小林よしのりの時代

Posted at 13/11/01

【小林よしのりの時代】

今日は自分とマンガとの関わりを書こうと思って書き始めた。自分とマンガとの関わり方はその時によって変化しているのだけど、大きく言って四つの時期、1.無自覚な時期(1962-80)2.「ニューウェーブ」の時期(1981-95ころ)3.冬の時代(1994ころ‐2007)4.復活の時期(2008-現在)に分けられる。最初は2008年以降の、現在に至るマンガの読み方について書こうと思ったのだけど、書いている途中でそれ以前のことについてどんどん書きたくなり、書いているうちに一人のマンガ家について膨大な字数を書いていることに気づいた。それが、小林よしのりだ。

いろいろ考えたけれども、今日はまず、そのことについて書くことにした。

私が小林よしのりを爆発的に読み始めたのは90年代の半ばだった。当時小林は『ゴーマニズム宣言』が8巻くらいまで出ていて、オウム真理教による暗殺未遂事件などをきっかけに『SPA!』を飛び出し、連載を『SAPIO』に移した頃だった。私が『ゴーマニズム宣言』に興味を持ったのはたまたま何かの週刊誌で読んだオウム事件に関する読み切りだったから、地下鉄サリン事件直後の1995年のことだったと思う。

つまりそれは上の分類でいえば「冬の時代」に当たる。小林を爆発的に読んでいるのに冬の時代というのは失礼なのだけど、私がマンガ全般への興味が薄れてきていて、ニューウェーブの時代から読んでいた諸星大二郎や近藤ようこなどを除けばほとんど読まなくなっていた時期なのだ。そして私が小林に関心を持ったのは小林のマンガというよりは、小林の考え方や思想や行動や表現に対してであったから、純粋にコンテンツとしてのマンガとして読んでいたとは言えない。だから「マンガを読むこと」そのものに純粋には当てはまらない、ある種特殊な位置のマンガ家なので、自分にとってはマンガを読むこととは別の範疇に小林よしのりを読むことがあるということで、そういう表現にしたのだ。

逆に言えば、自分の中にある政治や思想に対するもやもやしたものが小林の作品によって引っ張り出され、そういうものに対する自分の考えが急にはっきりしてきたのだ。いや、むしろはっきりし過ぎたと言うべきなのだろう。

いま考えても私はそういう正義とか思想的正しさにそんなに関心があるわけではない。ただ、もやもやしたものがはっきりしてきたその驚きの中で、自分もそうした正義や思想的な正しさのようなものを獲得した気持ちになっていたので、相当強い影響を受けたとは言えるのだと思う。

差別論スペシャル―ゴーマニズム宣言 (幻冬舎文庫)
幻冬舎

オウム真理教が事件を起こし次々に起訴されていった頃、小林は部落差別についてのスペシャル本『差別論』を出し、薬害エイズ問題に主体的に取り組んで、その運動はついに菅直人厚生大臣の国からの謝罪を引き出した。しかしその中で小林は大いなる幻滅を感じ、『脱正義論』を書くことになる。

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論
幻冬舎

次に小林が取り組んだのは意外なことに従軍慰安婦問題だった。これは次に戦争で戦った祖父たちの名誉回復を図りたいという方向へ進み、南京大虐殺を否定し、ついには大東亜戦争肯定論につながって行く。この展開は、私は個人的には快哉を叫んだけれども、多くの人には衝撃だったと思う。私自身は高校生の頃から従軍慰安婦問題や南京大虐殺の話に触れるたびに、これは何かおかしい、と思っていた。しかし自分でそのおかしさを証明する力はなかったし、それ以前にその問題に触れようとすると吐き気を感じて近づけなかった。私は日本史を学びたいという気持ちはあったのだけど、いま思えばこれらの「戦争犯罪に対する情報で日本人を洗脳しようというプログラム」に関する「強制された正義」に守られた領域にどうしても近づくことが出来ず、断念したということがあった。今でもあんまりまともにそういうことを論じたくないのだけれど、小林の主張には強い説得力を感じたし、それまでもやもや思っていたものが霧が晴れて、清々しい気持ちになったのだ。その『戦争論』のあたりが小林の白眉だったと思うが、その左の論点から右の論点への大転換を私ははらはらしながらも内心応援していた。『新しい歴史教科書』の運動も、そういう点から強く支持していた。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論
幻冬舎

