アニメ「暗殺教室」の「スター・ウォーズ」に通じる部分と、さらにその先の未来。
Posted at 16/06/19 PermaLink» Tweet
アニメ「暗殺教室」の「スター・ウォーズ」に通じる部分と、さらにその先の未来。
アニメ「暗殺教室」、二期ももう大詰めです。今回の放送ではすでに終了している原作の最後までがアニメ化されると言う、原作とアニメの幸せな関係が成り立っています。(「シドニアの騎士」もぜひ3期をやって最後までアニメ化してほしいものです…)
東京では木曜深夜(金曜未明)に放送されているアニメ「暗殺教室」。私は録画で土曜日の夜に見るのが習慣になっているのですが、今回の23話「ラスボスの時間」はとてもよかったです。
原作では単行本最新20巻の172話「生徒の時間」、173話「私の生徒の時間」、174話「顔色の時間」、175話「戻らない時間」の4回分に当たります。原作でもクライマックスの回。アニメでは圧倒的な描写で元死神・殺せんせーと、柳沢の手により触手のバケモノと化した二代目死神の、異次元の戦いが描かれていました。
「暗殺教室」は、基本的に落ちこぼれの中三生のクラス、3−Eの生徒たちが、黄色いタコのようなふざけた怪物である「殺せんせー」を一年間のうちに暗殺する、というミッションを与えられて、その中で教え教えられて成長して行くと言う設定の作品です。奇想天外な設定もその大きな構造が最後の方になって明らかにされ、「暗殺」と言うアクション的な要素と「教育」「成長」という精神的な要素が相まってすすんで行く作品な訳です。
私は、生徒の一人であり、狂言回し的な役割、ナレーター的な役割を与えられた背が低く弱々しい女の子みたいに見られる潮田渚に感情移入をして読んでいたので、彼の成長やその過程の中で実はとんでもないキャラクターだということが明らかになって行くのがとても面白く、だから渚の「暗殺」の場面をいつも楽しみにしていたのだけど、アニメではあまりその辺は丁寧に描写されてなくて、その辺りはちょっと残念に思っていました。
作者さん本人が「このマンガがすごい!2014」で第一位を獲得したときの発言、「こんなお固い教育マンガが・・・」と言ったような、教育的な側面がむしろ強調されているように思ってきました。マンガではアクション場面の凄さが、逆にそういう面も説得力を持つようにしていたと思うんですけどね。
しかし、今回、アニメ23話は掛け値なしに凄かった。「一撃一撃がソニックブームを生む、規格外の闘いが開始された」とありましたが、ソニックブームとは超音速の飛行機が音速を超える時に発せられる衝撃波のことです。この空気の波動の破壊力が超音速旅客機コンコルドでも問題になってしましたが、それが発せられるほどの殺せんせーと二代目死神の死闘。この描写は掛け値なしに凄かった。むしろ、ここを強調するために生徒たちの「暗殺」シーンをあまり強調した描写にしなかったのかもしれないと思うくらいです。
そしてその二代目に立ち向かおうとする茅野カエデ。彼女は姉を殺されたと思い込んでいた殺せんせーへの復讐を決行したために、殺せんせーの秘密を明らかにして、3Eの生徒たちに迷いを生じさせたことをずっと後悔していたのですね。その心情と、一撃での死。ここは原作で読んでたときも衝撃的でした。
ここから殺せんせーの「一年間の成長」の中で生まれた「純白の光」が発され、その力で、ついに二代目死神と柳沢を排除。そこで描かれた二代目死神の心情。彼は、殺せんせーの前身である初代死神に憧れて暗殺者を志し、でも「自分を見てくれない」死神に背いて彼を売った。「もしあの時、彼の笑顔が見えていたら」というのが殺せんせーの最大の後悔だった。この闘いは、そのおとしまえをつける闘いでもあったわけです。
そして殺せんせーは、この闘いの中ですら茅野のすべての血液と細胞を収集していたことを明らかにし、その繊細な手術によって茅野を蘇らせます。まあここはお話ですが、でも完全に否定しきれないところも凄いと思わされます。そして、生き返った茅野の周りで喜ぶ生徒たちを見つめる、殺せんせーと亡くなった茅野の姉・あぐりの姿。物語の終局近くを感じさせました。
さて、今回はかなり詳細に物語の内容を書いたわけですが、それはそこを書かないと今私が書きたいことが書けないからなのですね。
それは、死神=殺せんせーにとって、「二代目死神」も「3Eの生徒たち」も、等しく自分の生徒であった、ということです。
そしてそれは、ダークサイドに落ちてしまった二代目死神と同じようになってしまう可能性が生徒たちにも、特に生徒側の主人公と言える潮田渚、誰よりも弱いのに誰よりも暗殺の才能のある渚にもあったということなのだ、ということに思い当たったということなのですね。
