佐村河内氏のゴーストライター問題で「永仁の壷」事件を想起して思ったこと
Posted at 14/02/12 PermaLink» Tweet
【佐村河内氏のゴーストライター問題と「永仁の壷」事件】
佐村河内守氏をめぐるゴーストライター問題、私はこの分野の話に疎いので、何が問題なのかがずっと腑に落ちていなくて、今でも完全に理解したとも言えないのだが、要は作曲家の新垣隆氏が佐村河内氏から「発注」を受け、佐村河内氏が自分の作であると偽って発表し、また「被爆二世であり全盲の天才作曲家」という虚像を流布して世間を欺いた、ということが問題になっている、ということでいいのだろうか。
これらの作品群によって佐村河内氏の名声は高まり、CDも売れたが、報道等できこえてくる情報によれば、佐村河内氏が増長し、専横の振る舞いが目立ってきて、新垣氏自身がこの「神話の形成に加担」したことに罪の意識を覚えて告白した、と、整理してみたがいいのだろうか。
もともと、アイデアというか曲の核になるイメージ自体は佐村河内氏から新垣氏に提供され、新垣氏が彼の持つスキルを駆使して作品に仕上げた、少なくともそういう曲「も」あったようで、最初から共作と言えば特に問題になることもない事例だったのだろう。
しかしこの問題は日本社会がはらむ弱者=気の毒な人をめぐる「いい話」と言う善意が世の中を動かしがちだと言う現象とそれに対する反発や、著作権上の問題、騙されたという憤りや、「本物とは何か」という議論に至るまで、様々な面で問題を提起するものでもあったので、あれだけの騒ぎになったのだろう。
ここで言えば、佐村河内氏は「人に作ってもらったものを自作として発表した罪」があることになるわけだが、新垣氏には「人に作ってあげたものをその人の作として発表させた、ないしは発表された罪」があることになる。そう考えると分かりにくくなるが、新垣氏が自覚している罪意識は、「佐村河内氏の虚偽に加担した罪」ということになるようだ。
新垣氏は利用されただけとも言えるし、それを理解して協力していたのだから加担したという言い方もできる。そしてそこに、「世間慣れしていない芸術家」がよくわからないまま加担した、という絵を描くか、「立派な社会人であるのに詐欺的な人物に利用された自覚せざる罪びと」という絵を描くかによってもかなりイメージが違ってくる。
結局このあたり堂々巡りで、新垣氏が勤務先に辞意を伝え、勤務先もそれを受理したと報道されると、「処分撤回」を求めて署名運動が起こり、勤務先もそれを取り消す、などということも漏れきこえてきて、新垣氏の「罪」についてはどう判断するべきなのか、関係者も逡巡していることが感じられる。
一方佐村河内氏の方は、基本的に断罪されてしかるべきだと見なされているようだが、刑事事件に発展する気配もないし、そのあたりもよくわからない。新垣氏はフィギュアの高橋大輔選手がソチオリンピックで問題の曲をプログラムで使うということで、佐村河内氏の詐欺行為が世界にまで広がることを恐れたと言うが、直前に曲を変更するなどということができるはずはなく、返って混乱を招いたという面もある。「知らないことは罪」と言ったり「無垢=無知であることの罪」だと言う話が、今回は持ち出されていると言う感じもある。
言うまでもないが、現代社会はルールで動いている。法律を知らないからと言って罪は免れられない、というのが法の支配する社会のルールではあるのだけど、そうしたものに縛られないこそが必須だと言う世界もまたこの社会の中にはあるわけで、芸術家がしばしばこうした事件に関わってしまうのは、子供が犯罪に利用されたり、高齢者が普通に考えたら引っかかるとは思えない詐欺の対象になってしまうこととある意味似ている。その点において、社会もまた「本当の芸術家」と認められるという認識に達した人物には、ある程度寛大に目こぼしする、という共通認識もある程度はある。
しかしそうなると、今度は逆にそういう認識を利用して社会のルールをある程度無視しても許される、という行動に出るものも出てくる。「本当の芸術家」「天才」というイメージさえもたれれば、何をしても許される、というわけだ。イメージさえもたれればいいわけだから、その天才的な作品を自分で作る必要はない。それを外注し、自分はイメージ作りの自己ブランディングに専念する。社会は「弱者」「被害者」「気の毒な人」に弱く、「天才」というレッテルもまた利用価値がある。それを使ってある種のカリスマを形成し、社会に影響力を持っていきたいという企画が、実行されることがあるということなのだろう。
