アニメ『進撃の巨人』原画集2巻が思いのほかよかった/『美術手帖』:「特集『かぐや姫の物語』の衝撃」は高畑勲の凄さが分かる一冊だった/特定秘密法案の成立と日本の民主主義を信頼すること

Posted at 13/12/31

【Sleep cycle と寝不足】

一昨日から昨日にかけては熟睡し、起きたら9時だった。それからいろいろやりながら、11時ごろからようやく文章を書き始め、いくつかブログにもアップして3時前に横浜に出かけた。

横浜に着いたのは4時過ぎだったが、ジョイナス地下の馬車道のサモワールの支店でお茶をしたり、アフタヌーンティーに梯子したり。いろいろ話が出来て良かった。そのあと有隣堂で本を見て、『美術手帖』の1月号、「特集『かぐや姫の物語』の衝撃。」を買った。それから東京に戻り、丸の内の丸善でまたぐるぐると。買うかどうか迷っていた『TVアニメーション 進撃の巨人 原画集』第2巻を結局買った。

うちに帰ってからもいろいろしているうちにどんどん夜が更けてしまい、ツイッターをやめて風呂に入ったら3時になっていて、『進撃の巨人』の再放送を最初の15分だけ見た。結局寝たのは3時半になった。

昨日知ったiPhoneアプリの「Sleep Cycle」というのを使ってみた。まだよくわからないが結果は下のグラフのような感じで、どのくらい深く眠ったかというのを枕元に置いたiPhoneの振動センサを利用して測定するというもの。そう長い時間ではないが、一応ぐっすり眠っていたのだと思うと安心する。目覚ましは9時にかけていて、本来はその30分前からその時間の間の眠りの浅い時にアラームが鳴るという仕組みのようなのだが、7時に起きてしまったのでまだその効果のほどはよくわからない。

というわけで今日は寝不足だ。


【アニメ『進撃の巨人』原画集2巻が思いのほかよかった】

TVアニメーション 進撃の巨人 原画集 第2巻 #4~#7・#3EX 収録 (ぽにきゃんBOOKS)
ポニーキャニオン

アニメ『進撃の巨人』原画集第2巻を読んだ。というか見た。上にも書いたけど、買う前にはずいぶん迷ったのだが、買ってよかったと思う。オンエアでの原画だけでなく、ブルーレイに向けてリテイクした部分の原画なども収録されていて、特にミーナ気絶のシーンのリテイクがとても細やかでいいなと思った。

この巻で収録されているのはアニメ第4話から第7話。トロスト区攻防戦の前半部分。特にエレンの死を知って動揺し、自ら指揮を執って皆を先導したもののみずからはガスをふかしすぎて失速墜落し、一度は死を決意したミカサの窮地を謎の巨人が救う、という展開の7話「小さな刃」はオンエアを録画した時から何度も見直していたが、アニメ担当者たちにとっても「勝負回」だったのだそうだ。私はこの回のミカサが皆を動かした言葉、「私は、強い。あなたたちよりずっと、強い」というところ、そして一人で立体機動で飛んでいく場面がすごく好きなのだ。

オンエアでは途中から「提供・ポニーキャニオン」の文字の背景に原画が使われるようになったが、7回の「謎の巨人」の出来がよかったからのようだ。そして言われて見て気がついたが、この場面は(提供を示す必要がないから)DVD・BDでは収録されてないわけで、やはり放送時の録画は録画として残しておかなければなあと思った。

立体機動の動きはスキーのモーグルなどアスリートの動きを意識して描いている、というのは言われてみてなるほどと思った。確かに機能的、合理的、技術的な動きだ。しかし、リヴァイ兵長の動きだけはあり得ん。(笑)一番似てるのはフィギュアの4回転ジャンプだと思うけど、空中では踏み切れないわけだし、あんなに高速で回転するのは無理だろう。

このアニメは場面を切り取っていろいろ研究する動画がニコ動でたくさんアップされていたけれども、その中には立体機動の場面を超スローモーションで流したものがあって、とてもよく描けているなと思った。しかしこの動画、まあ本当は著作権に抵触していると思われるが、作画担当者たちも見ていて、戦慄していたのだそうだ。そこまで見られているのかと。それでより気合が入ったというが、アニメ作家冥利に尽きる話だろうなあとも思う。

全体に、この原画集は1巻目を買ったときはなんか期待外れ感があった(全部カラーかと思っていたらカラーなのははじめだけで、あとは輪郭線を中心に色鉛筆で表現したものだったから)のだけど、まあそれはアニメの原画というものがどういうものか知らなかったということだ。まあそれも了解して2巻目も買って通して見てみると、なんだか財産を得たような気がする。結局、買ってよかったなあと思う。まあ最終的な決め手は、2巻の表紙がミカサだったからだけど。(笑)そして第1巻もそうだが、カバーを外した本体の表紙は遊び過ぎ。(笑)


