秋の深まり/ツイッターとブログをどう連動させていくか/荒野を宝の山に変える/日本の強みとは何か
Posted at 13/10/03 PermaLink» Tweet
【秋の深まり】
朝母に頼まれて母を乗せて知人のところへ栗ご飯をもらいに行く。作ったので取りにおいでよ、という話が昨日あって、母がもう遅いから明日行く、と言って、そうなった。栗ご飯はお昼にいただいたが、美味しかった。秋の味。うちにも栗の木はあるが、栗ご飯にするほどとれていない。いただきものでも秋は秋。
帰ってきて、畑の草を刈る。柿の木にまとわりついた荒地瓜を薙ぎ払い、上の段の畑に上ると、二枚の畑の大体の形が分かってきた。今年の春に、もっと上の畑の人から陰になる木を切ってくれと頼まれていて、それを切った切り株がこんもりと草の山になっていて、最初はなんだか分からなかった。うちの畑の下に位置する畑はすごく手が入っていて、上に位置する畑も良く作られていて、うちの二段の畑だけ草茫々になっているから、全く申し訳ないのだが、なかなかそこまで手を入れる余裕がない。せめて草くらいは刈るようにできればと思った。
竹藪が道の真ん中に進出してきているところがあって、竹を薙ぎ払ったりしながら道を再発見して行く。今年は柿の実も少しは取ろうかと思っているが、さてその頃にそういう気持ちが続いているかどうか。
【ツイッターとブログをどう連動させていくか】
ツイッターとブログの間の役割分担というか、どう言う内容をブログに書いてどう言う内容をツイッターに書くかというのはもう感覚だけ(というか書きたいときに書きたい方に書いていただけだが)でやっていたのだけど、その辺を少し整理しようかなという気持ちになってきた。そう思ったのはこちらのブログで佐々木俊尚さんがツイッターで続けている朝キュレーションの影響力の大きさについて書いている記事だった。佐々木さんの紹介するサイトは確かに面白いことが多いのだが、全部は見きれないしまたそういう活動の意義みたいなことがあまりよくわかってなかったのだけど、毎朝必ず通勤時間帯に読む価値がありそうなサイトや情報を紹介するというのは確かにかなりの影響力を持ちうるだろうなあと思った。ツイッターの使い方として、一番おもしろいかもしれないと思う。同じ内容をブログで伝えるのはけっこう面倒だが、ツイッターならば140字以内という制限があり、簡にして要を得た表現が求められるし、また情報量が多くても負担にならない。なかなかこれはいい方法だと思った。
私もメールマガジンで詩を書いていた頃は、今考えれば無謀だが毎朝8時に短い詩を配信するということをしていた。そのようにルーティン化されていると、人は安心してその情報を得ようという気になるのだなと思う。新しいことを聞くには、気持ちの準備が必要なのだ。そして毎日同じ時間にそういう心構えを作ることは、人間の標準的なリズムにあっているのだろう。NHKテレビで毎日同じ時間にニュースを流すのもそういうリズムにあっているから定着しているのだろう。
私もブログを書き始めたころは毎朝ほぼ同じ時間に更新するように心がけていたが、最近ではいろいろな事情があってそれも難しくなっている。ツイッターならそれは可能だなと思う。
とりあえず思ったのは、雑誌に掲載されたマンガのワンポイントレビューみたいなことをやってみようということ。私が必ず買っている雑誌は月刊3冊、隔週1冊、週刊2冊あるのだが、その中の面白かった作品のワンポイントレビューみたいな感じなら結構いいかもと思う。それをきっかけにブログを読む人を増やせればいいかとも思う。
まあこれはマンガだけでなく、雑誌を買ったときにその内容をレビューするのには向いた方法だなと思う。書籍の紹介はやはりブログのようなまとまった長さで書きたいし、自分でそれを読んでいろいろ考えることもあるから、まあそういうときはブログに書く。ただ、ちょっと面白いとか、ちょっと他の人にも読んでもらいたいと思うようなときもあるわけで、それをいちいちブログの記事にするほどでもないということは良くあった。それを無理やり書くこともあったけど、それはツイッターを使えばいいなと思った。
ということで手始めに今日はかなり『モーニング』の掲載作品についてつぶやいた。その中でも強烈な印象を残したのが原発事故収束作業の作業員が描いた『いちえふ』という作品について、少し書こうと思う。
1Fとは福島第一原発の略称。マスコミなどでよく「フクイチ」と称されているが、地元の人や実際の作業員でそういう言い方をする人はいないという。それに象徴されるように、マスコミで語られていることと現場の空気というものはかなり違うようだ。この作品は、現場で働く人たちの現実や心情が良く描かれていると思う。ただ、だからこそ見落とされてしまうようなこともおそらくはある。でも、なかなか出て来ない作業員の人たちの生に近い声というものが描かれることはすごく大事なことだと思うし、そういうものを知りたい人も多いのではないかと思う。
