川上量生『ルールを変える思考法』:コンテンツとは何か、という問いに対する目の覚めるような答え
Posted at 13/10/24 PermaLink» Tweet
【川上量生『ルールを変える思考法』:コンテンツとは何か、という問いに対する目の覚めるような答え】
ルールを変える思考法 (角川EPUB選書) | |
川上量生 | |
KADOKAWA |
川上量生『ルールを変える思考法』を読んでいる。昨日も書いたけれども、この人の発想は本当に面白いと思う。
今日読んでいて特に面白いと思ったのが、「コンテンツとは何か」ということに対する川上さんの答え。コンテンツには小説もあれば音楽もあり、動画もあればウェブサービスやゲームもある。その本質は何か、とずっと考え続けたのだそうだ。そして、その結論は、「コンテンツとは、わかりそうで分からないものである」というものだったそうだ。
それが何であるか、完全に分かっているものはつまらない。それが何なのか、全然わからないものは興味を持てない。しかし、わかりそうに見えるけど分からないもの、それは人が本来持っている「わかりそうで分からないものに興味を持つ」という生存本能、つまり安全だと分かっているものは食べる、危険だと分かっているものは食べない、しかし食べられそうだけど食べられるかどうかわからないものに興味を持って調べようとする、そういう本能に基づいて分かりそうで分からないものが放っておけないという状態にするものがコンテンツではないか、という結論なのだ。
これは最初に読んでいた時にはあまりピンとこなかったのだけど、読んでいるうちになるほどなあと思えてきた。興味を持つ、ということの本質は、やはり最終的には自分が生き残ることに必要なのではないかとか、自分がこれから成長するために必要なのではないかとか、もっと高邁な次元でいえば種族としての人間が生き残り、あるいはその社会の矛盾を解決し、あるいは発展していくために必要なのではないかと感じるところにあるだろう。生きるのに何の関係もないことに人はそんなに興味を持たないわけで、「わかりそうで分からない」ということは人間存在にとって解決すべき状態であり、それを人為的に提供するのがコンテンツだ、ということになるのだろう。
そう考えてみると、人はなぜコンテンツにあんなに夢中になり、必死になり、時には朝早くから行列を作り、録画ミスを嘆き、チケットの不正入手に烈火のごとく怒るのか、がわかる。コンテンツの存在が、人間存在に直結しているからなのだ。
もちろんある意味、コンテンツが人間存在に不可欠だというのは虚構であって、そのコンテンツにどうしても関わらなくてはならない、という幻想から覚めると急に関心を失ったりする。年齢や世代によって関心がもたれるコンテンツが違うのも、年齢や世代によって「そのコンテンツの先に幻視される問題解決」の必要度が違うからだろう。
そう考えるとコンテンツというのはある意味生きるためのシュミレーションのようなものでもあり、それに触れることで必要な感覚が活性化され、自分自身の行動が引き出されることもあるし、「学習することが楽しい」ということの本質的な意味ともつながって来る。
そして「わかりそうで分からないものがコンテンツ」ということから考えると、世の中に「本当に」分かっていることなど「本当はない」わけで、何もかもがコンテンツになり得る。
私の例でいえば、最近、草刈りをしたり栗を拾ったり柿をもいだりして言わば「自然」とか「生命」に触れる機会が多いわけだが、そういう「自然」も机の前に座ってキーボードを叩くことの多い生活を送っている私にとっては、その仕事をするたびに新しい発見がある。新しい発見があるということは、「わかっているつもりだったけど分かってなかった」ことなわけで、「ああ、ヤベえ」ということなわけだ。だから、私にとっては自然もまた立派なコンテンツだということになる。
また、「他の人間」も立派なコンテンツだ。この人はこういう人だ、と分かっているつもりでも、本当は分かってないことは多い。何かを行ったとき、思ったのと違う反応が返ってきたら「はて、この人は何を考えているんだろう」と思う。その時、その人は答えのわからないミステリーになっている。
そして、一番わからないのが、実は「自分」だったりするわけだ。私もこのブログで散々自分のことについて考えてきたが、いまだにわからないことがたくさんある。自分何か自分が一番よくわかっているつもりなんだけど、でも自分でも何も分かってなかったりする。自分のことについて、ああでもない、こうでもないと考えていたらは手がないし、しかしいつまでも考えているわけにもいかずとにかく行動を起こさなければならないわけだから、その行動を起こすことによってまた新たな謎が生じたりするわけだ。
分かりやすくて使いやすいサービスや機器が案外顧客を増やさず、分かりにくい難解だけど魅力的なサービスや機器が顧客を増やすのも、同じことだろう。わかりきったものは、すぐ「オワコン」になってしまう。自然や身近な人間や自分自身は、生きている限り決して理解しきれないから、オワコンになることはない。なるのは文字通り死ぬ時だろう。生きる必要がなければ生きるための本能もまた用なしになるわけだから。
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