内田樹・鈴木邦男「慨世の遠吠え」 −− 人類はまだ第二次世界大戦を乗り越えてはいない
Posted at 15/06/10 PermaLink» Tweet
慨世の遠吠え | |
内田樹・鈴木邦男 | |
鹿砦社 |
「慨世の遠吠え」を読みました。
新右翼「一水会」の代表として知られる鈴木邦男氏と、ユダヤ人の哲学者・レヴィナスの研究者であり、どちらかというと左翼の論客として知られる内田樹氏との対談本。二人の間には「合気道」という共通項があり、ともに身体感覚を通してものをとらえ、考えるというところで共感している、ということを、お二人とも書いていて、私も読んでいてその共感ぶりが感じられました。
行動のスタンスというかパターンは正反対で、自分の関心のあるところにどんどん出かけて行き、踏み込んで行く鈴木邦男氏(私が鈴木氏を知ったのも元はと言えば小林よしのり「ゴーマニズム宣言」で鈴木氏との対談を読んだから)と、ラジオには出てもTVには出ない、など、「無駄なところには出て行かない」内田氏の違いは際立っていると思います。どちらが正しいという問題ではないけれども、そこに二人の世界の広さ、あるいはやわらかさの違いのようなものが現れてくる、という感じはしました。
ベストセラー・メーカーである内田氏は大きな包容力を持ち森羅万象に関心を持っているように見えるけれども、実は自分の関心のあることを深く極めて行くタイプで、それだけに「現代の若者」論などになると若者側への踏み込みが浅いという感じがしてしまう。これは戦争責任論その他に置いてもそうで、自分のスタンスからはみ出さずに全ての発言がなされている、逆に言えば非難された側はその論拠に自分たちの側への理解が少なすぎる、と感じるという結果になっているように思います。
鈴木氏は「右翼」という看板の一般的なイメージとは異なり、自分が少し興味を持ったものについてはどんどん飛び込み、どんどん理解して行こうとする、まさに「行動する身体」という感じで、相手の立場に立ってものを理解しようと言う懐の広さはすごいと思いました。その思想的な受け入れ度の広さについて、むしろ小林よしのり氏などもその許容力が大きすぎるところに(右翼なのに「南京大虐殺」を認める、など)危惧の念を表せられていましたが、良し悪しはともかくその相手を思いやる心の広さには感動してしまいました。
対談中、お互いが経験してきた「合気道」の話はいろいろと面白かったし、合気道の開祖・植芝盛平が合気道は「先の先」であり「自分が主宰する場をつくり、その場の中心に立つ。だから護身術という発想はない」という話など、禅に関係してくる話なども興味深いものがありました。
ただ、この本でこの一点を取り上げたいというところを上げるとすれば、「人類はまだ第二次世界大戦を乗り越えてはいない」と思わされた、ということだろうと思います。
現在日本では、「歴史の見直し」を主張する人たちがいて、それに対し主に左翼陣営から「修正主義者」という批判がぶつけられています。しかし日本では、歴史の見直しを主張したからと言って、あるいは「ポツダム宣言史観」というか「連合国史観」に反対する、あるいは無視するという姿勢を取ったからと言って、それで知識人としてのポジションが抹殺される、とまでは行きませんでした(そう言う例もあったかもしれませんが)。だから「大東亜戦争肯定論」を書いた林房雄が世間的に抹殺されるということはなかった(攻撃を受けはしただろうけど)ですし、小林秀雄や江藤淳なども自分の考えを開陳することが可能だったわけです。
しかしどうも、それは日本の特殊事情であるらしい、ということをこの本を読んで改めて思いました。
現在のドイツには例えばハーケンクロイツを掲げたら逮捕される、という状態で、つまりはナチスを肯定するような発言をして知識人でいることは不可能なのだ、といいます。確かにギュンター・グラスが武装親衛隊に所属していたことを告白して糾弾されたり、いまだにナチスは絶対悪ということになっています。
