松本ハウス『統合失調症がやってきた』を読んだ:現代の絶望とお笑い芸人

Posted at 13/10/30

【松本ハウス『統合失調症がやってきた』を読んだ:現代の絶望とお笑い芸人】

統合失調症がやってきた
ハウス加賀谷・松本キック
イースト・プレス

ハウス加賀谷・松本キック『統合失調症がやってきた』(イーストプレス、2013)を読んだ。とてもよい本だった。途中から読んでいて涙が止まらなくなった。まず最初にそのことは書いておこうと思う。

この本は、ツイッター上で吾妻ひでお『失踪日記2 アル中病棟』(イーストプレス、2013)が話題になったとき話題に出たものだ。この本のことは、ハウス加賀谷というお笑い芸人が統合失調症を発病し、突然の引退から10年後に復帰して、そのことを書いた、とどこかの記事で読んで知ってはいた。

しかし私はもともとお笑いの世界にはあまり詳しくないし、どうもいつの頃からか何となくお笑い芸人というものにあまり好感が持てなくなっていたところがあって、あまり読もうという気にはなってなかった。それで私はその話題の時に、お笑いの人の本はあまり読む気がしないんだよなあと書いたのだけど、そのツイートが関係者の方にRTされてしまい、ハタと困った。

あまりそういうことは書くものではないなあとも思ったのだが、いろいろ考えているうちに、むしろ私のそういう「お笑い芸人アレルギー」みたいなものがどういうことなのか、それがわかるかもしれないという気持ちになり、読んでみようという気になった。

月曜日に秋葉原の書泉ブックタワーに行った際、おそらくは私の書名のうろ覚えが原因で買うことが出来なかったのだが、昨日火曜日に帰郷の際に丸の内の丸善に立ち寄り、検索機で調べてみたらヒットした。一般文芸書の「闘病記」の棚にあるという。

「闘病記」か…

言われてみればそうなんだ。『アル中病棟』だってあまりそういう認識はなかったが闘病記なのだし、統合失調症のマンガ家が書いた卯月妙子『人間仮免中』(イーストプレス、2012)も闘病記と言ってしまえば闘病記なんだ。

人間仮免中
卯月妙子
イースト・プレス

しかし私にはそういう認識が全くなかった。闘病記という何というか苦しそうな本として紹介されたら読む気になったとは思えない。この『統合失調症がやってきた』にしても、書中の表現に従えば、「松本ハウス枠」で読まれることの方が多い本なのではないかと思う。私自身でいえばどちらかというとツイッター枠なのだが。

まあそういう思いは押し込んで、本を手にとってレジに行って鞄に押し込んで、新宿に出て帰郷の特急に乗り、窓側の席に座って読み始めた。列車が走りたしたとき、新宿は雨が降っていた。

***

最初に加賀谷が突然コンビを解消すると松本に申し出た時の話がおかれ、それからずっとさかのぼって、加賀谷の少年時代の記憶が語られる。遠い、まだドラえもんの中の世界にあった、空き地で遊ぶ子供たちの姿の記憶。そんな世界から引きずり出され、四谷大塚に通う塾通いの小学生として、彼は現実に引き戻される。

まだ3年、4年の頃からの塾通いは、いい子を演じていた彼の心に重い負担となり、とうとう爆発して、彼は結局中学受験をしなかった。そして中学に入ってある時から、幻聴が聞こえるようになる。学校も休みがちになり、何とか受かった高校も行かない時が多くなる。結局、治療のためということでグループホームに入ることになり、親元を離れる。その○○ハウスというグループホームの名が、ハウス加賀谷という芸名の由来なのだそうだ。

彼はやりたいことを探すうち漫才に出会い、勢いで大阪に行ってこの道しかないと見定め、オーストラリアに赴任中の両親の同意も得ずに大川興業の試験を受けてパスしてしまう。そこで相方のキック松本と出会う。ここまでが第1章だ。

***

ここで松本の生い立ちが語られる。高校生の頃から無常感にとりつかれていた彼は、三重県から神奈川の大学に出てきて、格闘技のサークルを続けていたが、結局中退した。彼のエピソードで一番印象に残るのは、夜中に歩いていて職務質問を受けた時の話だ。その風体から過激派と間違われ、誤解が解けて放免された時に、警官に「友達いるの?」と聞かれたのだそうだ。

いなきゃいけないのか。彼はそう思い、それから一切友達と連絡を取らなくなったのだという。

そのあらゆるものへの反発。破滅願望みたいなものを強く感じた。しかし不眠を母に相談したとき、母の愛を強く感じることが出来て、自分は何をしているのか、と思ったのだという。

そして漫才が好きだった彼は漫才をやることを決意し、事務所のオーディションを受けた。そしてそこで加賀谷と出会ったわけだ。

彼らはコンビを組み、成功し、前途はバラ色に見えた。しかし加賀谷はやはり無理を重ねていたのか、結局続けられなくなってしまう。ここで、冒頭の突然の幕切れに続く。ここまでで第2章は終わる。

