鶴田謙二『續 さすらいエマノン』読了/永江朗『セゾン文化は何を夢見た』読了:80年代の夢・一企業が一国の文化にどれだけのことが出来たか
Posted at 13/12/04 PermaLink» Tweet
昨日帰郷。いくつも並行して本を読んでいる。永江朗『セゾン文化は何を夢見た』、鶴田謙二『續 さすらいエマノン』、『かぐや姫の物語 ビジュアルガイド』は読了した。あと残っているのはKindleでダウンロードした糸井重里『インターネット的』。これはまだ第7章まであるなかの第1章を読み終わったところだが、面白い。
【鶴田謙二『續 さすらいエマノン』読了】
續 さすらいエマノン (リュウコミックス) | |
梶尾真治・鶴田謙二 | |
徳間書店 |
鶴田謙二『續 さすらいエマノン』はコミックリュウに連載されていたもの。もともと、このマンガを知ったのは今はもうなくなってしまった神保町・書泉グランデの地下のコミック売り場でたまたま見かけて、あまりのオールドスタイルの「フーテン娘」の表紙の『思い出エマノン』に、「これはなんだ?」と手に取ったのが始まりだった。奥付を見ると2008年刊なので、もう5年前になる。生命の始まりの時から受け継がれた記憶をすべて持っている娘との出会いと別れの話。彼女の名「エマノン」は"no name"をひっくり返したもの。「さすらいエマノン」はその彼女が当てもなく彷徨い、またさまざまな人に出会っていくのだけど、この『續 さすらいエマノン』は、記憶を失うという彼女の設定を否定するような状況の中で、それが実は起こるべくして起こったことだったという話で『思い出エマノン』のラストにつながっていく。スケールの大きな話に、魅力的なキャラクターと自然描写。連載時からかなり加筆修正されたようだが、確かにストーリーとしても読みやすくなった。それも文字が補強されただけでなく、絵で語らせるところが多く、とても好きな感じがする。
【永江朗『セゾン文化は何を夢見た』読了:80年代の夢・一企業が一国の文化にどれだけのことが出来たか】
セゾン文化は何を夢みた | |
永江朗 | |
朝日新聞出版 |
堤清二氏の訃報を聞いて、自分の中にすごく多くのいわゆる「セゾン文化」の影響があることに気がついて、それを自分なりに総括する、つまり「自分にとってセゾン文化とは何だったのか」を振り返ってみたいと強く思って、一番おもしろそうな永江朗『セゾン文化は何を夢見た』を図書館で借りてきて読んだ。借りたのは30日で昨日3日に読み終わったので、だったから、『かぐや姫の物語』にかなり没入していた二日間を除けばほぼ二日で読み切ったことになる。
私にとって「セゾン文化」のキーポイントである映画の部門、配給のシネセゾンや上映館のシネヴィヴァン六本木、シネセゾン渋谷などについてはあまり書かれていなかったのでそこは残念だったが、自分なりにセゾン文化というものは何だったのかという、内側にいた人たちからのレポートが読めたことは自分が考えるうえでも参考になった。
インタビューは本来「不思議、大好き」や「おいしい生活」というセゾン文化を象徴するコピーを書いた糸井重里や、作曲家の一柳慧など外部の人に対しても行われたというが、結局本にするに際して原則セゾンの内側にいた人たちのみに限ったようで、糸井らのインタビューが掲載されていないのは残念な感じがする。ただ、内部からの目ということでよりその「内幕」性が屹立する作りにはなっている。
取り上げられたのはアール・ヴィヴァン(西武美術館に付属していたアート関係の書店)に勤めていた永江自身と、アール・ヴィヴァンの経営にあたった芦野公昭。今でもある書店のリブロ、なくなった出版社のリブロポートの設立に関わった中村文孝、なくなったセゾン美術館、軽井沢に現存するセゾン現代美術館に関わっている難波英夫、「無印良品」を立ち上げた小池一子、高校時代からアール・ヴィヴァンなどに入り浸って知を磨いた評論家の小沼純一、西武百貨店文化事業部長だった紀国憲一、そして西武百貨店の社長だった堤清二自身である。永江はこういう人々にインタビューして、「セゾン文化とは何だったのか」を探ろうとした。
そういう構成になったのはパルコの社長だった増田通二が2007年に亡くなり、インタビューが出来なくなったことが大きいのだという。最初は西武百貨店(堤)―パルコ(増田)―文化事業部(紀国)というトライアングルを描いていたのだそうだが、結局パルコを除外して文化事業部中心の構成になったというわけだ。
