何を書くべきか/神秘主義と非合理性への信頼
Posted at 13/10/10 PermaLink» Tweet
【何を書くべきか】
何を書くべきなのかは相変わらずよくわからないのだが、書くべきだということはわかる。という調子なので書くべきことからずれている可能性はいつも否定はできないのだけど、とりあえず書き続けることによって書き続けることが出来る、という感じで書いている。
毎日感動するものに出会うし(マンガばかりだが)、何をどう書けというヒントのようなものはあちこちで出会う。何を書くかというのは結局どういうコンテンツを作るか、ということなのだ。
農家は野菜を作り、批評家は研究したことを書き、マンガ家はマンガを描き、小説家は小説を書く。プロとして書いている人もいるし、ネット上に鋭い内容を発表する市井の研究家もいる。その方が好きなことを研究し、好きなことを書ける。研究の仕方さえ最初に身につけていれば、どんな分野でも乗りだして行けるということが、そういう人の文章を見ているとよくわかる。
IT産業が現場だったり、新聞記者のように取材が現場だったり。現場について語るのはそこで行っていることがコンテンツそのものだから、本というのはそれについてのあれこれをまとめたものということになる。
ものを書く人間にとっての現場は、「生きていることそのもの」であることも多い。小説家なり、創作者の現場は物語を作る作業の中にあるけれども、物語の骨格になることは生きていることの中から生まれて来る。
それまで自分の中にため込んできたいろいろな方法を舞台や文章やあるいは人に教授する形で発表していくという形でコンテンツにすることもある。
私は何を書くのだろう。私がいいと思うものについて研究し、紹介したり発表したりすること。研究と言っても数分間の短いものから数年間、ないしは数十年かかる長いものまであるわけだけど。現状を分析して世界の動いている方向を探るとともに、さまざまな可能性を見出して行くべき方向を示す、こと。自分の中から生まれて来る物語を書くこと。
人と向かい合い、その人の中に眠る生かすべき何かを見つけ、必要なものを見い出し、それを育てていくこと。
結局コンテンツというもの、経済的に言えば商品というものは、相手に気に入られなければ成立しない。だから相手の気にいるところと自分の作りたいものの一致点を見出す、という作業は常に必要になる。ただ、それだけではその場その場に必要なものを作るにとどまってしまうから、多くの人にとって圧倒的に素晴らしいものを作ることが必要なのだ。圧倒的に素晴らしいものが出来れば、相手を説得することもしやすくなる。
だから普通は、回りのことを気にせずに自分の作りたいもの、自分がいいと思うものを作れ、というわけだ。ただそれが、相手の求めているものよりも素晴らしいものでなければ、そういう作業も有効にはならない。自己満足は出来るけれども。
とり・みきとヤマザキマリが対談で、「マンガ家は常に相手を笑わせることを考えている」と言っていて、なるほどと思った。自分が救急車で運ばれて生死の境をさまよってるような時でも、いかにしてそばにいる人を笑わせようかと考えていたのだそうだ。怪我よりも相手が笑ってくれないことの方を気にしていたとか。まあそれも笑わせようという話かもしれないけど。
私は読む人をどうさせたいのだろうか。感動させたいのか。何かを得てほしいのか。生きる力にしてもらいたいのか。私自身が、人の書いたものから何を得ているか、何を得てきたか、ということを考えてみることになる。
私は相手に面白いと思ってもらいたい、ということが一番大きいのだな、と思った。凄く面白い、もっと読みたい、と思ってもらいたい。まずそれが第一。それから先は、ためになる、とか感動する、とかいうことになる。その先の感動が、どういう種類のものになるか。
ここで少し考えてみる。相手に面白いと思ってもらう、というのはどう言うことか。ここで難しいのは、何を面白いと思うかは、相手によってかなり違うということだ。私は、じかに話している方が面白いということはよく言われるのだけど、それは相手に合わせて自分が話題を選び、相手の反応を見ながら話題を継ぎ足して行って、この人にはこういう方向の話が出来ると思ったらそういう話題の話をするからだ。まあ相手によってはその人が面白いと思い、かつこちらが話すことが出来る話題を見つけ出せなくて、まあしょうがないなということになることもあるのだけど、まあ自分の持ち味としてはアドリブ的なところがけっこうある。芝居をやっているときもけっこうアドリブは入れたし、芝居の質を途中で変えて見て全体がどういうふうに雰囲気が変わるかとか試したりもしていた。芝居は生もので、何が起こるか分からないところが面白い、という面がある。そこのところは多分、ものを書くこととは結構違う。私がツイッターが好きなのは、相手の反応を見ながらこちらがリプライを返して行けるところにあるんだろうなと思う。
ただまあ、そういう面白さは、コンテンツそのものの面白さというよりは、タイミングだとか間だとか強弱とかそういう呼吸の面白さに依存している部分が大きいので、文章では再現不可能だったりする。書くということはコンテンツそのものの面白さが必要なので、それを高めていく工夫が今は必要なんだなと思う。
ためになる、という部分は価値観の問題だから、そのあたりのところは多分、最近書いていることに重なって来る。伝統主義・近代主義・オルタナティブのそれぞれに偏らない、これがいいんじゃないかというもの。まあ言うは易しではあるが。
