みなもと太郎『松吉伝』は、日露戦争から朝鮮統治、満洲国建国への時代に生きた無名の男のとんでもない生涯をちら見する作品だった。

Posted at 14/01/28

風雲児外外伝 松吉伝
みなもと太郎
復刊ドットコム

みなもと太郎『風雲児外外伝 松吉伝』(復刊ドットコム、2014)読了。発行所が「復刊ドットコム」になっているが復刊ではなく、当初『斬鬼』という時代物の雑誌に連載され、それが廃刊となって、一時『コミックGUMBO』という無料誌に掲載するという話もあったが一度も掲載されないうちに休刊になってしまって、結局第9話まで書いたまま宙ぶらりんになっていた作品が、とりあえずまとめられたというものらしい。

実は私は『斬鬼』は買ったことがあり(もりもと崇『難波鉦異本』という江戸時代の大坂の新町遊郭を舞台にした作品が目当てで少し読んだ)、また『コミックGUMBO』も結構もらっていた(無料なので東京駅前などで配布されていた)のでどちらもなじみがあるのだけど、どちらも廃刊になって漫画家が路頭に迷ったことは記憶に新しい。

みなもと太郎さんは『風雲児たち』全30巻、それの続編としての『風雲児たち 幕末編』もすでに23巻出ている息の長い作品を描いておられるのだが、この『松吉伝』はみなもとさんの母方の祖父の漆原松吉という人物の話である。

最初にみなもとさん自身から見た松吉の話が語られるが、小さい頃はいつも祖父の膝に座っていたみなもとさんも、成長してからは反発して近寄らなくなっていたのだが、祖父の胆の座り方が尋常でないことは子どものころから感じていた。その祖父が亡くなっ田野はみなもとさんがマンガ化になった後なのだが、その時からこの漆原松吉という人物がとんでもない人物であることが分かってきた、という話なのだ。

何しろ、明石元二郎のもとで国家予算の数分の一にあたる金額を動かして日露戦争で日本が有利になる国際世論をつくることに貢献し、甘粕正彦と相談して満州国の建国にも一役買った人物なのだという。

みなもとさん自身はほかのエッセイ漫画でも書いているが、基本的に左翼思想の持ち主なので、祖父がこうした戦前の大日本帝国のある種の中枢にいた人物であったらしいことにもほとんど関心を持たなかったらしく、みなもとさんの母がそういう話をしていてもうるさがってまともに聞いてなかったのだという。だからこうした話も「眉に唾をつけて」聞いてくれ、と断っているのだけど、それは半分本心であり、半分はテレのようなものではないかなと思う。

ここで語られている漆原松吉は栃木県の名家の出身だったが、父はやくざ者だった。松吉自身は優秀であったものの進学することができず丁稚奉公に出るが、やがて軍隊への入隊を志し、優秀な成績で近衛兵になったのだという。そして明石元二郎の下で働くが、その時のことはほとんどまったく誰にも話さなかったのだという。松吉はその後憲兵隊に配属され、そこで後輩の甘粕正彦と知り合う。

その後松吉は除隊し、日韓併合後の朝鮮の各地で警察署長になる。この時の話がみなもとさんの母(松吉の娘)の経験談として具体的に語られているのだが、武装蜂起した朝鮮の農民たちのところに一騎で説得に向かうと、大群が来ると勘違いした農民たちが勝手にパニックを起こして四散したとか、全く武勇伝としか言いようのない話が多い。

読んでいると「血盟団事件」を起こした井上日召の自伝『一人一殺』に出てくるような眉唾物の武勇伝を思い出させるところもあるのだけど、何というか大人のような悠揚迫らざる振る舞いが多かったようだ。

またみなもとさんの母の経験談も可笑しいのだが、遊びに来る友達が両班の兄弟で、二人とも輿に載って召使を連れて遊びに来るというのが凄かった。当時の朝鮮半島の警察署長というのは江戸町奉行のように三権を握った存在だったらしく、ものすごい強大な権力を握っていたので、周りの大人はみな子どもだったみなもとさんの母にぺこぺこしていたのだそうだ。

そのあと松吉は警察署長もやめて実業家になったそうだが、散発的なエピソードがいくつか語られ、そのあたりで連載も休止になってしまったようだ。満州国と甘粕とのかかわりも、甘粕は当初ラストエンペラー溥儀を漆原家にかくまう計画を持っていたらしいが松吉が拒絶したという話以外、あまり書かれていないのでそれ以上はわからない。

自分の祖父のことだからだろう、みなもとさんはすごく描きにくそうに描いているのだけど、読む方としては正直相当面白い。どれもこれも松吉本人はほとんど語らなかったのだそうで、周りの人の話で構成されているわけだけど、明治の日本人というのはこんなふうに、いうなと言われた秘密をそのまま本当に墓場まで持って行った人はたくさんいたんだろうなあと思う。

みなもとさんが大長編歴史ギャグ漫画を描かれるようになったのも無意識のうちに松吉の影響を受けたのかもしれないなという気もした。

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by Luke Peterson

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