私としては文化の面からの分析を期待していたわけだけど、「セゾングループ」は企業集団であるわけで、文化はともかくまず企業経営、企業運営あって初めて「事業としての文化」も成り立つわけであり、内容としては「文化本」というよりは「企業本」として読むべき部分が大きかったなというのが今の率直な感想だ。それでいけないということはないし、「企業が文化を取り上げるということ」はどう言うことなのか、という根本的な問題を考える上で大変参考になる。
基本的には彼らは、やはり文化インフラとしての美術館、アート書店、文化に重点を置いた書店と出版社、「自立した消費者」のための良い品を売る雑貨店、映画館と映画配給会社などを作り、整備した、ということなのだと思う。そしてバブルがはじけたこと、世の中が変化していった――特にネットの隆盛と「文化華咲く東京への憧れ」の消滅ことによってそれらのインフラが役割を終えていった、ということなのだろうと思った。
さて、「セゾン文化とは何だったのか」という問いに、この本はどう答えているのか。
堤清二=辻井喬によれば、文化事業は経営戦略の一環であり、詩人=芸術家としての辻井喬とは関係のないことで、だから芸術を愛する経営者が芸術に金をつぎ込んだために事業を傾かせたという分析は間違っているのだという。これは確かに、文化事業=メセナへの出費は宣伝費の一割と決めていたという文化事業部の紀国の言葉とも一致する。
むしろ堤は、「西武鉄道=コクドグループ」から「西武百貨店=セゾングループ」をイメージ的に分離するためにイメージ戦略を必要としていたのだという。そしてそのためのハイカルチャー路線だったが、どうも読む限りではそれが十分な以外に支持されていたわけではないようだ。しかし「不思議、大好き」に代表されるむしろややポップなイメージ戦略の成功にバックアップされて、そうしたハイカルチャー路線も維持できたのだという。
つまり、堤清二が、彼の言によると「封建領主制」の西武鉄道と差別化を図ろうとしたとき、差別化を図るための持ち駒として使えるのが彼自身の愛する芸術であり、現代アートであった、ということなのだろう。だから一見道楽に見える大衆に理解できないようなハイアートの展覧会をやることによって、西武(百貨店)は西武(鉄道)ではない、とイメージづけようとしたのだろう。実際彼は最終的に西武百貨店をセゾン百貨店に名称変更したかったという話はよく聞くが、結局それは成功しなかった。
永江は結局、「セゾン文化とは何だったのか、いまもって私にはよくわからない」という。確かに当事者の言を聞けば聞くほど、それは袋小路に入っていく感がある。アートや思想のことについてはともかく、経営について、特に世間的に失敗したと思われている経営者の過去の事業について、そんなに正直なことを聞くことは難しいだろうし、やはり特にこの堤清二という陰影に富んだ巨大な個性からわかりやすい答えを引き出そうとするのは難しいだろう。なにが戦略で、なにが偶然の幸運だったのか、それすらはっきりとは分からない。そしておそらくそれは、堤自身が正直に答えようとすればするほど分からなくなるようなことかもしれないと思う。このあたりは、失脚後の田中角栄に「宿敵」である立花隆がインタビューした時の印象を少し思い出した。逆に、鳩山一郎の回顧録のなどはすごく明るい。成功者は、成功を語ればいいので、口も滑らかになる。
セゾン文化とは結局、綿密な戦略に基づいて企画し、次々とそれをあてていったがバブル崩壊によってそれはもろくも崩れ去った、みたいな単純なストーリーで描けるものではなく、多くの偶然と思いがけぬ人々の熱意が集まって形成された、一つの時代の文化だった、とでもいうべきものだったのだろう。
まあそれはともかく、私が面白いと思うのは、これだけの文化インフラを、大企業とは言え一企業がつくりだし、分化の様相を一変させてしまったことだ。今はかなり兵どもが夢のあとになっているけれども、いま現在活躍している人たちの中で、セゾンの一翼をになったり、あるいはセゾン文化の影響を大きく受けた人はかなり多いだろう。
国家でなく、一企業がそれだけのことが出来た、ということが、ある意味希望なんじゃないか、と私は思う。
***
今日は自分が20代だった1980年代に経験したセゾン文化のハイカルチャー性と、それに憧れ、囚われていった自分、みたいなことを書こうと思ったのだけど、それ以前にこの本を簡単に紹介しようと思って、思わず長くなってしまった。このあたりのことはまた明日以降書こうと思う。
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