理性信仰と本質へ至る道/現代の魔女
Posted at 14/09/11 PermaLink» Tweet
古田博司『ヨーロッパ思想を読み解く』と海野弘『魔女の世界史』を読了。両方とも面白く、またシンクロナイズして自分自身の考え方や世界のとらえ方のようなものを見直してみるある示唆を与えてくれる本たちだった。
ヨーロッパ思想を読み解く ――何が近代科学を生んだか (ちくま新書) | |
古田博司 | |
筑摩書房 |
『ヨーロッパ思想を読み解く』は、ヨーロッパ思想、日本で主流のドイツやフランスの理性信仰、いわゆる大陸合理論の系譜のようなものを相対化して、イギリス経験論の優位とでも言うべきものを示すやり方は何と言うか快刀乱麻を断つ感があった。理性というのはこの世界のわれわれが把握している世界内部のものであって、それがどのようにしてこの世界の別のサイドにある「本質の世界」のようなものに接する、ないし到達するのかということについての延々とした議論がドイツ哲学であり、その末裔であるフランス現代思想である、という指摘は私には腑に落ちるものがあった。
結局、近代を近代たらしめていたいちばんのもとは、「理性信仰」なのだというのが古田さんの主張なんじゃないかと思うのだけど、私はそこまで根本的に考えてなくて、民主主義と資本主義と科学主義、みたいに考えていたのだけど、考えてみれば三つとも、「人は政治的な問題について理性で判断する」ことを前提とした民主主義、「人は自分の利益が最大になるように理性的に行動する」ことを前提とした資本主義、「人は理性で推論し実験し確認できたことのみを信じるべき」ということを前提とした科学主義のそれぞれは、理性に対する絶対的な信頼、言わば理性信仰を前提としているのだ、ということが重要なのだと思う。
そして「民主主義」というものがなぜ正しいのかという私の中学時代から長い間疑問だった問いについて、「直観」的に選びとられた社会契約という思想をもとに構築されたこの制度は「超越」である、というのが答えだった言ってよいのだと思う。「超越」というのはこの世界にいる人が「向こう側」、言わば「真理の世界」に到達する一つの方法(直観もまたその方法のひとつ)で、それによって得られた構築物が「(人々の幸福の増進に)有用」であればそれは「超越」であるということになるようだ。有用でなければただの「思い込み」である。民主主義は今のところ有用なシステムだと考えられるので、「超越」であると言っていいのだということで、これは私が自力で到達した「民主主義」理解とすごく近い(超越という言葉のこの用法は知らなかったが)ので凄く腑に落ちた。
だからそれをより根本的に言えば、「理性」というものはなぜ信用できるのか、という問題を考えるべきだった、ということになる。大陸合理論の歴史はデカルト以来、「理性がなぜ信用できるか」についての答えと問いの形成と破壊の歴史だったということに、この本を読んで初めて思いが至った。
理性は理性の力「だけ」では本質に至れない、というのはイギリス経験論の示唆するところなのだけど、まあ言えば大陸合理論は理性のみによって本質に至れるものとし、ないしは理性の枠内での思考だけで十分だという消極主義の立場を取ったりしたというのも、哲学書に描かれている消化に悪そうなぐねぐねした思考はそういうことだったのかと初めて納得がいった思いがあった。
しかしまあ、私は「理性」自体を考察の対象には結局はしなかった。それは理性自体をもともとあまり信じられないものだと考えていたからだ。
古田さんは「芸術は直観によってつかみ取り感性によって形成する」と描いているけれども、そういう意味では理性の出番はあまりない。自分はむしろそういうのこそ生きる道標であり、理性や悟性を使う部分は人生においてあまり重要ではない部分だ、とみなして、直観と感性のみが重要だというふうに考えてしまっていたところがあったのだなと思う。
実際には自分も相当理性を使ってものを考えるタイプであるのだけど、それはむしろ道具みたいなもので、主体は直観と感性の側にある、という気でいた。というか、そうありたいと思ってきたのだなと思う。それは昔から私は「頭でっかちだ」という批判をよくされてきていたので、それに対する反発から、そういう人間ではない、という面を強く主張したい、というところがあったからだなと思う。
実際にはそれらはきちんとミックスして使うべきものだし、もしそうであるならば理性をも含めて感性や直観もまたきちんとそれは何か、なぜ信頼し得るのか、という問題もまた考えるべきだったのだろうと思う。