***

そして入院生活と、長い長いリハビリの日々。3章、4章と時がただただ刻まれて行く感じは、読んでいてただ切なくなっていく。たった数時間、この本を読んでいる自分でさえそうなのだから、当人はどれだけの思いをその期間に抱えていたことだろうか。

***

読みながら、強く感じたことは、二人とも強い自意識、強い自己破壊願望を抱えていたのではないかということだ。小学生のころから中学受験を意識させられて破綻した加賀谷もそうだが、松本も地域の進学校に通っていたことがあとで調べてわかった。なぜわかったかというと、彼は三重県立上野高校の、私の後輩だったからだ。私は2年の終わりに転校したので卒業生ではないが、あの白亜の校舎に通い、悶々とした高校時代を過ごした彼の姿は、非常に身近に感じられた。担任とのやりとりも書かれているけれども、きっとあの職員室でそんな会話が行われたんだろうなあと思うと、読んでいる自分が不思議な感じがする。

私たちの世代は「しらけ世代」とか「新人類」とか言われたが、その下の世代はその焦燥感・絶望感はもっと強くなっていたんだろうなと思う。そしてその社会のすべてを否定したい感じ、何よりも自分自身を強く否定したい感じは、どこかで感じたことがあった。読んでいて思い当ったが、それが「お笑い芸人」たちが持っている雰囲気だったのだ。

私が漫才というものをよく見ていたのは、第1次漫才ブームと言われたツービートやざ・ぼんち、紳助竜助、B&B、コント赤信号などが出てきた時代だ。最近来年の終了がアナウンスされた「笑っていいとも」の前の番組、「笑ってる場合ですよ」がB&Bの司会で盛り上がっていたころだ。あのころの笑いは新しく、機関銃のような喋りと聞いたことのないような社会批評、ラサール石井の出身校ネタなど、それまでのどちらかというとやくざな世界だった(横山やすしのイメージが強いせいもあるが)漫才の世界に、普通の人が持つ感覚が吹きこまれた新しさを感じた時期だった。

そのブームが終わり、また次の革新の時期を迎えたのは、ダウンタウンが出てきたときだっただろう。ダウンタウンはまた、私が共感した笑いとは全く違う、もっと根本的な人間性への批判みたいなものを伴った笑いだったように思う。それはとてもシニカルで、何かに絶望しているような感じがあり、それがまた私たちの下の世代に爆発的に受けていったのだと思う。

私はそんな、どちらかというとブラック過ぎるというか、コミックノワールと言った感じの笑いが苦手で、そのあたりから「お笑い」というものに距離を置くようになった気がする。その後出てきた芸人は、爆笑問題などを除けばなんか根本的にいままで肯定されていた価値に対して冷笑的な笑いを向けているように感じた。逆に同志愛とか信頼とか、少年ジャンプ的な価値観というかそういうものには妙に強力に執着するものも感じたのだが。

そういう強い自意識、否定的感情が、「お笑い芸人」の笑いには含まれているのではないかということに私は思いあたったのだけど、実際、加賀谷も松本も強いそうした負の感情を抱えていたことはこの本の中で語られている。

特に加賀谷は「自分が嫌いだ」という感情が凄く強かったようだ。しかし漫才というのは当然、上手くやれば自分は認められる。認められれば認められるほど、いやな自分が認められることへの抵抗が強くなり、それがブレイクしかけた頃の彼にとって、凄く大きな負担になったようだ。

そして彼は松本の前でも明らかにおかしい行動を取る。それに何かを感じた松本は、加賀谷に「簡単なことはするな。それはつまらないから、俺もしない」というファックスを送ったのだそうだ。

「簡単なこと」。

たぶん、簡単なのだ。彼らにとって、いのちを絶つことは。そのように感じられてしまっているのだ。そのことで通じてしまう追い詰められ方の凄まじさも感じるが、しかしその中でそういう言い方で相方を思いやる松本の絶妙なフォローも何とも言えない。

読み終えてからわかったのだが、この本は加賀谷の一人称の語りで書かれているけれども、実際には加賀谷のメモや対話を通して聞いた話を松本がまとめて書いているのだそうだ。トークイベントでそのことを松本は「加賀谷に同化して書いた」と言っている。それも凄い話だが、同化出来るという自負もまた彼にはあったのだろう。私は知らなかったが、松本はそういう文章面でも才能を発揮しているようだ。

ただ、逆に松本自身の感情については、セーブされて書かれている面が強いように思う。自分自身のことについては、かなり禁欲的に、要点だけ書いているような気がする。「簡単なこと」と書いたときの彼の感情の中身は、押し図るしかない。ただそのことについて松本自身は、こう書いている。

「かく言うおれが、いつも死にたいと思っていたからすぐに嗅覚が働いた。かつての俺は、儚さへの憧れもあったのか、幕引きは自らの手でと、誤った願望を持っていた。FAXの最後に「俺もそれはしない」と書いたのは、自分への言い聞かせでもあった。」