また風向きが変わったのが2001年の同時多発テロだった。小林は『戦争論2』でアメリカへの攻撃に共感の意を示したのだ。これは右派論壇に強い衝撃を呼んだ。これをきっかけに小林は新たに獲得した右寄りの読者層の多くを敵に回して行くことになる。

新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)
幻冬舎

小林の活躍もあって世の中の主な思潮が左翼よりから右寄りが強くなってきた頃、さらに衝撃的な出来事が起こった。左翼のひとつの聖域であった北朝鮮が、日本人を拉致していたことを2002年に認めたのだ。

小泉政権は本来、北朝鮮との国交回復を図って訪朝したのだが、その交渉の過程で拉致を認めたことで日本の世論は一変した。日本中が嵐のような北朝鮮非難一色になったのだ。日本の保守論壇が完全に市民権を得たのはこの時だったと私は思う。

社会主義に対する信頼というより幻想は既にハンガリー動乱の頃から何度も繰り返し動揺させられていたのだが、ソ連崩壊という決定的なダメージから以降も日本においては言論界も教育界も幻想は維持され続け、その場に身を置くと身を拘束される感じがあり、それを振り払いたいと常に思っていた。だから小林の活動に関しては強い尊敬の念を持っていたのだが、その幻想が完全に崩れたのがこの時だったと思う。

しかし、保守論壇が市民権を得たその時は、その実態が国民の目に晒される時でもあった。私は高校生の頃から渡部昇一など保守の論壇人の言うことを読んできたのだが、彼らの発言は大学や一流とされるジャーナリズムの中でまともに取り扱われることがなかったから、彼らの発言を相対化することも出来なかった。しかし彼らが市民権を得て見ると、保守論客の間にかなりの意見の対立があり、内輪もめや仲間割れが白日のもとに晒されることになってしまった。小林はすでにその中に相当コミットしていたため、小林の視点から保守論客の格好の悪さが次々に描きだされて行くことになったことも大きかった。

特に、保守の中に反米と親米があり、体制右翼は親米だったが小林は明らかに思想的反米の立場を取ったことが大きかっただろう。それは私も共感できることだったが、大勢は違っていたように思う。また皇位継承に関しても彼は女系論の立場を取り、これも孤立する原因になった。

小林は左派から右派への世論の大転換という大きな流れを作った人ではあったけれども、右派の中ではイニシアチブをとれたとはいえない。もちろん本来そういうつもりもなかったとは思うけれども、逆に世論の側が小林に大きく乗っかっていたのだ。そしてそのあたりから世論の側が去って行ったというだけなのだろう。たぶん小林は何も変わってはおらず、自分の正しいと思った方向に突き進んでいるだけなのだ。

90年代半ばから0年代半ばまで、かなりの部分「小林よしのりの時代」と言える時期があったように思う。小林はひとりでさまざまなタブーに挑戦し、それまで語りにくかった問題を表に引きずり出し、論点をオープンにした。快刀乱麻を断つ彼の議論は論理も感情も表現力も含め、その圧倒的な迫力で多くの論敵を沈没させていった。

その中で彼は常に共感する相手を求めていたように思うが、そのたびに決裂して行った。それは、彼の性格だとかそういうことではなく、思想で共同することのむずかしさを表しているのだと思う。

今でも小林の発言にはときどきはっとさせられることがあるし、さまざまなメディアを使いつつ目指すべき方向性を示そうとはしているのだけど、『台湾論』『沖縄論』まではともかく、『天皇論』からこちらになると、むしろ感覚的なずれがあるところが大きくなってきた。女系論争なども重要なことだとは思うが、それに積極的に関心があるとは言えない。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論
小学館