それはフランスでも同じで、実質的に第二次世界大戦中フランスを動かしていたのはヴィシー政権なのですが、戦後はほとんどその歴史は抹殺され、その時代のことを調べることも困難になっている部分があるのだといいます。
内田氏はそれを、「ドイツがベルリン陥落まで徹底的に負けたために、ニュルンベルク裁判でナチスに全ての悪を押し付け、ほかのドイツ人を免罪するしかなかった」、「ドイツ人は潔白だと言う言い分を通すため、永遠にナチスを邪悪なものと攻め続けなければ行けなくなった」と説明しています。
そして、「それは無理がある」とも言うのです。
それは全くその通りだと私も思います。ナチスが支配していた1933年から1945年の間に、ドイツのために戦った人は大勢いるし、そこに自らの青春を感じていた人たちも当然沢山いるでしょう。ずいぶん前にどこかのテレビで見た話だけれども、「ナチス時代は良かった」と回想しているドイツ人は、その時代に生きていたドイツ人の過半数を占めた、というアンケート結果もあったし、TVであっけらかんとそう喋っているおばさんも実際に見ました。まあそんなの当たり前だと思うけれども、「知識人の世界」で「公式的に表現」されているのは、たとえば「朗読者」みたいな感じになってしまうのでしょう。日本ではその時代がよく取り上げられ、まあ反戦映画的になることは多いとはいえその時代の普通の人たちの生活がよく描かれる、そう言う状況とは違うのだろうなと思います。
フランスにいたってはパリ解放後、政権を取ったドゴールの元で実際に実務を担ったのはほぼヴィシー政権の人々だったと内田氏は指摘しています。そう言う分析をきちんと読んだことがないので私としては確かめられないのですが、つまり「戦争責任」が問われたのは上層部に過ぎなくて、その分フランスにおいて戦争体験の記憶の抑圧は日本の比ではないのだと言うのですね。
逆に言えば、ドイツにおいてもフランスにおいても、その時代の「本当のこと」を知ろうとすることはタブ—になった、ということなのです。ヴィシー政権に対する研究がフランスで始まったのは1980年代以降で、それ以前はフランスの国外に持ち出された資料で研究するしかなかった、と言うのはやはりそれだけ重い話だったということですね。
フランスの歴史研究も戦後は左翼方面の、例えばアルベール・ソブールらのフランス革命研究などをのぞけば、アナル派に代表される中世研究が盛んになったのも、そういうことと関係があるのかもしれません。
もちろん日本でも極東軍事裁判である意味徹底的に戦争責任の追及は行われた訳ですが、白洲次郎の「我々は戦争に負けただけで奴隷になった訳ではない」という言葉に代表されるように、戦前を肯定する人たちがわずかながらも存在し続けることが可能だったのだと思います。
アメリカの占領方針などを読んでいると、基本的にはドイツに対する姿勢と同じ方向で処断しようとしていたのだと思います。しかし、結局は冷戦の開始によって旧支配層がある程度復活するという「逆コース」が起こった訳で、それは逆に言えば「日本人自身による記憶の抹殺」というものは、もちろん教科書の墨塗りなどはあったとはいえ、徹底しては行われなかった、少なくともドイツフランス並みには、ということの証明だということになるのだなあと、ちょっとこれは目から鱗でした。
日本の戦争目的は「八紘一宇」とか「五族共和」とか「大東亜共栄」とか、そのこと自体では非難されるようなことではなく、ナチスのようにドイツ民族の世界制覇みたいなことはどこにも書いてない。だからそう言う言葉を戦後教育で徹底的に否定しようとしても、「どこがいけないの?」と言う疑問は徹底的には封じ込めきれない。だから日本では「敗戦経験の総括」が上手く行かない、と内田さんは言う訳だけど、逆に言えばそこに我々日本人が息をつく隙間が生まれた、というふうに言うことも出来るのだと思います。
我々から見れば、ドイツ人がソ連軍の蛮行によって大量に虐殺されたことになぜ抗議の声を上げないのかと思うし、今でもソ連=ロシアに対して、戦後の東ドイツ支配も含めて、怨念を持っている人たちは少なからずいるというけれども、その声はドイツ人自身によって封殺されているのだ、ということになる。そして封殺し続けるための教育を徹底している訳で、それじゃあ「本当のことを知りたい」と思ってそれを実行するには自らネオナチにならざるを得ず、いくらなんでもそれは不健全だろうと思います。
