人文系の危機について

Posted at 16/03/29

自分の現在を確かめたくなって「関心地図」を描いてみたら、10年前とは全然違ったものになっていて自分のことながら驚いた。

歴史が自分の中で「教養」と位置づけられようとしているのに気がついて、それを口に出して言ってみるとかなり破壊力があった。

現在に生きる人間として、日本と世界の現在には関心を持たずにはいられない。

あとは何を重視するかが自分の中でバランスが全然変わっていて驚く。

ただ自分の現状を把握しておかないと自分が何をやろうとしているのか分からなくなってしまうので、それは大切だと思った。

ばあっと書き出しただけでこれなので、もう少し細部を見て行ったらだいぶ自分の中の景色がはっきりして来るだろうなと思う。

一つ気がついたのは、自分はアートとかデザインとか美術的なもの、視覚的なもので気分が高揚し、音楽など聴覚的なもので気分が落ち着く、という傾向があるしそれを求めている、ということ。

昔ほどロックのような音楽を聴きたくなくなったのは、多分その辺だろうし、視覚表現に対する関心は高まっている。これはずっとマンガを読んでる影響がかなり大きいとは思う。

あと日本の現状と言うか問題点と言うか、そういうものに対する関心がとても高まってると思った。少し前だったら、右だとか左だとかもっと観念的な部分が主な関心事だったけど、最近は保育園の問題だとか一つひとつのケースに対して考えるようになって来ている。

それはどうしてかと考えてみると、少し前まではなんだかんだ言っても日本は大丈夫、底力があるから、みたいな感じでとらえていたのが、一つひとつ何とかして行かないとどうにもならなくなって行くぞ、という感じになって来たからだと思う。

「保育園に落ちた日本死ね」でも、昔だったらばかじゃんもっとまともな言い方しろよですませてたと思うけど、今ではどういう意見にしろ割とみんな真剣に意見を出し合っている感じがするし、それでどういう動きになるかどうかはともかく、何とかしようとしている。むかしはいろいろなことにある意味答えが用意されていて、それに近づけないのが問題だ、という問題の立て方だったのが、いまでは答えの無い問題にどうとりあえずの答えを出して行くかなんだ、という意識が共有されて来ていて、原則論を振り回すだけの人たちというのはあまり相手にされなくなって来ている感じがする。

日本はどうなるかわからないし、世界もどうなるかわからない。人道主義だけではやっていけないが、かといって独裁に走るのはまずいという危機感はどこの国にもある。

その中で例えば、個人の成功とは何かとか、昔はそういうのって自分のことだけ考える意識の低い人、という感じだったのが、むしろ成功のために頑張るのが意識の高い人、という感じになって来ていて、その辺りの社会環境が百八十度変わって来ている感じがする。

だから成功とはなにか、それは個人にとってどうなのか、また社会にとってはどうなのか、教育は何を目指せばいいのか、とかとか、いろいろ全然昔とは違うのだけど、でもやはり人間には根幹をなす教養というものは必要で、でもその教養というものもどういう形態であるべきなのか、答えは一つではない。

歴史にしても、清朝の中国だとか平安時代の日本だとか、教養的な関心は自分の中ですごく高まっているし、宇宙の姿や海洋の状態など地学的なものにも関心が強くなっていて、何故というのは難しいがある意味純粋な知的関心みたいなのが強くなっている。

昔は学問に対する関心はその道を究める、プロとしての関心、を持たないといけないという意識が強くて、反ってその意識に自分が疎外されているところがあった。今では人文系の没落みたいな現象が起こっていて、自分がそういう専門にのめり込みきれなかった理由が、やはり人文系の専門知が出来ることの限界のようなものを感じていたからだろうなと思う。社会なり自然なり人間そのものになり働きかける力をどう持つかということにおいて、人文系の学問というのは興味の無い人間に対する訴求力がどうしても弱い。特に現代日本のようにカジュアル化が進むと教養におけるヒエラルキーみたいなものが弱体化してしまっている。「何の役にも立たないからこそ学問は尊い」と言い切れた時代は過ぎていて、尊い学問を大学における職もなく続けて行けると言い切れる人は元々ごく少数だろうし、今それを主張するなら竹林の七賢のように振る舞う覚悟がいる時代になりつつあるのだと思う。

社会や個人や自然に現実的なインパクトを与えるものでなければもはや仕事として成り立たない、インパクトを与えない仕事に金を出すような余裕が今の日本にはなくなりつつあるということは自覚した方がよくて、その中で生き残って行くためには発想の転換は少なくとも必要な時代になったのだと思う。

人文系の学問とか純文系の表現とかある種その世界のタコツボに入って行かないといけない分野というのは今はなかなか成り立ちにくくなってきているし、成り立たなくなって行くのではないかと思う。その学統を守って行くのは大事なことだと思うけれども、抗いきれない部分も出て来るかもしれない。

現代はどうもローマ末期、というか帝国が滅んで理念だけ残っているメロヴィング時代と自分の中で重なる部分があって、トゥールのグレゴリウスや藤原定家の嘆きがどこからか聴こえて来るのだけど、でも当事者の方々からはまだそれほどの危機感が聴こえて来ないような気もする。

人文系の学問がどう生き残って行くべきなのか、考えなければいけないことは多いし、まず後継者が集まらなかったら伝統芸能みたいにその時点で消えてしまう。ポストが無ければ高校の教員をしてくいつないででも学問を続ける、くらいの気持ちが少なくとも無いと、人文系の学問が消えて行ってしまう可能性は否定できないのが現状なのではないかと思う。

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以上あらあらつぶやきをまとめたもの。話の展開がおかしい部分もありますが、全体として言わんとするところを汲み取っていただければ幸いです。

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