コンテンツはどう受け取られるか/進路を決めるということ:四つの目標/私がものを書くわけ/村上春樹は世界で売れているのになぜノーベル賞を取れないか
Posted at 13/10/31 PermaLink» Tweet
【コンテンツはどう受け取られるか】
コンテンツ、というものはいろいろあるが、たとえば宗教、スポーツ、文学、科学というものもコンテンツだろう。
スポーツも自分でやるという意味のスポーツからはかなり長いあいだ離れてしまっているが、見るという意味なら今でも時々見ているし、もはや見ることがなくてもレッドソックス上原のワールドシリーズでの活躍や楽天田中の今シーズンの驚異的な活躍には関心を持っていて、結果を知ってそうか、と思うことも多い。
私は日本ハムファイターズのファンなのだが、実際のところ、北海道に本拠地を移転してからは一度も試合を見に行ったことがない。ダルビッシュも一度は見たかったのだが見ないうちにアメリカへ行ってしまった。
面白いのは、スポーツというコンテンツが実際に試合を見なくても、テレビさえ見なくても、コンテンツとして成立しているところである。結果だけを見てああよかったと思ったり、今シーズンはだめだなと思ったりする。そういう意味でのスポーツというのは基本的に一喜一憂するのが楽しい、というものだ。気分が盛り上がってきたらテレビを見たり、試合を見に行ったりする。球団としてはあまりメリットのないファンではあるが、そういう潜在的なファンがあることは大事なことだと思う。
これは読書でもそうだ。
村上春樹のファンだ、という人に話を聞いて見ても、全部読んでいるとは限らない。でもファンだ、ということもあるだろう。音楽でもそうで、私はYuiという人の曲は「again」しか知らないが、しかしこの人の音楽的センスは好きだなと思う。逆に言えば、他の曲を知ることでイメージが壊れるのが避けているというところもある。そうなって来るとつくり手にとっては厄介だ。
そういうコンテンツというものが存在しているということを知り、その一部をいいなあと思っても、それ以上に近づこうとするとは限らない。でもたぶん、そういう人の存在が、そのコンテンツを支えているというところが多いのだろう。
熱狂的なコアなファンを必要とするジャンルもあれば、大衆的なジャンルでは広く薄く浸透することの方が大事な場合もある。そこに時代の雰囲気が作られ共有されて行く。
宗教や科学でもそういうことはあるのではないか。
葬式を僧侶を呼んで執り行うという家はまだまだ多いと思うが、実際にそのお寺の熱心な檀家であるという人はそう多くはないだろう。クリスマスには教会に行ってみてミサの厳かな雰囲気に感激しても、洗礼を受ける人はそう多くはないだろう。
ノーベル賞を受賞したジャンルが急に取り上げられ、にわかにしばらくの間それに関心を持って見るが、ずっと持ち続けるわけではない、という人も多いだろう。
宗教も科学もスポーツも、もちろん人によっては単なるコンテンツというより生き方になる人はいる。もちろんそれはそれらがそれだけの力を内在させているからだ。
それらの人は、自分の生き方の芯に、それらのものを据えた人々だ。しかし、皆がそういうわけではない。
多くの人は、それらのそれぞれからそれぞれの範囲で生きる栄養を補給し、自分の生き方をそれぞれに作っている。
ことさらに新しい何かと思わなくても、それぞれにその人にしかできない何かをやって、その人にしか作れない何かを作っているのだと思う。
ものを作る人は、それを自覚した方がいい。
自分の作るものは、みんなの栄養の一部なのだ。
それはもちろん、考えてみれば当たり前なのだが。
ある本のある言葉を心の支えにして生き抜いていく人もいれば、Jリーグチームのサポーターとして試合を追いかけることを生きがいにしている人もいるだろう。
自分の作るものは、その人にとって、ほんのわずかなものなのだ。しかし、それがすべてを変える力を持つかもしれない。
ほとんど関心を持たずに聞き流していた宗教の言葉にある日急にとらえられ、一生を伝道にささげることになる人だっている。
そんなふうになるのは、ほんの偶然のことかもしれないのだ。
【進路を決めるということ:四つの目標】
私が大学生でこれから4年生になるというとき、恋人と別れた。別れはいつも手ひどいものだが、その時が一番ひどかっただろう。毎日何も手につかなかった。何をやったらいいのだろうと思っていた。心が動かなくなっていた。
その頃、芝居の関係で読んだ太宰治の小説に、こんな意味の一節があった。主人公は、目の前を小石が動いて行くのを見る。そして、ああ、石が動いているな、と思う。そして、しばらくしてからはっとしてみると、その小石には紐がついていて、子どもが引っ張って遊んでいたのだということに気がつく。そして無性に悲しくなる。子どもに騙されたことではなく、石が動くなどという天変地異を無感動に受け入れている自分に対して。
