矢萩多聞『偶然の装丁家』を読んだ。自分の生き方を自然なうちに少し変えてしまったような本だった。

Posted at 14/05/23

偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)
矢萩多聞
晶文社

矢萩多聞『偶然の装丁家』(晶文社、2014)を読んだ。とても面白く、またいろいろなことを考えさせられる本だった。考えさせられただけでなく、何か自分の生き方を自然なうちに少し変えてしまったような、そんな本だった。

最初は読んでいて、ふんふんと共感しながら、わかるわかると思いながら、でも本当にわかったと言っていいのかなと思いながら、読んでいた。

矢萩さんは小学生の頃からあまり学校に行かず、中学になってからは完全に行かなくなって、10代はほとんどインドで過ごした、という人だ。まあそのあたり、すごいと言えばすごいが、本人がすごいということもあるけどそれを許しやらせた周りがすごいという方が本当だろう。

私自身もまああまり普通ではない小中学生時代を送ってはいるけど、自分で自分の居場所を探すというよりも、その場所で生き残ることを先に考える、という道をとっていたので、まあ周りに対する違和感という点では同じでも、何に違和感を感じたのかとかそれにどう対処したのかという点では全然違う。

でも、「わかるなあ」と思いながら読んでいたということは、本当に「わかって」いたかどうかはともかく、そこに書かれていること、あるいはそれを書いている作者の人の存在のようなものと、共感・共振・共鳴する何かがあるからだ、という気がした。分かっていなくても、それが自分の心を震わせるなら、何かが伝わっているのだ。それを「わかった」とか「理解した」と言えるかどうかはともかくとして。

インド・まるごと多聞典
矢萩多聞
春風社

そのうち読んでいて、どんどん「すごい」、と思えてきた。最初に書いた本の帯に誰か有名な人に書いてもらおうと手当たりしだいに手紙を送ったら、何と谷川俊太郎さんに帯の推薦文を書いてもらったということ。これは全くたまげた。全くたまげたし、凄いなと思ったのだけど、ようするにつまり自分は、本当は谷川俊太郎さんに作品を読んでもらったり帯の推薦文を書いてもらったり、つまりは評価してもらいたいと思っているのだということが初めて分かったりした。

私は詩を書いていた時期があって、特に2000年ごろはネットで書いていたものが詩の雑誌に(小さくだが)取り上げられたりしたこともあって、で、詩の世界で谷川俊太郎さんという人がどんなに特別な人か(好き嫌い評価するしないはともかく)ということはすごく認識していたのだけど、自分がたとえば物語を書いて、それを谷川俊太郎さんに読んでもらおうとか、そんなことは思ってもみなかった。

それはつまり、自分が「詩」と「物語」は別のものだと思っていたからで、しかし矢萩さんはそんなことを顧みず、(何しろ書名は『インドまるごと多聞典』なのだから)書いてもらいたい人に片っ端からアプローチしたわけで、何というか自分がすごく分節化した形で世界を見ていて、矢萩さんが世界を一体のものとして見ているのだという違いを今書いていて凄く思ったのだけど、しかし読んだ時にはそんなことを思ってはなくてつまりただ「凄い!」と思ったのだった。

中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義
中島岳志
白水社

そしてさらに、矢萩さんが中島岳志さんの『中村屋のボース』の装丁をしたというくだりを読んで、本当にたまげてしまった。あの本は、矢萩さんの言葉でいえばもう題名から「恋と革命のカレー色」という印象が強くて読まなかった(だって中村屋でボースなんだから)のだけど、装丁だけはものすごく強烈に印象に残っていた。だからあの装丁をした人なんだと思うと読んでいて緊張して来る感じさえした。すごい人だと。

そういう学問的なものも、自分は取り組んではきたけれども結局ものになりそうもないと離れてしまい、もう月と木星みたいな感じの関係になっている。矢萩さんが装丁という切り口、仕事でさまざまな「自分が諦めてきた」いろいろな分野に触れているのを読むと、なんだか心穏やかではいられないものを感じてしまうのだけど、それ以前にとにかく凄い、と思う。

