『バルテュス展』を見に行って、思ったこと。
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ユリイカ 2014年4月号 特集=バルテュス 20世紀最後の画家 | |
青土社 |
6月1日日曜日に、東京上野の東京都立美術館へ『バルテュス展』を見に行った。
バルテュスは以前から好きな画家ではあったのだが、本格的に関心を持ったのは2011年、震災の年のことだった。震災以前から少し画集などを読み始めていたのだけど、震災でささくれ立った心にすごくしっとりと入ってきたのが、『バルテュス、自身を語る』で語られたバルテュスの言葉だった。当時のブログを読むと、本棚が倒れて前面のガラスが粉々に破れ、散乱した破片を片付けたりしていた当時の記憶が甦ってくる。その時に、「私はつねに絵とは「素晴らしいもの」の追求、イエスの誕生時にベツレヘムに向かった東方の三博士が夜道を歩いているようなものだと思っていました。導いてくれる星に従い、そうして出現にたどりつかなければなりません。」という震えるくらい美しい言葉を読んで、何か自分の心が彼の作品に向かって開かれたような気がしたのだった。
またバルテュスが「不穏な画家」であることについても考えたことがあって、それはこちらに書いている。当時、精神状態がやはり不安定な部分があって、その中で数か月をかけて彼の本を読み切ったことは、たぶんそこで自分の感覚や精神状態のようなものを再構築する意味があったのだな、と今にして思う。
だから、もちろんバルテュスの本格的な回顧展が東京で見られることはとても心が動いていたのだけど、あれからもう3年もたったこともあって、その頃の彼の言葉や彼の作品との「特別のつながり」のようなものはもう忘れている部分があった。だから何となく都美館に行くのも気が進まないところがなくはなかったのだが、やはり行けば行っただけのことはあるだろうという気がして、ようやく昨日行くことができた。
でも、彼の作品にはやはり自分が忘れていても強い思い入れのようなものがあったのだなと思う。バルテュスの絵を実際に見るのは多分初めてだったのだけど、なんだか懐かしい人に会いに行くような、そんな気持ちが美術館に行く道すがら、湧き上がってくるところがあった。久しぶりに会って、変わってないか、あるいは自分が変わってしまっていて、そのせいで印象が変わってしまいはしないかと。そういう不安。
だから、館内に入っても、先ず自分の見たい絵から順番に見て行った。回顧展だから彼の画業を理解するための、まだバルテュスがバルテュスになる前の作品もいろいろとあったのだけど、そういう作品はまずは飛ばして、まずは彼が彼であるたるゆえんの絵たちを見て行った。地下から見て、一階に上がり、二階に上がり、外に出る前にもう一度エレベーターで地下に降りて、もう一度見る。結局そんなふうにして延べ三回転見た。混雑していたら迷惑な鑑賞の仕方だが、それが許される程度には空いていた。思ったより混んでいなくて助かった。
何度も見ているうちに、思うことがいくつか出てきた。一言で言うと、思ったより面白くなかったのである。
上に書いたように、バルテュスは自分にとって特別なところがある作家である。その作品をはじめて見て、思ったより面白くなかったと感じたのはなぜだろうか。それは多分、かなり深刻な問題なのだ。
まず、いろいろな絵を見ているうちに、タブローよりもその前の素描の段階の絵、あるいは素描のみの絵がすごく強い印象を持っていることに気がついた。やはり素描というものは特に、実物を見ると印刷物とは全く違う印象を与える。たとえば1968年に描かれた『読書するカティア』という作品の習作としての素描。まだ顔は適当で、おもに焦点があてられているのはその素晴らしく肉感的な脚だ。膝で折られた左脚の、その太もも、ふくらはぎ、すね、足首、足の甲、爪先。伸ばされた右脚の少し折られた膝と、脚の美しさ。これは凄いと思った。
しかし完成品は、なぜか膝の曲げ方が左右反対になり、両脚は肉感的というよりはかくっという曲げ方になっていて、どう見ても素描の方が存在感が凄い。バルテュスは、デッサンの段階では「描きたいもの」は明らかに「脚」であったのだと思うが、タブローにする際にもっと違うものを描きたくなったのだ、と思った。
しかしこの完成したタブローを見ても、顔は本の影になる形で、光が当たっていない。光が当たっているのは本と、脚と、背景の壁や床なのだ。
バルテュスは何のために、つまり何を描くために、このタブローを描いたのだろうか。そんなことを思いながら、館内を歩く。
二度目に見たとき、バルテュスのアトリエを再現したコーナーの前で、バルテュスのインタビューを撮影したビデオが流されていた。そのインタビューの中でバルテュスは「絵を描く上で大切なのは光と静けさと、そのほかにはなんですか」という質問をされて、彼は「何よりもまず光です」と答えている。そしてアトリエに置かれた絵、1994年から95年にかけて描かれた『モンテカルヴェッロの風景(Ⅱ)』を見ながら、「もうすぐ、素晴らしい光が入ってきます」と言っていた。彼はアトリエで、自然光のみで絵を描いていたということは、インタビューを読んで知っていた。
