目標とか方法とか/アニメ『進撃の巨人』最終回と「俺たちの戦いはこれからだ!」/『キレイゴト抜きの農業論』ほかを買った

Posted at 13/10/01

【目標とか方法とか】

日曜月曜はいろいろと忙しく、腹を立てたり失敗したり寝不足になったりしながらまあひとつのことをやり遂げた感もあったのだけど、それはそれとして自分がやらなければならないことはあまり進んでないということもあって、午後出かけた。うまく書けないけど、オルタナティブ世界というか、というものの実現みたいなことについてどう考えて行けばいいかというようなことを頭のどこかにおいている。その辺のところ、一度整理しようと思いながらなかなか整理できる機会がないのだが、ただ毎日いろいろ経験する中で考えが深まっていくということもあり、思いがけないことが起こると日常では経験できない人間的に深さに降りて行って自分自身も自分が接している人もその真価が試されていく、ということがあって、そういうことは勉強になる。

まあこんな書き方も、本当に適切なのかどうかは分からない。本当はもっと時間をかけてゆっくり遂行していくべきことなのだとは思うが、そういう時間的余裕がないし今考えたことを書きたいということもあるので荒削りのまま、言葉も深さも甘いところを多分に残したままの文章をアップしている。あとでまた考えなおして修正・訂正していくことも多いかもしれない。

さきほどこちらの記事を読んで、なるほど毎朝面白いと感じた記事を10ほどあげる佐々木俊尚さんの「朝キュレーション」という考え方は以前思っていたより面白いなと思った。自分の意見でもないものを紹介して何の意味があるんだろうと思っていたけど、世の中には実際面白いものがたくさんあって、それらを自分が読んで感じたり知ったりすることで自分が考え、表現していくことの素材になるわけだから、自分の考えが核融合して発生するその前の段階を公開し共有していくことでまた違う人の考えの発生や表現の発現を誘発する可能性もあるわけで、自分がなぜそれを面白いと思ったかということで自分の方向性を検証していくこともでき、悪くない考え方だなと思った。

目標をはっきりさせることと、方法を見つけること。


【アニメ『進撃の巨人』最終回と「俺たちの戦いはこれからだ!」】

とりあえず、時間がないので昨日のこと。毎日「とりあえず」ばかりでまずいなと思うのだが。

ARIA (アリア) 2013年 11月号 [雑誌]
講談社

昨日は用事があって朝羽田空港に行き、その帰りにモノレール経由で東京駅に出て、丸善で『ARIA』11月号を買い、丸善カフェで無理かなと思って注文してみたら厨房に余裕があるからと無理を聞いてもらって作ってくれたフォカッチャサンドを食べて帰った。本当に人の好意というものはありがたいと、こういう時は思う。『ARIA』は街の書店を探してもまったく売り切れているところがほとんどで、Amazonでも売り切れていて中古品で2197円なんて言うとんでもない値段(10月1日9時現在)がつけられているのだが、丸の内丸善には20冊以上あったし、午後に出かけた神保町の書泉ブックマートでも同じくらいあった。この号は『進撃の巨人』の(特に女性に)人気のあるキャラクター、リヴァイ兵長が主人公のスピンオフ作品が掲載されるということで話題を呼んだのだが、『進撃の巨人』はすでに数千万部の売り上げを数えアニメ作品もヒットしているので私のようにマニアが入っているような人間だけでなく、街の書店でしか本や雑誌を買わない層が買っているためにそんなアンバランスが生じたのではないかと思う。まあこれをきっかけに大きな書店で好きな作品を探すきっかけにしてもらえればいいとも思うが、流通の面から言えば資源配分を間違ったところはあるのではないかと思う。

帰ってきてちょっと忙しくてリアルタイムで見られなかった『進撃の巨人』アニメの最終回を見る。素晴らしかった。原作とつかず離れずで、それでもアニメ独自の結末と、また一度は完結しても再度その続きをアニメ化する二期企画に十分な期待を持たせる要素もちりばめ、原作やDVDでこの作品をさらに深く味わいたいと思わせるような(私はすでに出ているものは全部買っているが)ラストだった。