こういう言い方が当たっているかどうかは分からないが、男というものは多かれ少なかれ自己破壊衝動を持っている気がする。自分の中にもやもやとあるわけのわからないエネルギーを、いったいどこにぶつければいいのか分からないからだろう。確かに私も、どこかの時点で自分で死ぬことだけはしない、と決めたことがある気がする。ひょっとしたらそれが生きていくために、一番大切なことなのかもしれない。

「笑い」というのは、おそらくはそうした自己破壊衝動を昇華させるための仕組みなんだろう。だから、多かれ少なかれそうした衝動を持っている人間がこの世界には集まる。そしてこの世界が自ら破壊されることがないように、世界が安定させられているのかもしれない。もう一つ付け加えるならば、二人とも、母の愛というものが彼らを本当には破滅させなかったのだと感じたのだが。

***

病気の症状の描写と、入院生活の様子、退院後の引きこもりと芸人活動復帰のためにコミュニケーション能力を取り戻すためのアルバイトにおけるさまざまな失敗などがたぶん、この本の眼目なのだと思う。ただそれは、読んでもらった方がいいので特には言及しない。

人は、なぜ「精神病」になるのかと考える。多かれ少なかれ、自分が病かもしれない、と感じたことは多くの人にあるだろう。私も自分がどうにもおかしいと思うことはよくあったのだけど、その時の感じと今この本を読み終えて思っていることの感じから、こんなことを考えた。

病というのは、身体に痛みを感じる、とか身体が思うように動かない、というようなことによって自覚するものだろう。ある日突然、腕が肩より上がらなくなる。動かそうとしても動かない。しかしそれは突然と感じるけれども、本当は身体からのサインはどこかで出ていて、本当は感じていたはずなのだ。

それは多分、ある一方向にしか考えが動かなくなる、というようなことによって起こることが多いのだと思う。酒のことしか考えられなくなったり、仕事のことしか考えられなくなったり、ある悩みのことしか考えられなくなったり。スポーツで身体を痛めやすいのは、練習を重ねるということが同じ動きの繰り返しだからだ。腱鞘炎も、キーボードを打ち過ぎなければ起こらない。

精神病というのも、ある方向にしか心が動かなくなるということによって起こるのではないか、と思った。普通の人なら「こういうふうに考えればいいんじゃないか」という意見を聞いてそういうこともあるかなと思い直したりできるところを、そんなふうに考えること自体が想像がつかなくなる。自分の考えの筋道しか見えない。その先がやばいと思っても走るしかない。

治療は結局、その方向を弱める、ということでしかないのかもしれない。もちろん専門ではないからいい加減なことは言えないが、野口整体でいう「いい身体」というのが、背骨の可動性のある身体のことをさすのと同様、「いい心」というのは丈夫でありながらヴィヴィッドにいろいろなものに反応し、よく動くことのできる心なのだと思う。心の運動不足を解消するくらいで可動性が取り戻せるならまだ「未病」の心なのだけど、病と言われるのは心がどう動いていいかすら分からなくなった、そういう状態なのではないかと思う。それ以上のことは私には分からないけれども。

***

加賀谷が松本のトークイベントで「素人として舞台に立つ」という形で復帰の第一歩を踏む、その場面は読んでいて本当に涙が出た。「か・が・や・でーす」というあのパフォーマンスは、さすがに私でも見たことがある。それが目に浮かぶとともに、「お帰りなさい!」と叫ぶファンの様子を想像するだけで本当に泣けて来る。ああ、これは本当に感動ものの闘病記なのだ、と思う。

めでたく復帰に成功し、このような本を出すとともに、特に障害者への偏見をなくす番組などにも出演している様子をツイッターなどで読ませてもらっていると、本当に10年のブランクを越えて復帰した加賀谷の執念と、それを待ち続けた松本の懐の深さ、そして彼らの復帰に惜しみない声援を送る観客というものの、そのそれぞれに感動する。

人には天職というものがあるとすれば、確かにこれは彼らの天職なのだろう。

パフォーマーというもの、表現者というものは、自分自身の生きざままで含めて芸なのだ、と思う。

***

失踪日記2 アル中病棟
吾妻ひでお
イースト・プレス

そして、『統合失調症がやってきた』だけでなく『人間仮免中』も『アル中病棟』も3冊ともイーストプレスの書籍なのだ。しかも全部1365円(税込)。このジャンルの本に力を入れているのだろうか。読んだ感想から言えば、どれも半端なく面白い。同じ編集者が担当しているのではないと思うが、何か編集方針というものがあるのだろう。

『人間仮免中』は去年の『このマンガがすごい!』でかなり上位に入っていたし、『アル中病棟』は8万部、『統合失調症がやってきた』も3万部出ているという。

ツイッターでさまざまな『統合失調症がやってきた』の書評を読んでいると、みな何とかこの本の魅力を伝えようと、一生懸命に書いているのが感じられるいい文章ばかりだ。思い入れを持って書いているのがよくわかる。思い入れを持ってしまうような本なのだ、ということが私の文章でも少しは伝わるといいなと思う。

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