もうひとつ強く印象に残ったのが、『インベスターZ』に描かれていた、「投資とは宝の山に群がることではない。荒野を宝の山に変えることだ。」という言葉。これは私の投資に対する考え方を根本的に変えたかもしれない。それについては次の項で。
もう一つ特筆しておきたいのが、次週予告に『ピアノの森』があったこと。号にして15号分、期間にして3ヵ月半ぶりに『ピアノの森』が読める。来週が楽しみ。
とまあこんな感じでツイッターとブログを組み合わせて発信をルーティン化していければいいかなと思った。創造の井戸を汲みあげることも大事だが、それをどのように表現し発信していくかということも大事だと思った。これからも発信にウェブを使っていくならば。
【荒野を宝の山に変える】
特に落ち込んでいるわけでもないのだが、考えることがネガティブというかそんなに取り立てて明るいとか前向きではないということがあるんだなと思うけど、今朝ふと、人生において驚くような新しい発見はもうほとんどないだろうな、と思った。
気分転換に書店に行って、いろいろ本を見ながら、そう言えばこれは昔読みたかった内容だなとか、あのとき読めたらよかったなとか、昔はこの人の言うことにすごく関心があったなとか、そういうことばかりが目につく感じがした。そっちの方に関心があったけど、そっちの方に進むのは「諦めた」こと。一時はすごく熱中したのに、だんだん興味が失われたり、その人自身の方向性が変わったり、自分の方向性が変わったりして離れて行った、つまり「見限った」こと。本をいろいろ見ているうちに、ほとんどのものが諦めたことか見限ったこと、昔から今に至るまで興味を持てないことのどれかに属している感じがしてきた。
まあそういうときは実際に今面白いと感じているもの、具体的には『進撃の巨人』とかを見れば面白いものがあるということはわかるのだけど、世の中というものはそういう感じで、まあ自分の感性が不活発になってきているということも含めて、刈り取られたか見放されたかして荒れ果てた荒野のようなもののような感じがした。
まあたぶんそれはこの世は地獄だとか、そういうことと同じような感受性によるものだと思うのだけど、私はあまりそういう感じになったことがない。つまりこの世界のどこかには絶対限りなく広がる沃野があるのだと思っていた。まあブルーオーシャン的な感じだけど、そういうものを見つけたい、というのが自分のひとつの夢みたいなところはあった。
しかし考えてみれば、この世は荒野だと思うこともまた必要なのかもしれない。いつまでもブルーオーシャンを求めるというのは、逆に言えば面白くもない現実みたいなものには力点を置かない、ある意味現実から逃避しているということでもある。
荒地だからと言ってつまらないとは限らない。『インベスターZ』にあったように、荒地を宝の山に変えることが大事なのだ、と思った。私がこの言葉でなるほどと思ったのは、なるほど投資というのは創造的な行為なのだということだ。そして『創造的行為』というのはつまり、「荒野を宝の山に変える」ことなのだということだ。
自分が描いている作品、自分が描いている小説、自分が描いている文章は、荒地を宝の山に変えているだろうか、と考えてみればいいのだと。
そうであるならば、創造的行為というのはまだ見ぬ地平を夢見ていることではないことはすぐわかる。
自分がやるべきことは、今まで見てきた荒野をいかに宝の山に変えていくかということなのだ、と思った。
【日本の強みとは何か】
本屋で立ち読みしながら思ったこと。これはfinalventさんの『考える生き方』を読んで以来ずっと考えていることなのだが、日本の学問が合理的でない、という指摘を自分の中でどうとらえるかということを考えている。これは、実際問題として私自身がそうとしか言えないと感じているのは確かなのだ。
しかしだからと言って、私は「だから学問は英語でやるべきだ」とか「だからアメリカ標準を採用すべきだ」というふうには思えない。なぜかというとそれは私は日本人だから、というか日本人であるということを学問をするということよりも大事だと思っている、つまり学問をしないことはあり得ても日本人でなくなるということは考えられないと思っているので、やはり父祖たちが築いてきたものを何とか肯定する形でとらえたいと思っているからだ。
しかしこの思いは学問をするうえではけっこう足を掬うものになってしまう。正直、自分が学問を離れたのは、そのジレンマがどうしても克服できないというところがあった。