この作品は毎回次回予告のあとに様々な作家が書いた「エンドカード」が掲載されるのだが、最終回は原作者諌山創自身によるもので、「俺たちの戦いはこれからだ!」というものだった。これは単行本第2巻(だったと思う)のラストにも掲載されている言葉なのでその再現かと思ったが、まとめサイトなどを見るとまた違った意味があることが分かって笑ってしまった。

起源は80年代の車田正美作品作品らしいのだが、十分にヒットせず打ち切りになった作品のラストで「俺たちの戦いはこれからだ!」という台詞(ないしはそれに類したもの)で終わる例が多かったらしく、つまり逆に言えばこのセリフは「打ち切りになりました!」という意味になるというわけだ。もちろん『進撃の巨人』のような大ヒット作品が打ち切りになるはずがないのだが、作者自身1巻や2巻のころは打ち切りの恐怖と戦いながら描いていたらしく、それが作品構成上にも表れていて、戦闘シーン優先でそれ以前にあるはずの訓練シーンやその中での連帯意識の発生などの描写が後回しになってしまっていて、今回のアニメではその時系列を整理するということが原作者の希望としてもあったらしい。まあこれは商業雑誌に作品を掲載する人たちにとっては身につまされる問題なわけだ。

だから「俺たちの戦いはこれからだ!」で終わるというのはまだまだ続きを書く意志はあるぞ!という意思の表明でもあり、原作者自身が「二期をやりたい!」という意思の表明とも取れる。また、これだけの人気作品であったからアニメ化も賛否両論で、特にアニメでオリジナルに挿入されたシーンや原作とは違う描写になっているところでは賛否を含めてものすごく大量の意思が作者のブログや2ちゃんねる上に表出されていた。これは作り手にとっては相当なプレッシャーだっただろう。最終回の事前上映会には原作者・監督・主要声優らが参加してトークもあったようなのだけど、その席で諌山氏は「二期がもしあったら同じメンバーでやりたい!」と発言し、10歳年長の監督を泣かせたのだという。それだけ大変だったのだとは思うが、こうした素晴らしい作品を担うプレッシャーというものと、それを留保なしで「大成功だった!」とたたえる諌山氏の人間の大きさというか、リーダーシップというか、カリスマがあるなあと思った。私もぜひ、二期を期待したいと思う。


【『キレイゴト抜きの農業論』ほかを買った】

少し眠って夕方になってから神保町に出かけた。自分が何を読むべきか、自分がオルタナティブ世界の構想というテーマみたいなものを持っているのと、自分自身の美意識というようなものを照らし合わせながら、いろいろな本を探した。最初に買ったのは『Gardens of the World』(マルモ出版、1995)ハワイの庭園やそのほか様々な庭園が掲載されていた。

Gardens of the world―オードリー・ヘプバーンが愛した世界の庭園
マルモ出版

それから書泉ブックマート、三省堂などを見て、文銭堂でマスカット大福などを買い、すずらん書店で見た本に興味を持ったがとりあえず買わず、東京堂に回ってほかの本も見て結局久松達央『キレイゴト抜きの農業論』(新潮社新書、2013)を買った。著者は有機農業を実践している人だが、有機農業というもの自身を含めて批判の対象にし、「おいしい野菜をつくるための三要素」など、面白い知見も様々表出されているので、これは興味深かった。また有機農業というのはつまり農業界における有力なオルタナティブなわけだけど、その実態とどういう方向に進むべきかを考えさせてくれる有力なヒントになると思われた。

キレイゴトぬきの農業論 (新潮新書)
久松達央
新潮社

それから神保町交差点角のフジスーパー前でなんだか労働争議っぽいことをやっているのを横目で見ながら(何が起こったんだろう)古書センター二階のボンディへ行ってカレーを食べた。同じ階の古書店をふらふらと見ていたら『三島由紀夫十代作品集』(新潮社、1971)というのを見つけて買った。十代とは思えないような文体と、十代らしきひりひりするような若さを感じた。1971年と言えば自決の翌年。『三島由紀夫』というものがなんだったのか、振り返りが起こっていたのだろう。

三島由紀夫十代作品集 (1971年)
新潮社

神保町で半蔵門線に乗り、丸の内線の出口から出て東西線に向かう間に、「オーテモリ」とかいう新しい商業施設ができていて、その関係者内覧会みたいなことをやっていた。これは大手町と森ビルをかけたネーミングということのようだ。

うちに帰り、どうも疲れていたので早めに寝た。

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