木枯らし/「まど☆マギ」と「進撃の巨人」をなんとなく比べてみる/教養の持つ本当の意味の一つは、階級転落に対する下方硬直性にあるのではないか

Posted at 13/11/11

【木枯らし/「まど☆マギ」と「進撃の巨人」をなんとなく比べてみる】

今日も不順な天候で、通り雨が降ったと思ったら急に冷え込み、木枯らしが吹いた。夕方になってから出かけたのだが、寒いからと思って久しぶりにジャケットを着てネクタイを締めて出たが、外を歩いているとマフラーをしている人やコートを着ている人もいて、晩秋から冬へと一直線に落ちて行っている感じがした。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
芳文社

昨日見た『まど☆マギ』のことを考えていて、(あ、ネタバレなのでこれから見るつもりの方はこの段落はスルーしてください)なんかどうも自分は十分には満足しなかったのだけど、それはなぜだろうと思う。やはりテレビシリーズの時の緊張感が、今回は足りないなと思ったからなのだろう。予想よりもどんどん悲惨なことになるあの展開力が、今回は少し足りないというか、予定調和的な部分が大きかったからではないかなと思う。魔法少女たちも前回はマミ、さやか、杏子と三人死んでしまったが、今回は誰も死なない。劇団イヌカレーの異空間の美術もよかったけどTVシリーズの緊張感には及ばないかなあと。そしてその怖さ、嫌さも、基本的に神経症的なもので、比べるのも何なのだが、『進撃の巨人』のもっと直接的な、肉体的な怖さとは全然違う。『進撃の巨人』は慣れるまでは大変だったが慣れてくるとそのドーンと体の芯に響く感じがほかにない感じがして何物にも代えがたい。『まど☆マギ』はもっと繊細な世界、観念的な世界なのだ、と何度も反芻しながら思った。

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)
諌山創
講談社

日本橋に出て、丸善へ。電車の中はあたたかく、木枯らしできゅっと引き締まった体が弛むのを感じる。これからの季節は、この弛緩と硬直の繰り返しが、身体に与える影響が問題だ。今日は早速腰痛が起こりかけたが、活元運動をして何とか乗り切った。食べ過ぎないこと、水を摂ること、無理な動きをしないこと、そして肌に感じるものに敏感になること。最近、腰痛や足の痛みなどについても、皮膚の感じる温度や湿度や気圧の変化がすごく大きいことが感じられるようになってきた。特に、毎朝ツイッターで流れる若林理砂さんの『養生予報』がすごくよくわかる感じがして、勉強になっている。私は漢方は使わないが、注意事項は意識するようにしている。


【本屋に行くことは文化的シャワーを浴びに行くようなもの】

丸善の地下でモーニングページ用の原稿用紙ノートを2冊買い、エスカレーターで1階、2階と上がり、各階で本をそれぞれ物色。何を買うでもないのだけど、本屋に来るということは文化的なシャワーを浴びに来るということだなと思う。温泉に例える人もいたように思うが、同じことだ。一つ一つの本を買うのはamazonでもできるが、本屋という空間でシャワーのように様々な文化的・教養的なエネルギーを浴びることはほかの場所にはないものがある。図書館もいいけれども図書館はもう一つビビッドなエネルギーがない。書店はお金を出して買えば自分のものになるという真剣さがあるから一冊一冊の本の魅力が粒立っているように感じるのだ。それに騙されて買ってしまってからしまった、ということもあるけれども、書棚の作り方で本の魅力が変わるということが最近クローズアップされるようになってきているけれども、実際そうだなと思う。その並べ方にもその人の教養やセンスのようなものが反映されているのだと思う。

養老孟司特別講義 手入れという思想 (新潮文庫)
新潮社

リラックスして温泉につかれば財布のひもが緩くなってついお土産を買ってしまうのと同様、書店でもじっくりそういう雰囲気に浸るとお土産を買いたくなる。その文脈の中にいると、おのずと自分の今志向している方向の本が見つかるのだ。何度かうろうろしたが、結局養老孟司『手入れという思想』(新潮文庫、2013)を買った。養老さんの本は以前けっこう読んだが本当にわかったのかどうかよくわからないところがあり、最近なんとなく読まなくなっていたのだけど、甲野善紀さんが「養老さんは恩人だ」というツイートを読んで、そう、やはり養老さんは「目利き」の人なんだよなと思い、ちょっとまたその世界に触れてみるのもよかろうと思ったのだった。『手入れ』という問題には関心があることもあったので。


【教養の持つ本当の意味の一つは、階級転落に対する下方硬直性にあるのではないか】

夕食は久しぶりに3階のカフェで東京駅方面の夜景を見ながら。こういう楽しみ方が文化的資産の生かし方というものなんだよなと思いながら、きょう午前中に読んだfujiponさんのブログで紹介されていた西原理恵子さんの『この世でいちばん大事な「カネ」の話』の言葉を思い出した。

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)
西原理恵子
角川書店(角川グループパブリッシング)