韓国や中国でも親日派狩りが折に触れて行われているけれども、ムソリーニ政権崩壊後のイタリアもレジスタンスの神話だけでなく、都合の悪いことを知っている人が消えて行ったことも多分あっただろうという分析もそうだろうなあと思います。そして、戦後はそのことについては黙して語らない、と。確かに、あの世代の日本人の中にも、「墓場まで持って行く」秘密を持っていた人たちは沢山いたし、敢えて語らないのがデフォルトになったのだろうとは思います。
実際、密告社会であった東ドイツや旧ソ連、それにフランコ政権支配下のスペインなどでも、過去に触れないというのは不文律であった、スペインのことに関しては特に堀田善衛さんが書いていたけれども、ほじくり出すと地域共同体は崩壊してしまうだろうし、そのアオリを受けた人、特に何も知らない子供が「自分はなぜこんなに不幸なのか」という理由を探し当てることが出来ずに苦しむという例は、少なからずあっただろうと思います。
中国などは今でもなお日本軍国主義を日本牽制のネタに使う訳だし、彼らに取ってはそれが政治的資産になっているのは言うまでもないのですが、連合国の立場として、あるいはドイツなどは「敗戦国の立場」として、ほかの自由主義諸国もその辺りのところは黙認ないし中国側に立つことが多い訳で、その辺りはアメリカの日系人議員がより日本に対して激しく攻撃する理由だとかと共通する部分も多いのだろうと思います。
日本人の今のナショナリズムとか中国韓国に対するいらだちとか、ひいてはヘイトスピーチに至る心の動きの発端の多くは「日本の戦争(つまり自分の国の過去)について語ることに対する抑圧」への反発から来ていると思うけれども、ドイツやフランスではそれを表明することさえ許されないわけで、そのあたりは「まだまし」だと言えるのかもしれないと思います。
しかしいずれにしても、本当の意味で第二次世界大戦を総括し、人類としてそれを乗り越えるためには、連合国側に都合の悪いことでも全て白日の下に晒し、全体的に吟味検証して行くべきであることは当然だと思います。70年というのは全然それをするのに十分な時間経過ではないんだなとこういうのを読んでいるとしみじみ思うのですが、共産中国のように「第二次世界大戦=建国神話」である国が国際的な発言力を強く持っている状態ではその実現はなかなか難しいのだろうなと思ってしまいます。
内田さんのスタンスは、「もめたくないから、謝ればいい」というスタンスで、まあつまりは今組み上げられてしまった世界像をとりあえずは受け入れるしかない、ということなんだろうと思うけれども、それが納得出来ない人にはあんまり説得力がないような気がしました。
ただ、それは戦略的な問題であって、内田さん自身は現在の世界像が虚構であることは十分承知している、ということなんだろうと思います。ただ、アメリカに対しては反発心を露わにしているのが整合性がないように見えますが、それは戦争の評価よりも戦後の現在まで継続する日本支配の実態、「アメリカに評価されることが正しい」「アメリカの邪魔をしては行けない」という日本の政官の支配層の実態に対する反発だということなのでしょう。しかしこれも、どうすればアメリカから相対的に独立出来るのか、という処方箋のようなものは示されておらず、そうなると「いつもの左翼の言辞」みたいな感じがしてしまうのが残念だ、と思いました。
まあとりあえず私に取ってこの本を読んでの収穫は、鈴木邦男という人が魅力的な人だということを理解したことをのぞけば、「人類は第二次世界大戦をまだ乗り越えてはいないし、それはそんなに簡単なことではない」ということを理解した、ということだなと思います。
その状況に対してどう対峙し、行動して行くかはその人次第ではある訳なのですけどね。
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