寒い朝がかわった/五十嵐大介の絵本『人魚のうたがきこえる』海と自由を描いた絵本だった

Posted at 14/01/23

人魚のうたがきこえる (こどもプレス)
五十嵐大介
イースト・プレス

今日は寒い朝。マイナス9.6度まで下がったのだが、水道管の被覆をして以来、あまり部屋が冷え込まなくなった。流しの周りも凍らない。おそらくは、被覆の下の電熱線の熱が逃げなくなったので水道管が暖められ、その熱が流し付近にまで持ち込まれているのだろう。以前はマイナス7度になると凍結の心配をしていたのが嘘のようだ。そんなに違うとは思わなかった。

昨夜はかなり仕事が忙しく、帰宅したのが10時40分頃になった。それから食事をしたので終えたのはもう11時になっていた。五十嵐大介の絵本『人魚のうたがきこえる』が届いていたのだが、寝る前は読む余裕がなかった。就寝態勢に入るの自体が大変で、ばたんと倒れて少し休んでから着替えて、少し倒れて休んでから布団を敷いて、とやっていたらSleep Cycleをセットしてちゃんと寝たのが1時40分になってしまった。

朝起きてから『人魚のうたがきこえる』を読んだ。ぱあっと目の前に広がる『海獣の子供』と同じ色彩の海の中の世界。珊瑚礁のラグーン(礁湖)を描いているのだけど、水の色の青がとても強い。人魚は上半身が少女で下半身がエイという不思議な姿。でも爪は猫のように鋭く、目も表情も猫のようだ。群れになって泳いでいるラグーンの中を泳いでいる人魚たち。そしてある日、「ラグーンの外」へ出てみる。深い青色の、新しい広い海。でもそこには凶暴な海の獣が待ち構えていた・・・

ラグーンの中は楽園で、守られていて、天敵もいない。でも、それは退屈なのかもしれない。だから、広い海に出てみる。そこは危険だ。でも、それがわかっていながら外に出て行く人魚もいる。

そう、そのテーマは、『進撃の巨人』と同じなのだった。おそらく、このテーマは今までに何度も語られてきているのだと思うけれども、それでもまだ何度も語られていくに違いない。それだけ、人間には自由への渇望があり、壁の中にいるという息が詰まるような閉塞感が、常につきまとっているのだろう。

ラグーンは楽園に見えるけれども、そのラグーンにじっとしていることができない。アダムとイブも、むしろ望んで楽園を追放されたのかもしれない、と思った。そしてその自由への渇望こそが罪であり、追放こそが罰であるのだけど、『かぐや姫の物語』でかぐや姫が月の世界から望んで地上に追放されたように、永遠の生を約束された楽園から死を避けることができない地上に追放されるという罰を受けることこそが、人間の本来のかくれた望みなのかもしれないと思った。

この話は文学全体の一つの大きな深いテーマの一つなんだなと再認識した。

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by Luke Peterson

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