「貧乏人の子は、貧乏人になる。泥棒の子は、泥棒になる。」

それは一理ある、というのは、それがそういうものだということで育てば、そうなってしまうということだ。このエントリはもともと堀江貴文さんの『ゼロ』についての感想なのだけど、西原さんの言葉が引用されているのは「稼ぐ」というテーマが同じだからだ。

ゼロ
堀江貴文
ダイヤモンド社

堀江さんの『ゼロ』に対する感想は私も数日前に書いているけれども、「稼ぐ」「働く」ということの重要性についてはその通りだと思う。そしてここ数日ツイッターでRTされたツイートに「一般教養で飯が食えるようになるのか」という東大生(と称する人)のツイートがあったのだが、教養というものがどういう場面で必要なのかという答えを考えていて、それは、「階級転落に対する下方硬直性」だと言っていいんじゃないかと思った。

確かに、「何百年も社会の最底辺にいる人たち」というのはいるだろう。しかし長い年月の間、階級を上ったり下りたりしている人たちもまた多いはずだ。私が職業高校やいわゆる底辺校で教員をやっていた時の生徒たちも、三代前までは豪農だったり立派な商家だったりしたが商売に失敗してすべてを失ったとか、元映画女優(早くだったようだが)の息子とか、いろいろな子どもがいた。

自分の周囲の人を見ていても、どんどん社会の底に沈んで行ってしまう人もいれば、あるところで踏みとどまって、金はなくても清々した生活を送っている人もいる。その何が違うかと言えば、家庭に教養というか文化力があるかないかの違いだと思った。教養的基礎のある家庭で育った子は、家は貧しくても学習意欲があるし、奨学金や留学制度などさまざまな手段を使って自力で道を開いていこうとする力がある。「襤褸は来てても心は錦」ではないが、「教養」というものはもともと下層階級のものではないので、貧しくても新聞を読んで社会を論じる力を持っていたり、政治家を批評したりする力を持っていたり、良いものを見る目を持っていたりする。だからある程度以上身を持ち崩すことが少ない。そういう家庭で育った子供は、そこから再び抜け出して日の当たる場所に出ていく力を育てやすいのだ。それが「階級下降に対する下方硬直性」ということの意味だ。

まあ逆に、教養があるために階級上昇が妨げられてしまう場合もあるだろう。いわゆる「文人政治家」は教養が邪魔して貪欲になりきれないために総理大臣になれない傾向があると言われているし、特に東洋的な教養は金銭を賤視する傾向があるので起業とか投資に積極的になれない傾向がある。おそらくはそういうことがあるから「教養なんて邪魔なだけ」という見方が強くなっている面はあるのだと思うけど、「逆境で身を保つために必要な力を与えてくれるもの」という側面で教養というものをとらえてみたらどうだろうかと思う。そういうふうに言えば子どもにもわかりやすく教養の重要性を伝えられるのではないかと思った。

そして、その教養の雰囲気、良さというものが一番手軽に味わえるのが本屋なのだ。本屋に行く習慣がある人とない人とではやはり持っている雰囲気が違う。それは美術館でもいいし、劇場でも音楽ホールでもいい。そこに行くことで味わえるものは、やはり文化とか教養とかの空気なのだ。楽器を演奏できること、あるいは自分の好きな画家の絵を買った経験などは、生活を豊かにする。作家ものの食器を一つ買うだけでも違う。この世に一つしかないものをお金を出して買うという経験は何物にも代えがたいし、一番意味のあるお金の使い方だと思う。もちろん程度問題とか分相応という問題はあるのだけど。

そしてまた、困難なことではあるが、そういう環境になくても誰かよい教師や生活上での師に出会えば、自分の力で教養を身につけていくことは不可能ではない。おそらくは「稼ぐ」ことの方が優先されなければならない状況にあるとは思う。社会的に成り上がることに成功した人が次に求めるのが教養や文化力を背景にした「尊敬」であることが多いが、小さい頃にその教養の本質(と言えば大袈裟だが、つまりは「知は力なり」ということだろう)を体得しておけば、それはずいぶん有利であるし、ある程度成長してからも、上に書いたような際限なく落ちていく状況は防ぎやすくなるだろう。

そんなことを考えながら食事をして、丸善を後にした。

バターとチーズと何か朝食に食べるものがほしいなと思い、丸ビルの成城石井まで行くことも考えたが、よく考えたら高島屋の地下に何かあるだろうと思い、行ってみると明治屋が入っていた。明治屋は京橋の本店とか新丸ビルの地下の店舗によく行っていたが、京橋の本店が再開発で休業してしまったので(そういえばあのビルはどうなるのだろうか。かなり歴史のあるビルだと思うのだが…)、高島屋に入っていると好都合だ。発酵バターとブルーチーズとサルタナレーズンを買って帰った。帰ってから『進撃の巨人』の録画を少し見て、文句なしに盛り上がるのを感じた。どうもここのところの不調は、巨人成分の不足のせいだったのかもしれない。

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