苛立ちと創造:表現者タイプと賢人タイプ/「これじゃない!こうなんだ!」:「苛立ち」に対する自己否定感を克服すること/行動メモ
Posted at 13/10/07 PermaLink» Tweet
【苛立ちと創造:表現者タイプと賢人タイプ】
このところものを書くのが遅い時間になってしまっている。というのは、書こうとする内容がまとまるのに時間がかかりその日一日考えたことがようやく深夜になって文章になる、というパターンを繰り返しているからなのだが、そうなると日常でやらなければならないさまざまなことが全然こなせないまま時間がたって行ってしまうので、何とか早めに書きたい、できれば午前中に書きたいと思っているのだが、ツイッター上で様々な表現などはするものの、文章になるような形で自分の考えが進められないままどんどん時間が過ぎてしまう。
出来てくる文章は自分なりに熟成したものになっているのでそれはそれでいいかとも思うのだが、しかしそれだけで生きているわけでもないので他のことをする時間もほしい。とはいえ、そんな贅沢が言えるのもここに三日、自分の書きたいと思ったこと、考えを進めたいと思っていたことが書けているという実感があるからで、先ずそのこと自体に感謝したいと思う。
きのう書いた二つの課題のうち、作品の力というものと、苛立ちが創造につながる、という話について少し考えてみようと思う。
世の中には、ものを書いたりものを創造したり人に道を示したりカリスマになったりする人たちがいるけれども、そういう人たちの中には二つのタイプがあると思う。
一つは常に自分の中にいらだちを抱えていて、それを表現せずにはいられない人。それがうまく創造に結び付けられると、すごく大きな力を持った作品として結実する。それはその人の外見とかとは関係なく(関係ありそうに見える人もいるが)本質的に「これじゃないんだよ!」と常に叫んでいるような部分を内に抱えている人だ。たとえば、アーティストで言うと村上隆さんや奈良美智さんなどはそうだと思う。村上さんはツイッターで自分をdisるツイートを次々とRTしていて、読んでいる方が辛くなる部分があったりするし、奈良さんは普段は穏やかだが、自分の作品に対してとんでもないことを言われたと感じると激昂して大量のツイートを投下するときが時々ある。先日も奈良さんのファンはクリスチャン・ラッセンのファンと重なるというコメントに対して激昂し、もしそうだったらもう描くのをやめる、とまで宣言していたりする。
ゴッホなんかはまさにそうだし、ピカソなんかもそうだと思うし、マンガ家で言えば『進撃の巨人』の諌山創さんだとか、『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりさんなんかがそうだと思うし、随筆家で言っても白洲正子なんかは(故人はとりあえず敬称略)そうだろうと思う。言いたいこと書きたいことと言えば聞こえはいいが、要するに苛立ちだ。町山智弘さんがネットラジオで「本人の怒りが表現されている作品はいい作品だ」と言っていて、「ロッキー」だとか『シティ・オブ・ゴッド』などの作品を上げている。(ああ、これ見ようと思ってたんだけど時間あるかな…)まさにそういう方向性で、とにかく自分の抱えている苛立ちというエネルギーを文章や作品にぶつけるタイプだ。宮崎駿監督などもそういうタイプだと思う。
もう一つはそうではなく、何というか賢人タイプ、ないし天才タイプとでもいうべきタイプで、世の中への違和感は表現者タイプと同じように持っているのだけど、早々に自分の城を築いてその中に安住し、そこからいろいろ世の中にポツリポツリとものを言っているうちに注目され、世の中に引っ張り出されてどんどん大きな存在になり、ものを作り出したりカリスマになったりしていく。