自分の望むこと、欲することというのはもちろん現実世界の枠内のこともないわけではないけれども、最も望むもの、それが満たされれば生きる意味を感じられるものというのは、つまりはいかなる方法であれ「本質に触れる」ないし「本質に触れている」あるいは「本質に到達する方法を持っている」ということなんだなと思う。自分が「本質に触れている」と感じていれば「喜び」を感じられる、ということで、「やりたいこと」と「やるべきこと=「正しい」こと」と「出来ること」が一致しているというのがやはり無上の喜びなんじゃないかと思う。
つまりまあ言えば本当に「やりたいこと」というのは結局は「本質に触れる」ことなのであり、もし「生きる喜びが感じられない」とか「何をしたいのか分からない」というのであればそれは結局「本質に触れていない」「本質から遠ざかっている」という不安とか焦りとかいうものなのだなと改めて思った。
で、彼が考える「本質に至る道」というのは三つ示されている。それは本質と予想されたものに向かってコツコツと地道に積み重ねて本質ににじり寄っていく「接近法」と、直観により本質を把握し構築によって道を確保し有用であることを目指す「直観⇒超越法」、既に示されている向こう側(本質の側)からの本質の断片を森羅万象からすくい上げて構築していく「検索エンジン法」だ。まあ現実の方法はこれらの方法の適度なミックスによることになると思うけれども、たとえばKJ法などはそのやり方の一つだと思う。
魔女の世界史 女神信仰からアニメまで (朝日新書) | |
海野弘 | |
朝日新聞出版 |
『魔女の世界史』は近代以後の魔女現象というべきものを歴史を振り返りつつ考察していくという本で、いろいろ面白かったのだが、特に現代のスピリチュアル的な「魔女」を巡る潮流は「ニューエイジ」的なものと「ネオペイガニズム」的なものがあり、お互いに相手を批判しあったり否定しあったりしているというのは面白いなと思った。
また『ゴス』というムーブメントが19世紀ゴシック的なものがパンクの潮流によって再び呼び起こされたものだ、ということについて海野さん自身が発見しているのが興味深かった。ゴシック的なものの中にはもともとフェミニズム的な、近代男性中心主義否定思想があり、それがパンクの権威否定と結びついて「ゴス」というおどろおどろしいものの肯定というファッションムーブメントが生まれたわけだけど、その思想的なものが全く捨象された形で日本にとりいれられ、ゴシックとロリータ(男性=おたくから見たかわいい少女的なものもかなりの割合で含まれる)が結合して、男性に服従するものとしてのメイドまでが含まれた形でゴスロリというファッションムーブメントが生まれ、おどろおどろしさだけでなく「かわいさ」という日本的なものが強調された形でまた『ゴス』の中に投入されて行く、という分析が面白かった。
最後の章は魔女の見本市みたいにいろいろな現象やムーブメントについて触れられていて、その中にはAKBや「艦これ」「魔法少女」まで含むような一覧表になっている。「魔女」は自由になりたい女性のポジティブの象徴であるとともに敵を否定するネガティブの象徴ともなり得るという両面を持った極めて現代的な表象であるというのは、その通りなんだろうなあと思った。
一番おもしろかったことの一つは、ハインラインのSF『異星の客』の中に出て来る宗教を本当に作ってしまった二次創作みたいな宗教が実際にアメリカにあるという話。Church of all worldsというのだが、映画の登場人物が新しい神として加えられたりすることがあるというヒンズー教みたいな現象がアメリカで起こっているというのがすごいと思った。
まあ古田さんの立場から言えばこういう宗教や流れが有用な「超越」なのか無用な「思い込み」なのか理性の沙汰でない「芸術」なのかは難しいだろうなあと思うが、古田さんは例えばヘーゲル思想やマルクスの労働価値説、デリダの脱構築のようなものも世界に害をもたらしたものという否定的な見解を示していて、「あの世」という考え自体も有害無益という感じで見ているのであんまり肯定はしないだろうなと思う。
私はまあ、マルクスの思想の反「商業」、反「流通業」的なところなど、少なくとも現在の世界においては適用できない部分があることは確かだと思うけれども、宗教とかはそれがあるが故に前向きに生きられる、「よりよく」生きようとする人がいる以上は有用(少なくともそういう部分がある)なんじゃないかと思う。
思想というものを評価するにはリアリティを感じないと理解できないし共感も出来ない、という意味では感性的な部分もあるし、どこまで有用性があるかという功利主義的な部分もあるわけで、結局はその二つのものさしを使って選びとっていくしかないのだろう。そのリアリティの部分は自らの「根拠=根」になり、有用性の部分は自らを羽ばたかせる「わくわく感=翼」になるのだから。
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