全く正規のデザインの勉強をしていなくて、次々と一流の書き手の本の装丁をして行くというのは、実際ものすごいことだと思う。読んでいてうらやましくなるというか、もうすごいすごいという感じだった。

竹内レッスン―ライヴ・アット大阪
竹内敏晴
春風社

そして、竹内敏晴さんの本を装丁した、というところでまた引っ掛かってしまった。この人の持っている世界と、自分が触れてきて通り過ぎてきた世界というのが重なっている部分がとても多くて、読んでいて胸が痛くなるような感じだった。

私は大学時代、演劇をやっていたのだけど、それは自分の身体が閉じているということをすごく感じていて、それを開きたい、というのが演劇をはじめた動機だった。やっているうちにどんどんアーティスティックな方が面白くなってきて、そういう身体論的なことから離れて行ってしまったのだけど、やはり原点はそこだった。だから、竹内さんのワークショップや公演、その理論的背景にある野口三千三さんの野口体操のワークショップなども参加したことがあったから、ああそういうところにも触れてきたんだと。

矢萩さんは、装丁という仕事を通して、言わば地続きで世界を広げて行っていて、それに対して私はこれがだめならこれ、という形の飛び石伝いでとんとんといろいろな世界を見て回って、結局どれにも戻れない、という感じになっているなあとすごく思ってしまったのだった。

しかし読んでいるうちに、矢萩さんがどうしてそういうことが出来るのか、ということがおぼろげながらわかってきた。

矢萩さんは、きわめて自然に生きているのだ。自然体というか、つまりは「矢萩さんらしく」生きている。あたりまえのことのようだけど、この日本で、いったいどれくらいの人が本当に「自分らしく」生きているだろうか、と思う。

矢萩さんの本を読んで、考えるともなしに思いが湧いて来るのを追いかけるともなく見ていると、つまり、「自分のやりたいこと」というのが出て来るのは、まず「自分らしく生きている」というということがあってのことだ、ということがわかる。自分らしく生きていない人に、自分が本当に望んでいることなんか、わかるはずがない。だからまず、自分らしく生きることが、何よりも大事なことなんだと思った。

自分らしくって、何が自分らしいのだろうか、というのが次の問題になるのだけど、矢萩さんの本を読んでいて本当にそうだなあと思ったのは、10代にインドの小さな村で一日中空を見上げてぼけーっと過ごしていた、ということ。「ごろごろして、絵を描いて、詩を書いて、本を読み、また空を見上げる」という生活を送っていたということ。そういう時間がいかに大切なものか、ということだ。

子どもの頃は誰だって、無意識のうちにそういう時間が一番大切だと思っている、分かっているのだけど、まあ現実にはそうなっていない子どもが日本ではほとんどだろう。私は、まあ結構好きに過ごしている時間が多かったけれども、でも「自然の中でぼけーっとする」ということについて、実はけっこう罪悪感を持っていた。「都会から来た子が一日じゅう浮き輪で海に浮かんでずーっと空を見ている」ということを、まるで悪いことのように、もっと自然に遊ばないのはおかしい、みたいな書かれ方をしているのを読んで、そういうのは行けない、と思ってしまっていたのだなと思う。

私は子どもの頃、手当たりしだいに本を読んでいて、法律相談で男女の愛情のもつれみたいなものまで分かりもしない癖に読んでたりして、ということは書かれている内容を自分なりに変に解釈していたりする部分がすごくあったので、何かそのあたりで妙な価値観がついてしまっているところがあったりする。子どもは背伸びをするものだけど、あまり変なものを読まない方がいいなあとこの年になって思ったりすることはあるのだが、でも当時は生き残るために何でもかんでも手当たり次第に読んでいる面はあった。