まあ書いてみて思ったがそれらとは別に若い頃から普通に成功し、普通に世の中に順応していくタイプもいるけれども、なんというのかそういういわば恵まれた人たちは、世の中の変化の動きが自分の動きなのか、自分の動きが世の中を変化させているのか、定かではないという感じの、つまりは普通にメジャーな人たちなのだが、そういう人たちの中身は図りきれないのだが、つまりは自分の創造力を経営資源として使いこなせているということなんだろう。その源泉が苛立ちであったり何かの天賦の才であったりは様々だろうけど、とりあえずは産業ベースに乗せることができる。こういう人たちはそういうメジャーな形での巨大な影響力を持ちえるので、逆に言えば世の中を根本的に変えるようなメッセージを送ることは場合によっては破壊的なダメージを与え得る。メジャーにはメジャーの、オルタナティブにはオルタナティブの持つべき役割があるのだが、とりあえずこの向きは置いておこう。
賢人タイプというのは、一番わかりやすい例で言えば諸葛孔明だ。世の中はこのままではいかんと常に苛立ちを抱えている人々の中で、悠々自適で草庵に籠っているが、劉備玄徳に三顧の礼で迎えられ、世の中を変える働きをし(彼の場合で言えば天下三分の計による曹操の中国統一阻止)、最後まで劉備の王朝のために仕え、誠意を尽くす。まあこのタイプの方が世の中に好まれるらしく、そういうタイプとして語られる人は多い。野心は秘めていても、自分からは動かず担ぎ出されるのを待つ、という演出をする人もいる。
このタイプが好まれるのは、やはりこのタイプに「天才」とか「才能」とか「器の大きさ」のようなものを感じさせるところがあるからだろう。中山茂が『パラダイムと科学革命の歴史』の中で記述的学問と論争的学問という例を挙げていたが、ヨーロッパが論争的学問の歴史であるのに対して東アジアでは「桃李いわざれども下自ずから径をなす」的な、徳を慕って人が集まるという構図を好むところがある。才能・能力・人徳を起源・根拠とする家父長制というか、そういうものが社会構成原理になっているからなのだろう。
「思いもかけぬ才能が野に埋もれていた」というのはなぜだか人を喜ばせる構図であって、つまりは若い時から目立ったエリートだけが選ばれた人間なんじゃないよと言う民衆のルサンチマンというか判官びいきのような心情を満たすところがあるからなんだろう。
まあそれはともかく、そういう形での賢人タイプが彗星のように現れるとカリスマ的な人気を持つことがある。私に関わりのあった例で言えば山岸会の山岸巳代蔵や野口整体の野口晴哉などもまた少なくともそういう伝説を持っている。
そういう人たちは人知れず自分の道を究めてある時急に世に現れる。現れたときには体系は完成されていて、その時の社会に対するアンチテーゼ、オルタナティブとしてその時の社会に満たされないものを感じていた人たちが一斉にそちらの方を向く、ということがある。価値観が多様化した現代では昔ほどの衝撃力は持たないだろうけど、それでも賢人タイプの持つ力というのは凄い。
そういう人たちも、もともとは世の中に対する「これじゃない!」という苛立ちや怒りがその究明の原動力だったということもあるだろうとは思うが、そういう人たちにはむしろそういう怒りや苛立ちに対し否定的な見解を示す人が多い気がする。まあそこが、「賢人」という感じがするところなのだが。
【「これじゃない!こうなんだ!」:「苛立ち」に対する自己否定感を克服すること】
私はどちらかというと子どものころからそういう言説に囲まれて育ってきたので、自分の中にある苛立ちとか怒りみたいなものに否定的な感情、ある種の罪悪感というか、自分の至らなさというか、自己否定感情というか、そういうものを持って育ってきた。だからまあ、穏やかな外観を持つことは今でも苦手ではないし、人に対してフレンドリーに振舞うすべみたいなものが多分自分のネイチャーに比べればできるようにはなっていて、まあそういう意味でプラスになっていると言えなくもない。
しかし自分の中に鬱屈したものはどうしても解決がつかず、腹の底から馬鹿な人たち(まあ自分が苛立つ相手ということだが)と同調して給料をもらえばいいというふうには割り切れてこなかった。集団的狂気の中にあって、その狂気に平気で合わせていられるほど神経が強靭ではないということかもしれないが。
まあ結局は、自分にとって大事だったのは、どうやってそういう苛立ちとか怒りとかを自分が肯定し、そのエネルギーを作品や文章や活動にしていくかということだったわけだ。
