リセットするということ、方向転換するということ/「窓を開ける」ことの意味とネット時代のありがたさ

Posted at 13/12/24

【リセットするということ、方向転換するということ】

やることが多いのでなかなか新しいことを始めようとしても手が回らないのだが、先ずは今までやっていることをさらに充実させるための補完として、足りないところを継ぎ足していく、という方向でやろうと思う。とはいえ年末、普段やらない用事がいくつもできてくる時期ではあるわけで、それに加えて新しいことをやろうというのも大変ではあるのだが、思い立ったが吉日、少しずつなんとか進めようと思う。

昨日は夜、最近触れたものの感想を書いたので、今朝はいくつか今朝思ったことについてメモ程度に記しておこうと思う。

リセットするということ。リセットする、ということが必要だと感じるときというのは結構ある。特に、行き詰まりを感じているときなどはリセットしたいと思うのだけど、そのリセットというのはどういうことだろうか。

以前は、すべてを捨て去って一からやり直すこと、と思っていた。気分的にはそれが一番新たになるような気がするが、そんなことは結局人間には不可能かもしれないと思う。「リセットする=すべてを捨てる」と考えていても、結局は「すべてを捨てる=すべてを失う」になってしまう。捨てることで自由になる気がするが、失うことで不自由になってしまう。実際、すべてを捨てて、たとえば出家などで新しいシステムに飛び込むならば、それもあるかもしれないが、そうではなくて気持ちを一転するだけなら失ってそれを再度獲得することの方が大変だ。すべてを突き放し、一度は客観的に自分自身を見ることは大事だと思うが、すべてを捨て去ることは捨てるという行為だけですごく大変なことなので、本当にすべて捨てて失ってしまったら立ち直るエネルギー自体が残っていない、ということになりかねないだろう。

だから、リセットするということは、本当はすべてを捨てるというよりは、「力を抜く」と考えたほうがいいと思う。これがあったら力が抜けない、というようなことがあればそれを突き放す必要はあるかもしれないけど、肩や頭の力を抜いて、何も考えない状態で自分を突き放した開放された状態にしてみると、自分の現状が客観的に見えてくるところがある。

私にとっては野口整体の活元運動がそのための手段の一つなのだけど、ただ精神を統一して深呼吸するだけでもそうできる人もいるし、窓を開け放ってリフレッシュするだけでそうなる人もいるのではないかと思う。もちろん、心の奥底の方までいろいろなわだかまっているものとかがある人はもっと本格的なリフレクソロジーが必要かもしれない。見ようによってはすべてを捨てるということもその手段かもしれないし、いわゆる「断捨離」的なことが役に立つ人もいるかもしれない。

ただ、捨てればいいってもんじゃない、ということが大事なんだ、と今は思う。捨てるのは方に入った余計な力だけでいいわけで、生きるエネルギーそのものを捨ててしまっては元も子もない。

自分が間違った方向へ来てしまったと思った時、リセットというよりもなるべく早く「方向を転換すること」は大事だ、と思う。90年代の自分はそれが出来なくて、仕事も学業も結婚生活も創造性もすべておじゃんにしてしまった。99年に「リセット」したけど、その時には生きるエネルギー自体が不足してしまっていて、それらを取り戻すのにずいぶん時間がかかった。

堀江貴文『ゼロ』を読んでいて思ったのは、彼はこのままじゃだめだと思った時にネットという「これだ!」と思うものに出会い、それにすべてをつぎ込んだことが印象に残った。

あのころ当たり前だったことが今では全然当たり前ではなくなっているし、あのころ思ってもできなかったことが今ではやすやすとできるようになっている。ネットは大きく世界を変えたし、人生も変えることになるだろう。

川上量生さんがいうように、私のような世代は二つの時代を生きているわけで、だからこそその両方のいい点を生かしながらこれからの生活、人生をつくっていくことができる。リセットの仕方も変わっていくだろう。

いま振り返ってみると、結局あの当時の選択は、それ以上のことがその時の自分にできただろうかと思うと結局は無理だなと思う。だけどその時の選択基準は、たぶん今ではもういろいろと変わっているわけで、あの時できなかったことが今はできる、ということは実際に現実のものになっている面もあるのだから、リセットすることを含めてもっと良い人生の選択をしていく可能性は広がっていると思う。

リセットするということについて書いているうちにちょっと話が広がってしまったが、リセットというものはそれだけで独立した行為ではないから、まあ考えが広がるのもやむを得ないかなという気がする。本来ブログでちょこちょこっと書くような簡単な話でもないんだろう。

ということでこの件は尻切れだけど。

あと「対存在であることの意味」とか「マンションに住むことのメリット」とかについても考えてみたのだが、ちょっと長くなったのでそれはまたの機会にして、「窓を開けることの意味」について。


【窓を開けることの意味と、ネット時代のありがたさ】

私は毎朝、起きたら部屋の窓を開けるというのをずっと習慣にしてきた。気持ちがいいからだ。寒くても暑くても、部屋の窓を開けて空気を通す。風の流れが生まれて、部屋の中で淀んでいたものがすうっと流れていく。

最近は横着になっていて、一日窓を閉め切っているときが時々あるようになってしまっていたのだが、『隠居系男子』の鳥井さんのこちらのエントリを読んで、やはり窓を開けることは大事だなと思い直した。

特に家の中でいろいろやる人にとって、窓を開けるということは大事なこと。あまり家にいない人にとっても、窓を開けて風を通すことで、ある種の固定観念が吹き飛ぶというか、つまり部屋の中に風が通るということに対する新鮮な驚きと心が現れるような感触が、必要なのだと思う。

ある意味、人は住みかと一体化するようなところがあるから、自分をオープンにするには部屋もオープンにした方がいいし、「片付けの魔法」というのも根本的には同じことだと思う。片付けが出来なくても、窓を開けることくらいはできるわけだから、そんなことを習慣にするのはいいことだと改めて思った。

実際、鳥井さんのブログは自分が大事だと思っていても普段は忘れていることとかを思い出させてくれることがよくあるし、また新しい時代を切り開いていく生き方について素直にそうだなあと思わせてくれるエントリが多い。

Vividな感性で"いま"を生きていくことの大切さを思い出させてくれる。こういう文章を書く人に出会うことができたというのも、ネット時代ならではのことだなあと思う。ありがたいことだし、本当に30年前とは世界が違うのだなあと思う。

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