【『美術手帖』:「特集『かぐや姫の物語』の衝撃」は高畑勲の凄さが分かる一冊だった】

美術手帖 2014年 01月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
美術出版社

もう一冊買った『美術手帖』。こちらは『かぐや姫の物語』をめぐって、高畑監督自身が画家の奈良美智さん、美術史家の辻惟雄さんと対談しているのを読めたのがよかった。

私は一度しかこの映画は見ていないのだけど、いろいろと引用や意図に満ちているだろうなと思っていたのだけど、奈良さんや辻さんなどの見巧者が見ると実にいろいろなものが見えるのだなと感心した。それに対して高畑さんも力を込めてそうなんですよとうなずいていて、読んでいて本当に力強さがある。

同じジブリでも宮崎監督の発言はなんだかやはり天才は違うなというか言ってることが支離滅裂っぽくなることもよくあるのだけど、高畑さんの方は全く逆で、極めて冷静沈着。それでいてすごく言葉に力がある。この映画のプロデューサーをした西村さんのインタビューも載っているのだけど、彼が「ジブリはみんな高畑チルドレン」という言葉が、なんかわかる気がした。高畑さんがある種の思想家で、みなはその言葉の方向に活動する活動家みたいな感じのところがある。それだけ、ものすごい教養の量を持っている感じがする。

アニメーションとはそもそもどういうもので、どういう方向を目指すというのがあったはずなのに、現実には物理的制約でこういうものになってしまっていて、それがアニメだという感じになっているけど、そこのところから壊してこういう方向もあり得たというものをつくる、という凄く原理主義的な感じになっているところが凄い。たとえて言うなら、「社会主義国」というものが現実には失敗して行って、日本でもソ連や中国を「現存社会主義国」という言い方をし、「本当の」社会主義はもっと違うんだぜ、という感覚があったが、現実の社会主義国が失敗するともうみな社会主義に見向きもしなくなった。しかし高畑さんはそうではなく、「本当の社会主義」でもう一度やり直してみようよ、ということをやっているし、やることの、というかやらせることのできる人であるところが凄い、というような人なのだと思う。

奈良さんとの対談で、「かぐや姫が月に帰って、またかぐや姫に憧れて地球に行きたいと願う新たなかぐや姫が現れるんじゃないか」と奈良さんが言うと、「もちろん僕もそう思って作っているんですよ」といったのにはなんか凄いなというか勝てないなと思った。私はジブリになってからの作品で高畑作品は『火垂るの墓』しか見てない、というかほかの三作はDVDで見始めてから途中で見るのを放棄してしまっているのだけど、なぜこの人が作品を作り続けてきたのかということが本当にこの作品ですごく納得できた感じがした。これをつくれるんだからまったく勝てないよ、という感じになった。

辻さんとの対談でまず驚いたのは、高畑監督と辻惟雄先生(私は美術史の授業を受けたことがある)は東大駒場寮で同室で、辻さんが1年先輩だったのだそうだ。(高畑さんは仏文)

日本の絵巻物の凄さを二人で語るところなどはお互いの教養の深さが炸裂しているし、縁側に座る石作皇子の構図は『源氏物語絵巻』東屋の巻からの引用だとか、御門が往ったり来たりしている場面の背景は『伴大納言絵巻』の昆明池障子だとか、なるほどなあと思うところが多々あった。個人的には高畑さんと辻さん
が駒場寮で同室、というのが自分にとってはツボだったのだが。(笑)

まだざっと読んだだけなのだけど、高畑勲という人の魅力が大変よくわかる、いい特集だったと思う。高畑という人は現場目線よりも、学問や教養のレベルで語った方が理解しやすい人なんだなと思ったし、そういう意味ではフェリーニなどヨーロッパの監督のことを読みながら何度か思い浮かべたのだった。


【特定秘密法の成立と日本の民主主義を信頼すること】

ツイッターのタイムラインを見ていて知ったのだが、特定秘密法が成立したのを受けて、時事問題を扱うブログをやめた人が出ているのだそうだ。どういうことかと思う。河野太郎さんも書いているように、この法律で取り締まる対象になるのは特定秘密に関わる上でその資格審査を受けた人(6万人くらい)だけのはずだ。マスコミでかなり誇大に伝えているし、拡大解釈を危ぶむ人がいるけれども、私は今の日本政府はそこまで酷くない、というかそんなことをしても自分たち自身に不利益が降りかかってくるだけだから、そんなことはしないと思う。

そういう記事を読んで、私は時事ブログをやめる人が増えるなら、私は始めようかな、とさえ思った。正直言って、きちんと記事を丹念に読み、裏を取りながら内容をきちんと把握してそれに対する自分の意見を言うというところまでは、やり切れないと思う。問題によってはそういうこともあるかもしれないが。

ただ、この記事にはある種の危機感と疑問、というか憤りに近いものを感じた。そのことはツイッターでも書いたのだが、この際ブログでも書いておこうと思う。

特定秘密法に対して彼らが感じているのは、民主主義の危機ということだろう。それなら、時事ブログを書いているような見識のある人であるならば、民主主義を守るためになおさら発言すべき時ではないだろうか。

実際に処罰を受けたとか、当局から警告を受けたというならまだわかるけれども、まだ法律が施行もされていない段階でブログをやめるというのはもう日本の民主主義に見切りをつけ、発言を放棄したというふうに見えてしまう。