そしてはたと気づいた。彼は、光を描きたかったのではないか。バルテュスはアトリエで光を待ち、その自然の素晴らしい光の中で、作品を描いた。ということは、彼の作品をベストの状態で見るためには、自然光の中で見なければならないということになる。それなのに、実際に宛てられている光は、普通の美術館の普通の、危なげのないライトなのだ。あまりに普通だからそういうものだと思ってしまっていたのだけど、それは画家自身が見たい光だとは、到底思えない。バルテュスはどう考えても「危ない」画家なのだから。
もちろんこれは無理難題なのだと思う。油絵なのだから、日本の6月の強い自然光など当ててしまえば絵は確実に傷むだろう。しかしそれは叶わないまでも、絵に当てる光をもっと工夫することはできたのではないか、と思う。バルテュスの絵は絶対、光の当て方ひとつで全然見え方が変わる作品なのだ。自分が物足りなさを感じたのは、この光の当て方、絵の見せ方なのだと気がついて、かなり合点が行った。
彼の戦前戦中の不穏な絵たちは、光の当たり方に緊張感が高い。特にポスターにもなっている『美しい日々』などはそうで、舞台で言えばサスペンションライトのような緊張感の高い光が描き込まれている。この絵も、いわゆる泰西名画を見せるようなライトではなく、もっと緊張感が際立つような光の当て方をしたら、非常に際立つ印象を与えたに違いない。もちろん初めて見た人たちには強い印象があったとは思うのだけど、印刷物で何十回も見ているものにとっては「画集と同じ絵がそこにある」ではつまらない。という印象になってしまったのだ。
そしてそれと関連するけれども、この展覧会ではあまりにもバルテュスが巨匠扱いされ過ぎている。もちろん巨匠であることは疑いのない事実であるけれども、バルテュスはルーベンスではないのだ。むしろカラヴァッジョ、つまり異端の画家であるはずなのだ。(そういえばカラヴァッジョも光と闇の魔術師だった)
今回の展示のコンセプトで弱いところがあるとしたら、そういう異端性の表現の部分であったのではないかという気がする。もともとこの画家は、たとえば昔の西武美術館のような最先端の前衛や異端の画家が取り上げられ、とんがったスノッブな人たちや頭でっかちな学生が見に来て面白がったり彼女に威張ったりするような画家であるべき(あるべきというのも変だが)なのが、「20世紀最後の巨匠」という感じの、つまりは「美術史のお勉強」的な感じで取り上げられ、真面目な顔をして絵を見に来るたくさんの中高年を動員することに成功した、という展覧会になっている、ということなのだと思う。
もちろんそれで商業的にはかなり成功した、と言っていいのではないかと思う。しかし、出口で年配の女性同士が「ああ、今日はたくさんお勉強した」と喋っているのを聞くと、「勉強するような絵じゃないだろ」と思ってしまう。たとえば描かれている女性の裸体を見て、「きのうの女の身体に似ている」と思ってしまうような怪しからん野郎どもが何食わぬ顔をして見る、そんな絵だという側面が、捨象され過ぎてしまっている。春画を見て多色刷りの鮮やかさに感嘆するのもいいが、それだけじゃないだろうというのと全く同じ話だ。
村上隆さんもどこかで描いていたが、現代美術では性の問題はむしろ取り上げられるべきテーマの一つであって、やはりその点においても彼の作品は現代性を持ち続けているのだし、そこをスルーするのは本来展示の仕方としてださい。しかし逆に言えば、日本でバルテュスという作家の作品が「見てもいい」絵になるためには、こういう展示の仕方もされなければならないのだろうな、とも思う。だから逆に、痛々しさとか不自然さを感じてしまうのだろうな、と思ったのだけど。
展示についてはいろいろ思うところはあったけれど、最後に展示されていたバルテュスの蔵書や愛用の品を見ていて、「年を取ったら銀の杖の似合うジジイになりたい」と思った。バルテュスはやはり、若い時も年を取ってからもかっこいい。あのかっこよさがなければモデルをだまして脱がして(失礼)絵を描いたりはできなかったのではないか、とつい妄想する。
さて、いろいろと書いてきたけれども、これらはもちろん個人的な意見だ。敢えて強い表現を取ったところもあるけれども、基本的には、やはり作品の真価、作家の真価が十全に受け取れるような形で見てみたいと思うからこそ書いたことなので、失礼の段はお許し願いたい。
バルテュスはインタビューで、言っている。
「絵を描く仕事に虚栄や自惚れを見てはいけません。まさにその反対、いかに自分を守り、前進するか、なぜなら、常に、何においても重要なのは歩くこと、進歩することだからです。そのために私は常に誰かれの忠告、ましてや現代絵画で目につきやすい流行や妙な癖は無視していました。心に留めていたのは己を信じて、まだ不明でわけがわからず、震えでしかないものを日の当たるところまで持っていくことだった。絵としてもっとも正しいものに正確に到達するために、仕事、また仕事。なぜなら絵には絵の正しさというものがあるからです。」
絵には絵の正しさがある。それを彼は確信している。だからその「正しさ」が十全に感知できる示し方で見たい。この文章も批評というには拙すぎるけれども、批評にも批評の正しさがあるだろう。それはやはり、その作品、その作家の真実をとらえることだろう。少しでもそれに近づく手掛かりになることを意識して、この文を書いた、わけなのだが。
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