殺せんせーが「赴任」して来た当時、3Eは落ちこぼれの集団で、それが「暗殺」というミッションを与えられて生き生きとし、その中で勉強も運動も超進学校である椚が丘中学の中でもトップにまで成長する、その中で人間的にいじけていた部分も殺せんせーの「教育」によりのびのびと成長出来るようになって行ったわけなのですが、一つ間違えば彼らも闇落ちしてしまう可能性はいくらでもあった。
それが象徴的に描かれているのが今の、つまり二期後半のオープニングな訳です。モノクロでしらけた様子の生徒たちと、カラーで生き生きした様子の生徒たちがカットバックで描かれている。
渚は、誰よりも弱く、警戒心をもたれない。それなのにいざという時の度胸は誰よりも座っていて、自衛隊の猛者である鷹岡までも、二度に渡って倒してしまった。そして、将来の選択をするときも、自分にある「暗殺の才能」をめぐって、「殺し屋になるべきだろうか」と悩んだりする、そういうとんでもなさを持っている。マンガを読んでる方はまさかそういう方向には行かないだろうと高をくくっていますが、よく考えてみたら現実の世界ではそういう方向に行ったっておかしくない。そして実際、「死神」に憧れて殺し屋の弟子になった二代目死神は、「死神」を裏切ってよりダークサイドに落ちてしまった。それを考えると、彼らだってそうなってもおかしくなかった、ということが、ひしひしと感じられたのですね。
考えてみたら、世界最強の殺し屋だった「死神」が柳沢の実験により、反物質のエネルギーで最凶の触手生物として蘇ったわけですから、正にダースベーダーみたいなものな訳ですが、それが茅野の姉である「雪村あぐり」のおかげで精神的に生まれ変わり、「弱くなりたい」と願った結果、暗黒ではなくふざけた黄色の巨大なタコのような姿で、エロくて偉そうで意味不明の理想の先生、という突っ込みどころが多すぎて何がなんだかわからない存在として生徒たちの前に現れている。ダークサイドに落ちなかったのは、あぐりが死に際に言った、「もし、残された一年間、あなたの時間をくれるなら、あの子たちを教えてあげて。アナタと同じように・・・あの子たちも闇の中をさ迷っている。真っ直ぐに見てあげれば、きっと答えは見つかるから」という言葉のおかげだったわけです。
だから殺せんせーは「自分を暗殺させる」という方法で生徒たちを教える、と言う方法をとった。しかし、過去は変えられない。それ以前の生徒だった二代目死神は、結局自分の手で葬るしかなかったわけですね。そこに、殺せんせーの強い悔恨があるわけです。
渚たちだけの話だと考えると、このストーリーの本当の深さは見えて来ない。苦い大きな悔恨と、出会いによる運命の転回、そして定められた死。ダークサイドに落ちることと、落ちないことの意味。
殺せんせーは生徒たちに言う。社会を否定しては駄目だと。社会の激流が自分を翻弄するならば、その中で自分はどうやって泳いで行くべきかを考えろ、と。それは「社会を否定し、社会を変革する若者」という、いわば従来のステロタイプとは一線を画しています。それよりも、社会を否定することで闇オチするのではなく、社会のありようにあわせてしたたかに生き残って行け、焦らずに試行錯誤を繰り返せば、いつか素晴らしい結果がついて来る、というわけです。
ここは、賛否両論があるだろうと思いますが、一つの考え方としてはアリだと思います。この作品は「暗殺教室」であって「革命教室」ではないからです。作者の言うように、「暗殺」は弱者の戦略。正に渚のように一番弱い者が一番恐ろしい暗殺者たりうるわけなのですね。
まあ、「革命教室」はもちろんそれはそれとしてあっていい、でもこれは「暗殺教室」なのだということだと思います。
ただ、現在、2010年代のようにイノベーションの進行に伴って社会が激変して行く時代は、昔のような牧歌的な革命像はもはや時代遅れかもしれません。イノベーションの進行が今よりもっと緩やかだった時代に、イノベーションの成果を生かして社会を変えようと言うのが革命の動きだったのだと思いますが、今では世の中の人はイノベーションの進展について行くだけでみな精一杯です。もしできることがあったとしても、イノベーションの進行に乗じる形で、否応なく進む社会の変化の中で、どう守るべきものを守って行くか、そしてその進化が落ち着いた時にいかにより本質的な理想を描けるか、ということでしかないように思います。
そういう意味で、「暗殺教室」というのはより先のある、「終わっていない」作品である気がします。本誌での連載は終了し、6月中にアニメも最終回を迎えるわけですが、さらに向こうが見えて来る、そんな作品である気がしました。
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