でもだから、好き勝手にぼけーっと過ごすことに対して何となく罪悪感を持ってしまったというのはけっこうよくないことだなとこれも矢萩さんの本を読んで思ったことで、そのあたりでどこか、「自分が自分らしくあること」に罪の意識みたいなものを持ってしまったところがあるんだろうなと思った。

逆に言えば、そういうものを持ってないというところが、矢萩さんの凄さだ、ということになるのかもしれない。

あとがきで、小学生時代の悪ガキ仲間が、中学生になって引きこもり、鬱になって、たくさん薬を飲みながら何とか同窓会に出てきて、矢萩さんと話をして、それからまた会うようになって、夢を語るようになって、彼の小学生時代の憧れの人とデートする段取りまで付けてやった、という話。彼は緊張しすぎて前の夜に睡眠薬を飲み、そのまま薬の副作用で死んでしまったのだという。それを読んで、むしろ自分はその人のように、死んでいたかもしれないけど、でも生き残ることが出来た、に過ぎないというか、何かそういう感じがした。

私はたまたま中学時代に野口整体に出会っていたし、西洋医学に何とも言えない違和感みたいなものを持っていたし、だいたいあの時代そう簡単に精神科に行ったり薬を処方してもらったりということはなかった(たまたま私が田舎にいたからそういう方向に行かなかったということに過ぎなかったのかもしれないが)から、そうならずに済んだだけかもしれない、という気が読んでいてした。

「彼が生きているとき、ぼくはくり返しくり返し、平凡でいいんだよ、ということを話していた。特別な何かになろうとしなくていい。個性的に生きようとする必要はない。才能なんてものは存在せず、あるとしたら人の出会いと運だけ。ぼくなんてそうやって生きてきたんだから、楽にいこうよ、と。」

要約すれば、矢萩さんのメッセージはこのことがすべてだろう。特別な何かになろうとする、個性的に生きようとする、ということはつまりそういう「意志」を持つ、ということだ。意志を持つこと、意志的に生きることは素晴らしいことのように語られてきているけど、本当にそうだろうか。意志というものが、自分らしく豊かな人生を生きるための、突破口になるのだろうか。意志という賢しらなものが、必ずしも人を幸せにしない、というのは仏教のメッセージだけれども、インドで過ごした時間の長い矢萩さんは、自然とそういうものを吸収してきたのかなあ、という気もする。

もちろん矢萩さんは、やりたいことを最後までやりぬいたり、引き受けた仕事を最後までしっかりやりぬいたり、作者の思いに寄り添って素晴らしい装丁を作ろうとしたりすることにおいて、十分以上に意志的だ、ということはできる。彼はそんなことは意志のうちに入らないと言う気がするが、まあ確かにそれは意志というよりは覚悟という問題だ。

彼は特別な何かになろうとするのではなく、自分らしく生き、その中での出会いを大切にしているうちに、私などから見てとんでもなくすごいことをどんどん実現して行ったんだなと思う。それは才能ではない、というのはある種の謙遜で、飛び抜けた「出会うという才能」を持ってる人だという気がするけれども、まあ確かに彼の言うように、「才能」という言葉を使わない方が自由に生きられる気はしなくはない。

まずは「ここにいる」ということ。そして自分らしくある、ということ。自分らしくあるときに飛び込んできた出会いを大切にし、やりたいと思ったことをやりぬくこと。そういう生き方に変えていくことによって、おのずと歯車が回り出すんだろうと思う。回しきれずに、つまりは薬や過去に受けた何かによってあまりに痛めつけられ過ぎていて、命を落としてしまうこともあり得ないとは言えないし、それは本当に悲しく辛いことなのだけど、でも自分らしく生き直すしか、本当に自分を「救う」ことはできないんだろうと思う。矢萩さんの悔恨はすごくよくわかるし、それをも書いてしまっている正直さが、それを非難する人もいるかもしれないけど、私には有り難かったし、嬉しい。

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敬体宣言をしたばかりなのですが、これは常体で書きたかったので、常体にしました。

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