ただ、わりと若いころから右翼思想というものに関心はあったので、現在『SAPIO』に連載されている頭山満に関するものは興味を持って読んでいる。頭山の思想や行動を小林がどうとらえ、どう表現するか、というところに興味の中心があるのだが、小林はある意味頭山のような存在を待望しているのだと思う。保守論壇が力を持ち始めれば思想の潮流は変わるかと思っていたけれども、結局今の保守論壇には頭山のような核になり得る存在がなくて、一人一党的にどんどんばらばらになるばかりであり、そういうことに小林は失望し、ある意味そう言う存在の再臨への願望を込めて、頭山を描いているように思われる。
「冬の時代」、私はマンガなどのコンテンツ系から気持ちはかなり引いていて、新しいマンガを開拓したいという気持ちも低くなっていたけれども、でも実際には小林の作品を通してコンテンツ的な意味での豊かさを享受していた面もあったと思う。

しかし私は、そういう面よりも、正義とか思想的正しさとか身にあわないものを追い求め過ぎていたように思う。それこそ小林が作中でときどきうんざりして見せるように思想家や運動家というものは自分がまじめにやっているということを錦の御旗にしてふざけて見せたり冗談を言ったり批判的なことを言ったりすると頭にきてそれで決裂してしまい、共感していたのがあっという間に敵にまわったりするので、どうもそういう世界は面倒くさ過ぎると今では思うのだが、そう思うまでは私も「自分が正しいと思う思い」の中で「正しいと思うことをやる」という考え方にとらわれていた。

結局のところ、何が普遍的に正しいとか、そういうことはごくわずかにしかないのだと思う。その普遍的な、本当の正しさというのはもっと感覚的なもので、頭で決めてそうふるまうべき、というものとは違う気がする。頭で考えた正義というのは、結局時代とともに移り変わって行くと思うし、あまりとらわれすぎない方がいいと思うし、過去の現在とは価値観の違う時代の人々の行動でも、そういう価値観の時代だったのだなとその時代に生きた人を慈しむ気持ちで読み解いた方がいいと思う。

現在支配的とされる思潮は、結局は経済発展とか大国化とか現状維持とか言った実はあまり思想には関係ない部分に根拠をおくもので、まあ親米保守というものの存在が最もその実態を表しているのだけど、そういうことでは人は共同しやすいものなのだと思う。そうではない、思想的な大義のもとに人が集まるのはそう簡単なことではない。それが可能になるのは、経済発展も現状維持も見込めない絶望的な状況と、頭山のような大人物とかレーニンやヒトラーのようなカリスマが必要なのだと思う。

現在の状況が絶望的であるかないかはともかく、現今の政治家や思想家にそれに足る大物やカリスマは幸か不幸か存在しない。むしろスティーブ・ジョブズや孫正義など、企業家の方に社会を変える可能性が託されているのではないかと思われる部分がある。その状態がいつまで続くかは分からないが。

期待という点でも行動という点でも自分が本当に求めているのはこういう方向ではないなあと思うようになってきて、私は小林の熱心な読者ではなくなった。私は正義や思想的正しさよりも、楽しさとか豊かさに価値を置く人間だということが今ではだんだんはっきりしてきた。

コンテンツのひとつとして、特に頭山に関しては、これからも読んで行きたいと思う。

小林にしてもおそらく、最後のよりどころは、本当は政治的な主張ではなく、マンガ家であることそのものにあると思う。

小林よしのりが大きく論壇をひっかきまわしていた時代は終わったのかもしれない。でも彼が引き起こした転回は私には大きかったし、日本の社会にとってもそうだったと思う。大げさな言い方をすれば、小林よしのり以前、小林よしのり以後というくくり方をされてもいいくらいだと思う。既に日本は、小林がタブーを解き放つ前の時代には戻れなくなっていると思う。

私にとって、この「冬の時代」は試行錯誤の十数年だったけど、その間彼の作品を読むことがある種の支えであったことは確かで、そういう意味ではかなりの恩恵を受けたので、有り難かったと思っている。

そしてその中で、たとえば人の笑顔とか、思いやりの描写とか、戦前の人々を精魂こめて描いたさまざまな場面などから、自分の世界の広がりが取り戻されて行ったところもあったのだと思う。

今ではもう熱心な読者とは言えないが、彼の活動には何らかの形で関心を持ち続けていくことになると思う。

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