今回のできごとはそういう、社会の「当然のルール」と「お目こぼしされるべき事例」と「その悪用例」が重なって複雑な様相を呈しているということなのだろう。18年という長期にわたってそれが行われていた、ということもまた問題を複雑にしたのだと思う。
新垣氏は佐村河内氏に心理的に「支配」されていたのだろうか。そこにオウムと同じようなある種の「洗脳」を見る見方もあるようだし、そうなると新垣氏はオウム信者のように「加害者であり被害者」であるという立場になる。どうもこの件は、何となく暗くてじめじめした部分があり、現代の病理が現れているような感じが漂ってしまう。
ところで、もう古い話になるが、50年ほど前にある有名な贋作事件があった。「永仁の壷」事件である。これは陶芸家であり陶器研究家でもあった加藤唐九郎が、自作を鎌倉時代のものと偽り、国の認定官も気づかずに太鼓判を押して、重要文化財に認定されたという事件である。
最終的に唐九郎はこれが自作であったことを認め、また科学的な検査で現代の作と認定されたために重要文化財の指定は取り消され、指定を推薦した文部技官が引責辞任した。これは一大スキャンダルとなり、当時の骨董品の真贋をめぐる議論がいまでも白洲正子や小林秀雄の随筆などで読むことができる。
事件の真相は今なお明らかになっていない点も多いが、おそらくは加藤唐九郎のある種の遊び、悪ふざけが周りを巻き込んでしまった事件だったのではないかと私は思う。重要文化財に指定されうるようなものを作れるんだ、と言うある種の天才らしい、また様々な逸話の残る彼らしい稚気が引き起こし、引くに引けなくなって引き起こしてしまった事件なのだと思う。
もちろんこの事件も、周りにとっては飛んだとばっちりなのだが、この加藤唐九郎という人物が掛け値なしの天才だった、ということがその後の展開をある意味明るくしている。
問題の「永仁の壷」は、百貨店が企画した展覧会で展示され、毎日大入り満員の盛況となった。悪趣味だと言えば悪趣味だが、佐村河内氏の楽曲も今ヒットチャートを急上昇中であるのと同じような意味で、大衆はそういう話題になったものを見聞きしたいという物見高さがあるわけだ。この企画はある意味この問題をめぐるドロドロした部分を笑い飛ばす、みんなそういうものが好きなんだよね、で一笑してしまう、ある種非常にロックな企画であり、「へうげ」の精神が発揮されたものだと言えるかもしれない。
唐九郎もしばらく謹慎していたし、またこの事件をきっかけに無形文化財有資格者(人間国宝)の資格を失い、親子関係が断絶するという深い傷を負ったが、やがて「一無斎(一ム才)」と称して作陶に復帰した。その後は公的な名誉を追わず、憑き物が落ちたように作陶に専念したという。
とんでもないと思う人もあるだろうが、私はこの話はやはり明るいものを感じる。「騙された!」と憤った人々が「どんな風に騙したんだ?」とわざわざお金を払って贋作と分かっているものを見に行くという話はかなり可笑しい話だ。そして多分、「本物みたいよねえ」という印象を持って帰ったに違いない。プロレスを見て「やっとるなあ」というのに近い感覚だろう。
まあ以下のことはある種の願望であり、またそれが実現するのがよいことなのかどうかもよくわからないのだけど、こんなことを思った。
佐村河内氏にある種のプロデューサーの才能があることは確かなので、誰かオーケストレーションのできる作曲家と組んで新しい作品を共作として作り出したらどうかと言うこと。組んでくれる人がいるかどうか分からないが、彼の中に作り出さなければならない何かがあったからこそ、そういうことになったという面もあるのだろうと思う。もしそういう人がいなければ、一から作曲を勉強し直しても、まだ時間はあるかもしれない。
新垣氏は、ちゃんとマネジメントをしてくれる人と契約して、仕事と作品の管理をきちんとしていったらいいのではないかと思う。持っている才能や指導力を、きちんとした形で社会に還元していくことが求められるのではないか。
そのときに、ちょうど「永仁の壷」の展示会のような、すべてを笑い飛ばすような企画が一つ、あったらいいんじゃないかなと思う。それをきっかけにして憑き物が落ちるような。
いずれにしても、この件に関わった人たちがみな、前を向いて歩き出せるような、そういう結末がついてくれたらいいのになと思う。
音楽には多分、それだけの力があるのではないかと、願望を込めて、思うのだが。
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