その頃の自分はそんな感じだった。
さすがに私もあるとき、このままではいけないと思う。それまで何があっても落ちなかった食欲が落ちてきて愕然としたのだ。そして自分なりに考えて、何をすればいいかと考えた。考えたことは4つあった。
塾の先生のアルバイトをすること。芝居に出演すること。教育実習に行くこと。ヨーロッパに行くこと。
その4つをする中で、何か自分の軸になるものを見出すことが出来るのではないかと思ったのだ。
結局3月から塾講師のアルバイトをはじめ、5月の芝居の公演に出て、6月には教育実習へ行き、7月から8月にかけてヨーロッパへ行った。
何を考えていたのかと思う。
まあ、いまにして思えば、だが。
普通は大学4年生と言えば就職活動真っ盛りだ。でなければ大学院の受験に向けて卒業論文の準備や試験対策に入っているだろう。教員になる気はあまりなかったし、塾もバイト以上のことを考えてはいなかった。芝居で食っていこう、という夢もゼロではなかったが、正直非現実的なんじゃないかという疑いの方が強かった。ましてやヨーロッパに移住しようなんて思っていたわけではない。
つまり、進路を選択する、ということについてほとんどまともに何も考えてなかったし、実際のところそれらの4つをするということも何か自分の芯になるものを見つけたいという、言わば自分さがしのためにやろうとしていたにすぎないのだ。
しかし不思議なことに、その当時はそれが全然おかしなことだとは思っていなかった。
むしろ、いまの若い人たちが必死になって就職活動をしているのを見聞して、ああ、それが人として正しい道だよなあ、とようやく気がついたという体たらくなのだ。
もちろん、身体や心を壊すまで頑張りすぎて企業に就職しなければならないと思いつめて自分を追い詰めていくような就職活動のやり方については見直した方がいいところもあるだろうとは思う。
しかし何者かになるためには、何かにおいて一人前になるためには、どこかに就職し、人に使われる立場になって働いて多くのことを吸収していくというのは、確かにひとつの優れた方法だと思う。
まず就職して、その分野でやれることを吸収して、一人前を目指す。当時の私は逆に、まず人間として一人前になってから何かをはじめよう、と思っていた。
しかしそれは実際にそうしてみると、実に壮大な話なのだ。
就職するということは、常に目の前に何かやることがあるということで、常に毎日様々なものを吸収していくことになる。だから、成長もはやい。人として未熟な部分も、毎日の仕事の中で自分で直して行かなければならないことに直面していく。
しかし、まず一人前を目指すと言っても、いったい何をやればいいのか。当時の私はまずお金を得て(アルバイト)、手に職をつけて(教育実習)、自分の表現を探し(芝居に出る)、世界を知る(ヨーロッパ旅行)と考えたのだ。我ながら筋は通っているが、どうも何かが間違っている。
つまり私は、自由になりたかったのだ。自由な人間になるためには、何かに所属してはいけないという気持ちがあって、それとさまざまなものに折り合いがつけられなかった。
それは多分、実際に職業は旅人、みたいな人、つまりスナフキンみたいな人を実際に知っていたせいもある。少し働いてお金を得ては旅を続け、また資金が尽きたら働く。どこかでそんな生き方に憧れていて、実際に自分にもそういうことが出来るような気がしていたのだ。
ただ実際のところ私はそういう感覚でいたのでその4つを実行しつつ卒論を書いて大学院を受けて不合格となって留年し、翌年も不合格で、しかも単位不足で教員免状も取れず、何も持たないで卒業した。バイトと芝居に明け暮れて卒業式の日も忘れていて、助手から電話がかかってきて怒られて学位記を取りに行った。
バイトも最初はいろいろと上手くいかないこともあったが2年目くらいから軌道に乗り始め、一定の収入が入るようになった。取り忘れの単位も通信教育で取得して教員免状も手に入れた。芝居は相変わらず確信を持てないまま続けていたし、自分なりに世界を知ったことで日本人の陥りがちな「決められた生き方」という枠からはそれなりに解き放たれた。スペイン人のいい意味でいい加減な、人生を楽しむ生き方を見ているうちに、人生というものはこういうふうに生きてもいいんだ、と思えるようになったのである。
しかしだからと言って、とても一人前の人間になったとは言えないし、それどころかこのまま進めばそういうふうになれるという気も全然しなかった。やはり何もかもが中途半端な感じがしたし、かと言ってどれか一つに打ち込む気にもなれなかった。生活で一番比重を占めていたのは演劇で、そのためにたくさん映画を見たり、芝居を見たり、絵を見に行ったり、少しは小説も読んで、それなりに力をつけようとはしていたのだけど、「何かに所属してはいけない」という気持ちと「自分の本当にやりたいことはこれなのか」という気持ち、「いったいどうやったら自由で一人前の人間になれるのか」という問いの間でいつも揺れていたのだなと今にして思う。