感動というものはどうあるべきか。実際、おとといは吾妻ひでお『失踪日記2 アル中病棟』にすごく感動してしまったし、昨日は諌山創『進撃の巨人』50話にすごく感動してしまった。昨日はちょっと自分の感情の動きの始末に困ったりしたくらいだった。今日は朝『モーニング』と『ビックコミック』を買ってきて読んでいたのだが、『モーニング』の「ミリオンジョー」で、「キャラクターが読者をまっすぐ見て話す場面の重要さ」について書いてあったところに一番感動した。実際、自分の文章を良く考えてみると、読者の目を見て話しているだろうか、と思う。芝居をやっているときもそうだったが、それは一番大事なことだった。ものを書くというのは目の前に読者がいるわけではないから、逆に相当しっかりと読者の目線というものを意識していないと、伝わらない文章になってしまう。そこはすごく目からうろこが落ちた感じがした。
感動、というものもいろいろあって、たとえばロマンチシズム。それも少年的なロマンチシズムもあれば、大人になってからのノスタルジックなロマンチシズムもある。失われたものへの郷愁もあれば、これから出会うものへの夢や憧れのようなものもある。恋愛というものは特に、三十億の男と三十億の女が出会う可能性があるわけだから、(男同士とか女どうしの組み合わせまれ考えればさらに増えるわけだが)無限の可能性があってやはりロマンチシズムも∞になる。
【神秘主義と非合理性への信頼】
そのロマンチシズム、感動の中には、ある種の神秘主義になるものもある。人というものはどう言うものか、人が生きるということはどう言うことなのか、ということを考え始めると、「われわれはどこから来てどこへ行くのか」というゴーギャンが悩んだ悩みをわれわれも考えることになる。もちろん、現世で生きることに限定して考えることもできるが、もっと超自然的な、神であるとかもっと違ったものを想定して考えることもできる。人間の出来ることの範囲も常識的な範囲内に限定して考えることもできるし、科学や学問の力をフルに使ってその領域のいっぱいいっぱいのところで考えることもできるし、さらにそれを超えた何らかの神秘な世界にまで踏み込んで考える場合もある。
60年代から始まるカウンターカルチャーの流れの中にはそうしたものがずっとある。もちろん、神秘主義というものは人類発生以来ずっと綿々とあったわけだけれども、近代の勃興と科学の全盛によって凋落して行きながら、それでもイギリスに心霊協会があったり、さまざまな宗教に密教的な儀式があって、またオカルトとかスピリチュアルという文化もカウンターカルチャーの中には生き続けてきた。
カルロス・カスタネダの例とか、チベット神秘主義であるとか、メインカルチャーというか社会学的な学問の中にそういうものが影響してきたのが80年代の特徴の一つだと思うけれども、それらも消長をくりかえしながら文化のある面から光を放ってきた。
私はもともとそういうものに魅かれるところがある。小学校から中学校にかけて、あれだけ『ナルニア』にはまったのも、そこに描かれている超自然的な現象に心を奪われていたからだし、高校生から大学にかけて諸星大二郎を追い求めていたのも、そこに描かれた怪異の力に強く魅かれていたからだ。自分の中には合理的でないものを追い求める心性が強くある。それだけ心の中で合理的なものを強く肯定しているからだとは思うのだけど。
『魔法少女まどか☆マギカ』にしても、『進撃の巨人』にしても、そのダークなファンタジー世界の中にある超自然的なものの描写に強く魅かれるし、自分が芸術というものを好きなのも、芸術家を操るある種の超自然的なデーモンというものに強く魅かれるからなのだと思う。
非合理に見えるものの中にはその中に合理的な一貫性とかルールがあるものもあるし、そうでないものもある。自分が身体観として野口整体に惹かれるのは、科学が勝手に決めた身体観みたいなもの以外に、内的に一貫した論理を持っている身体思想・技能体系であることがある。ヨガや気功なども惹かれるところはあるが、一番実感としてわかりやすい、つかみやすいのが自分にとっては野口整体だということだ。
自分が宮崎アニメに惹かれるのも結局はそこなんだなと思う。
芝居をやっていた時も、なぜこの芝居をやっているのかということをそんなに深くは考えてなかったのだけど、結局はそこにある種の神秘主義があったからなんだなとさっき考えていて初めて思った。作品主義とかコンテンツ主義とかさまざまな考え方のはざまで葛藤が繰り返されていたけれども、私が魅かれたのは結局そこだったんだなと思う。
その非合理性というのは、結局は人間性とか神とかそういうものへの信頼、みたいなものだろうか。近代科学とか近代思想というものはそういうものへの不信をスタートにしているところがあるのだけど、(その中では民主主義というものは不思議に人間への信頼に満ちた考え方だ)たぶんそこをそういう神秘主義が補ってきたという面があるのだろうと思う。だから、そういうものへの不信に疲れた人たちを陥れようとする詐欺師たちもまた同じような言説を使うことが多かったために、そうしたものの価値が損なわれてきたという一面もまたあるのだと思う。
だから多分、私の書くものの中にはどうしても、そういう非合理性への信頼のようなものが現れて来ることになるだろうと思う。そこは常に誤解される危険が伴うのだけど、私が求める感動の質というものはどうしてもそういうものになるので、そこは避けがたいのだろうなと思う。
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