それではなぜ日本の学問は不合理なのか。それは、学問というもの、特に近代的な学問というものは日本に自生したものではない、ということが大きい。
かなり多くの部分、日本の学問は輸入学問であり、学者というものはかなり多くの部分、知的輸入業者だった。自ら体系を築いていくことよりも、新しいものを取り入れて紹介する方に力点をおく学者が多かったし、また独自の体系を構築して行っても、結局はグローバルスタンダードに取り残され、ただ朽ち果ててゴーストタウン化したりしたからだ。
それはヨーロッパに対してだけでなく中国に対してもそうで、特に書道においては、比較的閉鎖的な時代には日本国内で内的な発展があっても、中国との交流が活発になると中国の新しい所の様式が取り入れられ、一気にそれが流行してそれまでの様式があっという間に廃れてしまうということがよくあった、と石川九揚氏が指摘している。
今日立ち読みしていた中山茂『パラダイムと科学革命の歴史』を読んでいても、まあこの本自体がパラダイム論だから当然と言えば当然なのだが、東洋の学問を記述的学問とし、西洋の学問を論争的学問とする立論を中心にしている。これは「西欧近代科学」を相対化する試みとして有効であると私も思ってきたけれども、果たしてパラダイム論だけでそれが相対化できるかということを自分も確かに感じていて、finalventさんの本を読んでそれをかなり強く感じたということがあった。
これは丸山真男の「タコツボ型とササラ型」という指摘とも関係があるのだけど、つまり日本には各学問の「根本文献」というものがなくて、結局それを読もうと思ったら英語で読むしかない、という面があるということだ。翻訳はされていてもやはり原書的な文脈というものは訳しきれないところがあるし、文章というものはおのずと広がりをもつものだから、その文章が喚起するイメージまでは訳せない。だから日本には言って来るのはその学問の深いところではなく「毛先」の部分だけ、ということになってしまっているし、その毛先だけをいくら論じてもグローバルスタンダードに比べると非常に不十分なものになってしまう。
これはたとえばDemocracyのような概念でも同じことで、デモクラシーの文脈が換骨奪胎されて西欧的な文脈から見ると妙なことになっている例は多い。
しかしそれでは日本の学問は全く意味がないかというとそんなことはなく、逆に父祖たちが努力して日本の学問を築いてきたために日本の今日があるということもまた確かなのだ。確かに日本の学問は各所で整合性を欠いていて、そのために非常に学習しにくいものになっている例が多いのだけど、そこにこそ父祖たちの努力があったのだとも思う。
しかし現代という時代になれば、英語力さえあればいくらでもグローバルな本場の本格的な整合性のある学問が学習できるわけで、その中で日本の学問というものを力んで称揚することにはやはり少し悲しいものを感じてしまうところがある。というか自分が全うできなかったものについて評価するような資格はない、というのが本当のところなのだけど。
しかし、たとえば今西進化論のように、世界的趨勢から見て評価されるのが難しい日本独自の方向性においても、たとえば西欧近代が今よりもっと力を失ったときに、見なおされる可能性があるのではないかと思うものも多い。日本の学問は各所にそういうものがあるので、一概にすべてグローバル化すればいいとは思わない。
ただまあ、日本の学問をどうして行けばいいかという問題は、とりあえず私の手にはあまるので、なぜそんなことになったのかということについてもう少し考えてみたいと思う。
それは、何が日本の強みかということだ。
先に述べたように、日本はずっと中国の学問を輸入してきて、近代以降は欧米の学問を輸入してきたから、日本において日本の自意識が出来てきた時期においては、何が本当の日本なのか、ということについて自らを削るような探究が行われてきた。
それが最も深められたのは江戸時代の国学においてであったと思うが、それ以前にもとくに平安時代にはさまざまに考えられていたと思う。その典型が「和魂漢才」という考え方だ。
この考え方には、当然のことながら和魂の方が漢才より重要だという考え方が含まれている。これは『源氏物語』の中で夕霧が学問をすべきだという主張の中で展開されている考え方だが、和魂を発揮するために漢才が必要なのだ、という主張になっている。つまり学問というものはある種の道具に過ぎないとみなされているわけで、学問自体の自律性はあまり重視されていない。宗教もそうだが、学問も結局は政治の道具になるものだという感覚が日本人にはどこかにある(何かあるとすぐ御用学者とか叫ぶ人が出るのがその良い例)けれども、それはまあ最初からそういうところがあったのだと思うし、だからこそ織田信長のように宗教の総本山を焼き打ちしたりするような例が出てきたのだろう。彼は宗教を否定しようとして破壊を行ったフランス革命のような思想があったわけではなく、彼の行おうとする政治の邪魔になったから排除しただけなのだ。
