分は全く政治に関わらないし、政治や社会に対して何が起こっても絶対に不満も言わない」というのならばともかく(そういう態度があってはいけないということではないと思います)、否応なく政治の動きはひとりひとりの生活や人生に大きく関わって来る。例えば大学受験の制度一つとっても最終的には政治判断で決まって行くわけです。受験生に選挙権がないのはその意味では理不尽なのですが、そういう意味では世の中理不尽だらけです。
投票というのは、その中で行われるある種理不尽な選択ではある。
でもまあ、人間が生きているということは理不尽の連続なのですよね。その理不尽を、どうにかして少なくすることが政治の役割の一つな訳で、それがより少なくなるために、現状で考えられて採用されているのが民主主義という仕組みであるわけです。
日本は民主主義の国です。
民主主義というのは自由で平等な社会だ、というだけではありません。
民主主義にはそうした個人の基本的人権が保障された社会であると言う意味もありますが、本来は政治のやり方進め方の問題です。
日本は、憲法の前文にも書いてあるように代議制民主主義を採用しています。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と憲法に書いてある。ということは、日本国民である我々は代表者=政治家=国会議員を通じて行動、具体的には政治的な意味で行動するということに「なっている」わけです。
つまり、知らない人、関心のない人のことを考えなければいけないなんてなんだか変な感じですが、政治的に何かを実現したいという気持ちがあれば、代表者=国会議員のことを考えなければいけないということになるわけです。よく知らない、関心のない人たちのプロフィールを見、それについて検討し、評価を下さなければいけない、わけですね。
つまり、民主主義というものはある意味変なものなわけです。
第2次世界大戦時のイギリスの首相チャーチルは「民主主義とは最悪の政治制度である。これまで試みられて来たすべての政治制度を除けばだが」と言っています。人類はいまのところ、民主主義以上にいい政治制度を見つけ出していない、というのがある意味定説になっているわけです。
とりあえず、民主主義で日本は行っている。社会主義とか共産主義とか全体主義とかはその改善案として出て来たものな訳ですが、いまのところ失敗に終わっていると言っていいでしょう。
今現実に、民主主義と言う制度で政治が運営されているということはなかなか動かしがたいことであるわけです。もちろん、常によりよい方向に仕組みを変えて行くことは考えられていいことであるわけですが。
また、政治家の立場に立って考えてみましょう。
よく言われるように、政治家は選挙をとても重視しています。それは、選挙に勝たなければ権力を行使できないからです。そして、権力が行使できなければ、自分の理想も実現できない。その理想が日本をよくすることであれ、自分が利益を得ることであれ、とにかく選挙に勝たなければ彼らは「ただの人」になってしまう。彼らにとって、選挙はのるかそるかの戦いな訳です。
ですから、自分の理想が何かとはとりあえず別に、どうやったら選挙に勝てるかということは常に考えているわけです。つまり、自分に投票してくれる人をどうやって増やすか。
保険の外交と同じで、自分の身内や友達はとりあえず投票してくれるかもしれません。しかし、それだけでは議員になれませんから、より多くの人に訴えて行かなければならない。そして、訴えた時により手応えのあった主張を重視して行く。手応えがあるのは、より多くの人たちの利害に関わることですし、そうなると高齢化の進んだ現在、高齢者の利害に関わることがより大きくアピールすることになる。
でも、実数で言えば若者の数は決して少なくありません。若者層にアピールすることでより多くの支持を得ることも十分可能なはずです。しかしそういう主張をする政治家は多くない。なぜか。
それは、高齢者は数が多い上に投票率が高いからな訳ですね。ですから、政治家にとってみれば、訴えた時に感じた実感が、ダイレクトに得票になる手応えがある。ですから、政治家は高齢者重視をやめられません。それはおそらく、農村票とかも同じだと思います。選挙運動期間中の実感がダイレクトに得票に繋がる手応えがある。おそらくそれは、政治家にとって嬉しいことだと思います。
しかし若者はどうか。若者に訴えて手応えがあったからと言って、それが投票に結びつくとは限りません。天気が悪くなれば投票率は下がりますし、良くなってもみんな遊びに行ってしまうので投票率は下がります。自分たちが命がけで選挙をやっていても若者は気まぐれで投票に行くかどうかもわからない。こんな手応えのなさでは若者に訴えても仕方ないと政治家は思ってしまうでしょう。