そこにたどり着くまでにはものすごく長い期間の試行錯誤が必要で、教員を10年やって心身症ぽくなって辞めた後、詩を書いたりブルーリボン運動に賛同する言説を一生懸命書いたりした時期もあったけど、なんだか本当に自分の苛立ちを形にすることはできなかった。少しずつでもそれを形にしていけたのは、小説を書き出したことと、『ずっとやりたかったことを、やりなさい』を読んでモーニングページを書き始めたことが大きかったんだろうなあと思う。
しかしそれを書き始めてからもすでにもうすぐ6年になるから、いまになってようやくこういうことが書けるというのは本当に時間がかかったなと思う。
今思うと、いくつかの小説には自分の苛立ちがちゃんと書かれていて、もしそれが評価されていたらそういう方向で何か創造の道があったのかもしれないのだけど、残念ながら今のところまだ広く評価されるには至っていない。
何年間かずっと小説をメインに表現を試みてきたのだけど、どうもそれだけではだめかもしれないと思ったのが今年の春以降になってから。やはり自分自身が何を求めているのか、何に違和感を感じ、何を変えたいと思っているのか、そういことを自分ではっきりさせながらではないと前に進めないのではないかという感じがしてきた。
前に書いたように自分で考えていたこともあって、私は自分を賢人タイプとして演出したいという気持ちがあった。しかしそうじゃないなと思う。本当に才能を持っている人というのは半端ではなくて、何のエネルギーも書けなくてもあっちの世界からどんどん引っ張ってこれる人というのはいるわけで、私なんかがそういう人たちと同じ次元でやったって勝負にならないことは明白なのだと、最近ようやく気がついた。
自分の財産は、この苛立ちそのものなんだと思う。そのエネルギーをどのように爆発させていくかは試行錯誤中だが、このエネルギーこそが原動力そのものであることは肯定しなければならないし、「これじゃない!こうなんだ!」とどんな形であれ叫んでいくしかないのだと思う。
【行動メモ】
一昨日は9時半ごろ東京に着き、新丸ビル地下の成城石井で少し買い物。母に頼まれていたドーセットのシリアルを見つける。
感情を整える ここ一番で負けない心の磨き方 | |
桜井章一 | |
PHP研究所 |
昨日は午後日本橋に出かけて、丸善で本をいくつか物色。結局買ったのは桜井章一『感情を整える』(PHP研究所、2013)。それから東京駅に歩いて、グランルーフを見に行く。1階の竹若でお弁当を買い、二階のイートインでライスコロッケを注文して一緒に食べる。夕暮れの八重洲口を眺めながらおいしいものを食べるのはいいと思った。帰りにまた日本橋に戻りコレドの地下のメゾンカイザーの日本橋店オリジナルのパンを買う。これは美味しかった。
へうげもの(17) (モーニングKC) | |
山田芳裕 | |
講談社 |
今日は昼前に仙台堀川公園から砂町銀座を通ってアリオ北砂まで散歩。昼食の買い物をし、福家書店で山田芳裕『へうげもの』17巻を買い、児童書で何か面白いもの、と言うので探していたらマーガレット・マーヒーというニュージーランドの作家の作品が面白そうだったので2冊買った。この人は、1982年と85年の2回、イギリスの児童文学の賞であるカーネギー賞を受賞していて、買った二冊はその受賞作品だ。カーネギー賞は私の好きなCSルイスもナルニア国シリーズの最終巻『さいごの戦い』で1956年に受賞しているし、今年読んで大変感銘を受けたティム・ボウラー『川の少年』も1997年に受賞している。
足音がやってくる (岩波少年文庫) | |
マーガレット・マーヒー | |
岩波書店 |
マーヒーはどちらかというと中学生くらい向きの作品のようだ。『足音がやってくる』(青木由紀子訳)と『めざめれば魔女』(清水真砂子訳)。どちらも面白そうだ。
めざめれば魔女 (岩波少年文庫) | |
マーガレット・マーヒー | |
岩波書店 |
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