正直言って私は、みんなもっと日本の民主主義を信頼したらどうかなと思う。

民主主義というのはもちろん、国民一人一人が不断の努力で維持していくべきものだ、ということは言うまでもなさすぎるけど憲法に書いてある。「日本の民主主義を信頼する」ということは、「自分たち自身を信頼する」ということなのだ。それをなぜ、民主主義を維持するということを放棄するようなことを簡単にするのだろうか。

残念ながら日本には、自分たち自身の民主主義的な力を信じられない人が多すぎる気がする。そういう人たちは自分たち自身を信頼できないから日本の民主主義に危惧を抱いているのではないかと思う。

自分たち自身が日本の民主主義を信頼しなければ、日本の民主主義がこれ以上発達することはない。それではなぜ、今まで民主主義が維持されてきたのか。それは過去の人たちが日本的民主主義のあるべき姿を求め、みなそれぞれの形ながら日本にあるべき民主主義の姿を思い浮かべて、そういう国として日本をつくってきたからだろう。

当然、これからもそういうふうにして、日本的な民主主義をつくっていくべきなのだ。それがどんな形になるのかはわからない。イギリスの民主主義とフランスの民主主義とアメリカの民主主義と、みな形が違うように、日本の民主主義もまた自分たちで作っていくしかない。今に本がそういう国であるのは、そういう意味では過去の遺産のおかげなのだ。もし危機が訪れたというならば、自分たち自身が守らなければ誰も守ってくれる人はいない。それが民主主義というものであるはずだ。誰かが守ってくれるはず、という発想は過去の遺産にあぐらをかきすぎだと思う。

しかし、私自身はそんなに現在の状態を危惧はしていない。民意を反映するのが民主主義であるならば、日本の民主主義は明らかに機能している。古い民主主義観念の持ち主からは右寄りに過ぎるように見えるかもしれないが、右だろうと左だろうと、民主主義は民主主義だ。アメリカで銃器が規制されなかろうと、国民皆保険に反発が強かろうと、それで民主主義が機能していないと思う人はいないだろう。日本人にとって理解しがたいことであっても、彼らにとっては正当性がある、そういう選択を彼らはしているのだ。

ネット調査で首相の靖国参拝支持が8割を超えるのも、尖閣に対する毅然たる姿勢が支持されるのも、日本人の現在の民意の表れだ。それが戦後教育の呪いからの覚醒なのか、あるいは右派による集団洗脳なのか、さまざまなある種の陰謀史観があるけれども、それ以前に民意というものが政治の方向性を決めるのが民主主義だという大前提がある。

左派的な歴史観を持つ人たちが自分たちの意見だけが民主主義だと主張するのは、それはどうかと思う。軍備を持てという意見が反民主主義的だという主張は間違っている。日本以外に軍隊を持っていない民主主義国はない。軍備を増強せよという主張も、もちろん十分に民主主義的なのだ。

私は、今の若い人たちの言動をいろいろ見てきて、われわれの世代よりもずっと自由に、ずっと幅広い視点でものを見ているところがあると思う。もちろん、私たちが彼らよりもっているものは「経験」であるけれども、それは過去のものであってそれだけで未来を生きられるわけではない。

彼らには、私たち以上に自由にものをいうことは空気のように当たり前のことだ。そして、戦後主義的な歴史観がどこかおかしい、どこかいびつなものを含んでいることを、そういう常識を疑うことができるクリティカルな視点を持っている。

そのような、一度意見を言う自由を手に入れた人たちが、なぜそれを簡単に放棄する気になると思うのか、私には理解できない。

「俺たちは皆、生まれた時から自由だ。それを拒むものがどんなに強くても関係ない。世界がどんなに残酷だろうと関係ない。」

そう叫ぶ「進撃の巨人」がなぜこれだけ若い人たちに爆発的に支持されているのか。人の目指すべき本質の一つが自由であることが、私たちよりももっとずっと具体的に体の中に入っていると思う。

少なくとも私は自分たちを、日本の若い人たちを、日本の民主主義を、日本の未来を、信頼する。信頼したいし、信頼できると思う。

フランス革命以来の民主主義の目標は、リベルテ(自由)、エガリテ(平等)、フラテルニテだ。フラテルニテは博愛と訳したり、友愛と訳したり、同胞愛と訳したりする。

それは、同じ国をつくっていこうとする人たちを信頼し、ともに前に進んでいこうということではないだろうか。

自分たち自身を信頼し、若い人たちを信頼し、民主主義を信頼することこそが民主主義そのものなのではないかと私は思う。そしてそれに代わる十分適当な思想や制度がない以上、この思想、ないしは制度は守られていくべきだと思う。

***

長くなりましたが、このブログは今年最後の更新になります。アメブロの『個人的な感想です』とはてなの『私のジブリ・ノート』もこれから更新する予定です。また新たに歴史と社会に関するブログ、『史(ふみ)読む月日』をスタートさせるつもりです。内容はこちらに書いていることが中心になると思いますが。

今年もお付き合いくださりありがとうございました。よいお年をお迎えください。

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