それでは、漢才とか外来の学問を除いた日本人本来の精神とはどういうものだったかというと、「きよきあかき心」みたいなことになるわけだけど、平安時代の「やまとだましい」論で言えば、学問みたいなものを道具として使いこなして実際に生かすある種の応用力のようなものだったと考えていいと思う。
「やまとだましい」はよく精神主義だけで実際が伴わないものみたいな非難を受けるけれども、戦時中の「足らぬたらぬは工夫が足らぬ」という標語に現れているように、あるものをうまく使って状況をなんとかする力こそが「やまとだましい」だ、と考えるべきだろう。まああまりにも物資が欠乏しすぎている状況においてはヒステリックな精神主義でしかなくなってしまったが、あるものをうまくつかって状況をうまく乗り越えるということ自体は日本人はわりと得意とするところだろうと思う。
つまり日本人は基本からして応用を重視する民族性を持っているわけで、出来ればいい、やり遂げられればいいのである。逆に言えば、最初から体系というものを視野に入れていない。そういう志向性を持っているから、もともと体系化というものを重視しておらず、得意でもない。しかし逆に、日本人は自分たちにしかできない技を積み上げてとんでもない高みに至ることは得意なのだ。日本の伝統芸能や伝統工芸、刀鍛冶などを見ても全部そうだ。雅楽や能楽や歌舞伎を見ても誰かがはじめるとなく演奏が始まったりする。そういう「呼吸を合わせる」みたいな高度な応用技は日本人なら最初から普通に出来ることだ。外国人は一本締めを合わせられない、という話があるけれども、「よおーっ、ポン!」の「よおーっ」という呼吸を合わせる声出しの意味がよくわからないのだということを聞いたことがある。よくわからないが、忍者とかが受けるのも似たようなところがあるのではないだろうか。
まあ日本人ならそういうことはわりと普通のことだと思うけれども、考えてみたらこれは西欧近代の方向性とは全く逆なのだ。科学や科学技術というものは再現性を重視していて、「誰でも出来る」「いつでもどこでも出来る」ということが重要な体系だから、日本的な行き方とは正反対なのだ。
誰にでも出来る体系をもとにした普及品の生産では近代工業にはかなわない。
日本人は、「極めていくこと」と「でっちあげること」は得意だが、その中間がない。近代的科学技術では体系的な説明が出来るが、日本の職人技とか古武術の技などは体系的には説明が出来ない部分が多い。ただ、説明はできなくてもやろうとすればできる、ということが多いというのが日本的な仕事の特徴だ。
結局日本の強みというのは本当はそういうところにあるのであって、感覚と稽古と境地の中に強みがある、ということなのだろうと思う。
それは体系性に欠けているので方法論としてグローバル化できることではないが、他に真似が出来ないということにおいて競争力は持ち得る。日本の技術がなければ最新兵器が作れない、とよく言われるが、そういう意味でそれは抑止力にさえなるだろう。
これは社会構造についても同じなのだと思う。
こういう社会は結局、体系的な万人が納得のいくような説明はできなくても、その人その人がところを得て幸福になる社会が作れないわけではない。江戸時代の末期に日本に来た人たちが日本の子どもを見て世界中で一番幸福そうなこどもたちだと言ったという話があるが、江戸時代暗黒説の影に隠れてなかなかそういう面は見えてこない。
必要なのは、既存の体系(科学とか)を当てはめて雁字搦めにして行くことではなく、日本にあるさまざまな技や技術や考え方の中に内在するものを体系化していくことにあるはずだ。
ただ、それを語るのに、近代科学の言葉では語れない部分があまりに大きいのではないかと思う。古武術研究家の甲野善紀氏のメルマガなどを読んでいても、ひとつの技術についても、ものすごくたくさんの変数を平気で同時に処理しているようなことが多いから、数式化が不可能だというようなことが書かれていた。
そういう意味では、まだ日本的なものの描写をするためには科学は十分に発達していないと言えるだろう。
日本の不幸は、それを既存の科学の言葉で割り切れなければ非科学的だという強迫観念に犯されているところにあるのだと思う。
日本の長所という牛の角を科学や西欧的思考の力で矯めて日本という牛を殺さないようにしたい、というのが、私が大事だと思うところなのだ。
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