私たち日本国民は、憲法に書かれているように「正当に選挙された代表者を通じて(政治的に)行動」するしかない(代議制民主主義以外の原則に従って憲法が書き直されたらまた話は違うわけですが)ということは、自分自身が代表者になるのか、でなければその代表者を支持したり批判したりすることによってしか政治行動は出来ない。もちろんデモのような直接行動はあり得ますが、それだけに頼ることは出来ません。
イギリスで、EU離脱を決めた国民投票で、若者たちで狼狽している人が多い。おそらくその多くはノリで離脱に投票したり、ないしは自分に関係ないと思って投票に行かなかった人たちでしょう。しかし、だからといって真剣勝負である国民投票をやり直したりしないのが民主主義の原則です。自分の意志と異なる結果になって後悔しても、投票に行かなかった人の権利は永久に閉ざされます。
実際、イギリスでも若者の政治離れは激しいらしく、高齢者の投票率が高いのに対し、若者の投票率は日本と同じように低いのだそうです。ですから、離脱派の多い高齢者が投票率が高く、残留派が多い若者の投票率が低かったのでは、最初から勝負にならないという面もあったのだと思います。
若者の投票率が低い理由はいろいろあると思いますが、一番大きいのは経験不足ということなのではないでしょうか。自分の投票が政治をどう動かすかという実感がない。しかし、自転車が乗らなければ乗れるようにはならないのと同じで、そうした政治的実感も投票行動を繰り返しおこなって行かなければ持てるようにはならないと思います。
そして、代議制民主主義の日本では、実際に政治を動かしているのは選挙で当選した代表者、国会議員な訳です。その代表者たちも「人間」だということを忘れては話はおかしくなります。人間としての欲望もあれば、事情もある。理想もありますし、性格もあります。人の話を聞くのが得意な人もあれば、自分が主張するばかりで人の意見を聞かない人もいます。そういう「生身の人間」に、我々は政治を任せているのだと言うことを忘れてはいけないと思います。
結論から言えば、政治家は誰でも選挙での当選が大きな問題でない人はいませんから、選挙民の声には基本的に耳を傾けます。そしてその声に納得すれば、彼自身の政策として打ち出すこともあるでしょう。また、この政策を打ち出せばこれくらいの支持が得られる、これくらいの得票が得られるという打算も当然あると思います。経営者がお金を稼がなければ立ち行かなくなるように、政治家は得票が得られなくなれば立ち行かなくなってしまうわけですから。
ですから、ある意味不純と言えば不純なのですが、政治家には計算させなければいけないわけです。「若者の意見を取り入れることは票につながる」と。
政治家は全体の奉仕者ですから自分に投票してくれない人の意見も尊重する義務があるとはいえ、投票してくれる人の意見を重視するのもまた人間としては仕方のないことでしょう。というか、民主主義というのはそういう妥協も含めて成立している制度なのだと思います。
ですから、投票に行かないというのは、また「若者層」としてまとめてみられる人たちの投票率が低いということは、物理的に、民主主義の原理原則から行って、主張が反映されにくいということなのです。
だからどうしたらいいという処方箋が描けるわけではありませんが、少なくとも実現してほしいことがあるなら政治家に何らかの形で(今ではツイッターとかもありますし)訴え、そしてそれを聞いて主張してくれる政治家がいたら投票する、という形にして行くことが、原則的に要求されていることであるわけです。
結論としては、現在の政治制度が維持されてる限りは、若者は投票に行った方が自分たち自身にとって得だということ、自分たちがしてほしいことを何らかの形で政治家に訴えて行くことと組にして、民主主義という制度が成り立っているということは、理解し、自覚しておいた方がいいとは思います。
それで実際にどう行動するかはその人の自由だと思いますが、民主主義というある意味冷徹な制度について(イギリスの国民投票はある意味その冷厳なところをはっきり示してくれたと思います)、もっと啓蒙された方がいいとは思っています。
行くのも行かないのも勝手ですが、少なくともいろいろ調べて考えて、投票に行ってみた方が、少しは政治が面白くなる、興味を持てるようになる可能性はあるのではないかと思います。
その政治が、自分たちの未来と深く関わって来ることもまた事実な訳ですから。
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