【私がものを書くわけ】
思わず自分語りになってしまったが、もし若い人がこれを読む機会があるならば、そんなトライをしたバカもいたということが何かのヒントになるかもしれないと思ったからだ。いまにして思えば、一番楽で、でも大変なことも多いけれども、頑張れば一人前に近づきやすいのは、就職することだと思う。もしそれがやりたいことと違っていても、それをそれなりにやりきれれば自分の自信になって次のステップを探すことが出来る。
私もその後一応は10年ほど就職した時期もあるのでその意義も今は理解はできるのだが、やってみていまになって自分自身についてわかるのは、私は本当に何かに(とくに日本的な組織に)所属することが苦手だということだった。
学問の選択にしても、私は歴史が好きだったから歴史学にしたが、歴史学という分野は実はかなり癖のある分野で、その癖のようなものになじめないところがどうしてもあった。まあ学問でその学問特有の癖がない学問など存在しないだろうけど、出来れば「社風の合う会社」に就職できた方がいいのと同じように、学問全体の「ノリ」のようなものが自分に合う学問を選んだほうがいい、という部分はあるように思う。理系の人はそういうことをわりと考えているように思うのだけど、文系の人は自分の趣味が先に走り過ぎるので、そこで失敗するということは私だけでなくあるような気がする。
いま思えば、学問をコンテンツとしてとらえるだけで、それを生き方として深化させなければいけないというところに無自覚だったところに間違いがあったのだろうと思う。
結局私は森羅万象に感動し、そのそれぞれからいろいろなものを吸収して、またそのそれぞれについて感動をいろいろな人と分かち合って、自分の知ってることを伝え、知らないことを学び、一歩一歩前に進んでいく、そんな生き方がしたかったのだ。
結局それは、物を書いていくことでしかないだろう。
だから私は今、こうして物を書いている。
職業として今のところ成り立っていなくても、まずは書いていくことだと思って、書いている。
【村上春樹は世界で売れているのになぜノーベル賞を取れないか】
月刊『MOKU』11月号を読む。今月号で面白かったのは、玄秀盛「世相を斬る!」で、「「一日一生」を教えてくれた人」と題し、自分が師事していた酒井雄哉阿闍梨との関わりについて書いた文章だった。酒井は天台宗に属し、もっとも困難と言われる修行、千日回峰行を二回成し遂げたことで有名な人だ。玄が最初酒井を訪ねた時は金色のキャデラックで寺に乗りつけたというが、玄によればそこで出会った不動明王像に何かを感じ、寺に通うようになった。その流れで得度までした。しかし玄の当時の仕事は神戸の「人夫出し」、つまり手配師で、支払いの悪いところにはとことん回収をかけたりしていたのだが、酒井に師事するようになってなにがしかの「仏心」を持ってしまい、それが出来なくなって、結局商売をたたんで現在の「日本駆け込み寺」の前身である「日本ソーシャルマイノリティ協会」というNPOを立ち上げることになったのだという。その過程でかわされた一言一言がなるほど、酒井は玄のことを本当に見ていたんだなあと感じさせるもので、逆に玄という人がこういう人なんだろうなあと思わされた。人の生き方を変えてしまう宗教というものの奥深い力を感じさせられた。
もうひとつは松本健一「世界文学とは何か」。知らなかったが松本は以前は文芸家協会に属し、文芸評論家の肩書を持っていたのだそうだ。彼の評論は社会評論とか政治思想に関わる評論というより、文芸評論の一種だと思って読んだ方が読みやすいように思った。
その彼が村上春樹を評しているのだが、村上の作品は基本的に「都市小説」であるという。都市小説というのは共同体から切れて都市でアイデンティティを喪失した人間が、その居場所のなさを埋めるために威勢の愛を求めると言ったテーマの小説で、必然的に恋愛小説になる、という。だから都市小説は東京やニューヨーク、上海に暮らす孤独な読者に共感を呼ぶのは当然だ、というわけだ。しかしそれは「世界文学」ではない、世界文学はそれだけではなく世界的なメッセージ性を持たなければならない、という。たとえば「神と人間」「宗教と教会」「人間の自由」と言ったテーマである。村上は『1Q84』でそれに挑戦したが、いまのところ失敗している、という評価である。
この批評は、「村上春樹は世界で売れているのになぜノーベル賞を取れないか」ということに対する、私が読んだ中でもっとも切りこんだ批評であるように思った。とはいえ、世の文芸評論家は村上春樹に対してあまり切り込む批評がしにくい状況はあるかもしれないと思う。その肩書を捨てた松本だからこそ、それが出来たのかもしれないとも思った。
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